旧石器時代には大型動物を狩り尽くしてしまい
狩りをしていた集団は、次の食糧確保をどうすれば良いか
その必要性から生まれた発明が弓矢である。
その次に食料の対象として拡げたのがドングリなど
それは九州から始まり、温暖化による植生の変化と共に東北に向かって住む範囲を拡げていった。
この時期に土器が発明されて押型文系土器が作られていた。
ドングリなどの食糧確保は時期が限られているので、集落全員の集団作業で効果的に収穫することが必要とされ、その時期を予測することは集落の運命を決める重要な技術のため、秋の時期を見極めるために太陽暦が発明された。それを記録したものが 2波状突起口縁の土器である。
その後釣り糸方式の魚釣りを発明して、そのハイテクの釣り糸を象徴する撚糸文土器が作られた
更に温暖化が進み海進が始まり、鮭の回帰が始まると、鮭の回帰時期を予測するため太陽暦が利用されていた。
潮干狩りを予測するため太陰暦も発明され、潮干狩りは集落の集団作業となり、巨大な貝塚が作られた。これを示すのが 6波状突起口縁の土器である。
定住を安定化するためには、それではまだ不足していたことから、農耕も開始され、そのためには太陽暦から四季を知り、季節の始まりを把握することが必要となり後にチャイナで八節の暦と呼ばれるものが作られた。これは 4波状突起口縁の土器が作られて供献土器とされた。
太陽暦と太陰暦を開発した縄文時代早期が縄文文明の始まりであり、世界文明の始原となった。
縄文時代早期に獲得したこうした文化と定住集落は縄文時代前期に継承されていた。
縄文時代の文明力の高さを示すのが金生遺跡・大配石での太陽暦観測施設と北杜市全域の地景観を利用する太陽観測天文台である。
図はお借りしました
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縄文施文に使われた「縄文原体」は、山内清男の詳細な観察でその撚り方、施文の仕方等で200種類以上のバラエティーがあることがわかっている。
縄文前期初頭以降の円筒下層式土器にはそのほとんどが採用されていた。
撚りをかけた細い繊維束、おそらく、晒してよく叩いたカラムシなどの植物繊維に、一度撚りを加えた無節縄文、
単節縄文を撚り返す際に末端に小環を付けたループ文、
2組の縄文原体を結合させた羽状縄文、
1本の縄文原体に細い他の繊維束を絡ませた付加条(ふかじょう)縄文、
さらに軸棒に撚糸を巻きつけた撚糸文(よりいともん)、
その巻きつけ方にひと工夫した木目状撚糸文などがある。
コメント ここに記されている繊維が釣り糸で、それが模様付けに使われていたものと思う、縄文より余程細かいもののようだから
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早期: 1万1,500年前 ? 7,000年前
この時期の土器の多くは、尖底土器と呼ばれ、底が尖っているのが特徴です。土器を炉に立てたり、周りを石で支えたりして使ったと考えられています。
文様は、細い糸を撚って木の棒に巻き付けたものを回転させた撚糸文系土器、楕円形や山形の刻みをつけた棒を転がした押型文系土器、土器の表面に貝殻や棒で文様を描いた貝殻・沈線文系土器、ギザギザになっている貝殻の縁を使って条線を引いた条痕文系土器などがあります。条痕文系土器には植物繊維が混入しているため、土器の断面が黒くなっているのが特徴です。
コメント 釣り糸の強さの特性を、土器の製作に取り入れたものなのだろうか