斜めから降り注ぐ人付き合い

ふれあいの人付き合いについて綴っていこうかと思います。

女性がさらに深いところから満たされる

2022-06-13 20:35:17 | コミュニケーション

女性は男性を受け入れたとき、”心からの愛”がそこにきていないと、あるいは相手に心と魂を分かち合う意志がないと、そのことを敏感に察知する。

男性の体に対して、これほど無防備な形で自分を開放しているのに、その間、相手の体以外の部分は見せてもらえないということになると、女性はやりきれない。

彼女はその気持ちに自分でも気づかないかもしれないが、なぜだが寂しくてたまらない、あるいは悲しくてたまらないと感じるだろう。

それが原因で、女性は体の緊張をゆるめられない、オーガズムを感じられないといったセックスのトラブルを抱え込む場合もあれば、いずれ、不安や神経過敏に悩まされるようになる場合もあるかもしれない。

男性が自分の体の奥深いところへ入り込むのと同じように、自分も男性の心の奥深いところへ入り込んでいる―女性はその手応えがほしい。

男性にとってセックスの間、女性に全面的に受け入れられていると感じることが重要であるように、女性にとっても、男性が精神的に自分を受け入れている、すべてを自分に見せているという手応えを感じることは何よりも重要なのだ。

彼女を愛することに自分のすべてをかければかけるほど、彼も彼女もより多くの愛を感じ、より次元の高い体験を共有することになる。

愛する女性のなかへ入る前に、あなたという存在のすべてが喜びと期待を感じながら彼女のなかへ流れ込むというイメージを思い描こう。

そして、心の中でこんなふうに唱えよう。

「僕のすべてを君のところへ持っていこう。僕のすべてが今、君とともにあって、君の神聖な場所へ入っていくのを感じてほしい。僕を受け入れてくれる君に敬意を表すよ」

彼女の体内へ入っていくとき、あなたが彼女を招き入れているように、彼女の愛があなたの心の奥深くへと入ってくるところをイメージしよう。

このようなイメージを利用したテクニックの力を過小評価してはいけない。

こうしたテクニックの助けを借りることによって、ふたりはお互いに相手に心を開くことができるはずだ。

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心と心をつなぐ水路に障害物がなくなれば、体も心も同時にひとつになれる。

そして、ふたりは自分の全存在をかけて愛し合う。

ふたりの間には愛しかなくなる。

神聖な交わりとはそういうものだ。

エクスタシーとはそういうものだ。

つまりはこういうことだ。

あなたたちはともに横たわり、ひとつに溶け合い、あなたたちの「源」である愛と溶け合い、存在するすべてのものと溶け合う。

あなたたちは永遠の男と女である。

万物があなたたちをとおして喜ぶ。

万物があなたたちをとおして愛する。

あなたたちはあらゆるものである。

あなたたちはあらゆる場所である。

あなたたちは安息の場所にもどってきたのだ・・・。


話の腰を折らず、聞くことに徹する

2021-12-07 20:18:13 | コミュニケーション

人間関係を築いて維持するのも、反対に、人間関係に亀裂が生じて断ち切れてしまうのも会話の仕方しだいです。

会話を楽しめる関係であれば、良好なコミュニケーションを保つことができるでしょうし、トラブルが起きる可能性も小さいといえます。

しかし、会話を始めても長続きしないような場合は、良好な人間関係を築くのも難しいのです。

話が続かないのは、話の腰を折ってしまうことが原因のひとつとして考えられます。

たとえば、数人で酒を飲みながら楽しく話しているときに、ある人が、

「じつは昨日、ロサンゼルスから帰ってきたばかりで。まだ時差ボケなんですよ」

と言ったとしましょう。

ここで、会話がきちんとできる人なら、その話を受けて、

「それはお疲れでしょう。ロサンゼルスはどうでしたか」

と言うはずです。

ところが、話の腰をすぐに折ってしまうクセのある人は、すぐに自分の話にもっていきたがり、

「ロスですか。僕も何度も行きました。友人がたくさんいて、よく招かれますよ」

などと話を横取りしてしまいます。

相手がロサンゼルスの話をしたがっていることなど、まるで考えもせず、自慢話をしてしまうのです。

話の腰を折る人は、どんな話題でも必ず自分の話にもっていく傾向があります。つまり「自己中心的」なのです。

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人は誰でも自分が大事で、自己中心的な面は少なからず持っています。

