金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

国立天文台 家 様へのメール

家 正則 様
  / 国立天文台 

突然のメールで失礼します。
今朝は大変興味深いお話を伺うことが出来ました。
宇宙の最先端研究のお話を伺いましたので、人類の暦の歴史の最先端にある縄文人の太陽観測についてご紹介します。
当方は現在縄文時代の配石遺跡 金生遺跡を世界遺産にしよう会 ということで縄文文化を調査しています。
そこで、縄文人の金生遺跡での太陽観測と太陰暦観測による暦を紹介します。
この遺跡の位置は、山梨県北杜市大泉にあります。
1980年代に発見された遺跡ですが、縄文人は暦など持っていなかったとの思い込みがある様で、40年間、誰もこの遺跡での日の出を観測していなかったようです。
縄文人は遺跡の南東に聳える茅が岳のピークで立春の日の出を観測する事になっておりました、私は暦の作成に知識はありませんでしたので最初は、その意味がよく分りませんでした。調べて行く間に、二至二分、四立、八節の暦さらに二十四節気の暦を作るためであると、気が付きました。この11月には、朔旦立冬の観測により太陽暦と太陰暦との周期を一致させている メトン周期の観測 ものと推定をするに至りました。
 この事 立春観測を皮切りにして、縄文人は3、4、6、8、12を聖なる数として、特に3という数字で太陽暦と太陰暦を同期させていたものとの判断に至りました。

  天神山式土器 神秘数 6波状突起と 突起先端に 4または 6の突起

 というのは、こうした数に関して、縄文人は世界の何処の古代文明でも作っていないような、縄文土器の口縁にその証拠となる特別な突起を作るという形で、古代世界で類を見ない縄文人の唯一の記録として残していたことが分りました。
しかも4,6の数は縄文早期には発見していたことが土器の口縁に残された突起から確認しました。有名な火焔土器口縁の4突起もそれの一つと考えます。
縄文早期は7000年以上前となりますので二至二分の暦の開発は、世界の古代文明から2000年以上前と言うことになります。
また突起数3の縄文土器は堀之内式土器の時期に成りますので、二十四節気の暦は4500年以上前の成立だろうと推定しました。
チャイナの夏殷周よりはずっと早い暦作り、陶寺遺跡の天文台より古く、縄文後期において、正確さは現代の太陽暦と変らないものと考えます。
これらのことはブログに記載して現在公開しております。
 johmonkinsestar として検索していただければ、「金生遺跡を世界遺産にしよう会」
というブログで現在の観測内容と伴に縄文文化の遺物についての解析もご覧いただけます。
こうしたことは、様々な方面に照会していますが、理解を得られておりません。
天文や暦に詳しい方にお話を伺いたいものとしてこのメールも書いております。
これらのことが事実とすればこれまでの縄文文化の知見も世界の暦の歴史も塗り替えら
れるものと思います。
既に東京天文台の方にもお知らせしてあります。
最先端の望遠鏡の開発を続けられてきた方とお聞きしましたので、暦の歴史の最先端を是非判別していただきたいと思いましてお願いしております。
よろしくお願いします。
2021.11.23

掲載写真はお借りしました これはメールには含ませていません ここに追加しました。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「旅行」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事