しかし、他人にも同じ気持ちがあると気づけば、相手を大事にできるはずです。

ところが、自己中心的な人は、そのあたりの機微がまるでわかっていません。

また、自己中心的で自己顕示欲が強い人は、自分を賞賛してくれる人を周囲に置きたがる傾向もあります。

「イエスマン」がいてくれないと寂しくて仕方がないのです。

そうならないためにも、まずは相手の話の腰を折らずに、きちんと聞くようにし、お互いが楽しい会話ができるように心がけることが必要です。

人間関係ワンポイント:すぐに「自分の話」にもっていかず相手の話を尊重する。


たまには思い切り「アホ面」になってみよう

2021-02-06 20:46:24 | コミュニケーション

顔には様々の表情筋や咬筋などが複雑に配置されていて、それぞれの機能を果たしている。

しかもそれらはほとんど四六時中休む間もなく共働して緊張しつづけ、あなたのためにあなたらしい上品さ、マジメさ、優しさ、温かさ、憂い、ときには腹立たしさといった表情を微妙に作りつづけていて、リラックスする間もない。

わずかにリラックスするのはやっと安らかな眠りについたときだけである。

昔の母親が、稼ぎゆく娘に「主人より早く目をさまして、寝顔は決して見せないように」とさとして聞かせたのは訳がある。

しどけなく眠って表情の構えが解かれると、そこにはまさに阿呆の顔が出現してしまうからである。

とはいえ、現代のストレスフルな状況の中では、唯一安らぐはずの眠りの中にも悪夢が襲来して歯ぎしりをしたり、これ以上もないしかめ面でうなされたりして油断もならない。

それゆえに、顔の筋肉に対してことさらにストレッチとリラックスの味を覚えさせることは、まさに今日的な重要な意義があるのである。

ステップ1.眉を上げ、前上方をニラミすえるようにして額に横じわを寄せる。

一呼吸おいて呼気とともにゆっくり力を抜いていく。

視線はそれにつれて落ちていき、まぶたも力が抜けて垂れ下がり、まさに”まぶたが重い”という感じがつかめるようになればしめたものである。

ステップ2.両目のまわりの顔面に力を入れて、目をギュッとつぶる。

同時に両眉や両頬の筋肉も両眼を中心に集まるような感じで力を入れる。

しばらくしたらゆっくり力を抜いていき、ゆるむ感じを味わう。

ステップ3.上下の奥歯をギューッと噛みしめると同時に、両方の口角を左右のエラのほうにひっぱるようにして口を横にひきつるように大きく広げる。

顎の様々な筋肉が歯ぎしりするために緊張するのをよく味わったら、徐々に力を抜いていく。

かくしてほんとうに顔の力が抜けていくと”アホ面”の典型のように、口はダランと半ば開いて、よだれも垂れて出ようかというほどの表情になる。

なお、顔面に関して付け加えるならば、これらのアホ面はあくまでも「作る」のではない。

ただそう「なる」のであるということが大切である。

顔がほんとうの「アホ面になった」とき、心の中も虚心坦懐、荷物にもとらわれない心境が訪れるのである。


ここ一番でのエイエイオーは効果的

2021-01-14 21:22:34 | コミュニケーション

元横綱北の湖は時間いっぱいの仕切りに入る前に、自らの顔面を両手でバチンと叩く仕草が妙に印象的だった。

同じような癖は柔道の山下泰裕選手や、アマチュア相撲で二十八のタイトルを独り占めにして角界入りした久島海関などももっていた。

また世界最強のラグビーチームといわれるニュージーランドのオールブラックスは、試合に先立ちマオリ族の戦いの踊りを披露する中で、自らの腕や腿を激しく叩きながら雄たけびをあげる。

文字通り自らを「鼓舞」しているのである。

これは生理学的な立場から考察すると、目的にかなった動作だ。

顔面や身体各部を叩くことによる痛覚などの刺激は、脊髄、脳幹部、大脳へと伝わり、その他の情報と統合され、自律神経や脳下垂体系内分泌システムを活性化し、ストレスレベルを上げ、事態に対応するための行動を起こさせる。

また筋肉、特に手指などの筋肉には、筋紡錘とよばれる刺激受容器が多く存在しており、急激な筋の伸展を感じて信号を脳幹網様体に送る。

この脳幹網様体は意識レベルをコントロールする中枢で、筋紡錘からの刺激が伝わると、大脳皮質へめざめの信号を送り出す。

これから戦いに臨む力士やラガーメンにとって、より効率よく最大の成果を上げるために、ストレスレベルの上昇は必要である。

逆に鼓舞したり、されたりすることのない単調な仕事が続くと、倦怠感や意欲の減退、感情の鈍化、創造性の低下といった状態に陥り、活動的な生産性などは期待できなくなる。

だから仕事のうえで「ここ一番」の重大な折衝や会談に臨むときには、ストレスレベルを適度に高めておくのがよい。

顔面を叩くのもよいし、冷たい水で顔を洗うのもよい。

「エイエイオー」と雄たけびをあげるのも効果的。


大地に身を横たえてみる

2021-01-07 21:42:27 | コミュニケーション

名優ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの共演した懐かしい名画「カサブランカ」は、1942年の製作である。

この中でテーマ曲のように用いられているポピュラーソング「時の過ぎゆくまま」は、実は1931年にほかのミュージカルの中で歌われたものである。

その大意は「時は移ろいすぎゆくとしても、人が愛に生き愛に死ぬというくりかえされる物語は不変である」といったもの。

だが、本来のミュージカルの中では、この曲の前にバースとよばれるプロローグのような語りの部分が歌われる。

このバースの部分は、1931年から半世紀以上を経た今日でも、現在の私たちの状況とあまりにも合致するので、拙訳ながらご紹介してみたい。

曰く「私たちの生きている時代は、スピードや新しい発見あるいはいままでにない方向性をもった出来事などがひきおこす憂慮や不安でいっぱい。

おまけにアインシュタインの原理なんてものまであらわれて、頭の中はもうぐちゃぐちゃ。

だから私たちは祈りを見て大地に横たわってリラックスして緊張を解き放たなくては。

たとえどんな進歩や改革がもたらされようと、人生の真実なるものは単純かつ動かしようもないのだから」といったものである。

まさにこれは今日を予見したストレスマネジメントのすすめそのものであることに驚かされる。

私たちの体は、とかく得体の知れないもの、新しい(もしくは未知の)情報に遭遇したり、めまぐるしく変化する事態に巻き込まれると、これに対応するべく身体機能を活性化するようなホルモン系がはたらいて血圧が上がったり、四肢に思わず力が入ったり、胃腸のはたらきが鈍るなど様々な反応を示す。

非常事態が去ると、体はもとのゆったりしたおだやかなリズムを取り戻し、緊張のために消費したエネルギーを回復したり修復したりするが、休むいとまもない恒常的な緊張状態が続くと、高血圧症や虚血性心疾患、十二指腸潰瘍などといった厄介な成人病をひきおこすのである。

このため、私たちにはときに意図的に、わざわざ緊張をゆるめる手だてをとることが必要になってきた。

前出の歌のバースの部分にあるように、大地に身を横たえてリラックスするのも一方法である。

平坦な芝生の上あるいは板の間や畳の上がよいだろう。

仰向けに「大の字」に寝てみる。

目を閉じてゆっくりと息を吐く。

息を吐きながら意識をお臍の真後ろにあたる脊椎のあたりに向ける。

脊椎はこのあたりで前湾(前方に湾曲)しているはずであるから、からだの緊張の強い間は当然この部分の背中と地面との間には隙間ができる。

ゆっくりと息を吐きながら体のすみずみの緊張を解き、身も心も和らいでいくと、いつしかお臍のうしろの背が地面に接地するのを感ずることができる。

ぜひ試してごらんあれ。

なかなかできないからといってムキになると逆効果、大地に身をゆだねる気持ちが大切。