自己イメージを変える方法は、現在のイメージと正反対のことをいうか、するかである。
たとえば自分は気の弱い人間であると思っている人は、それと正反対のことを声に出していうのである。
「私は強気の人間である」「私は強気の人間である」と何回も何回も唱えることである。
これは自己暗示ではない。
自己催眠のように見えるがそうではない。
「自分は気が弱い人間である」とのイメージをもっている人は「気の弱い」部分にしか焦点を合わせていない。
実は百パーセント気の弱い人間はいない。
人間の世界に完全はない。
どんなに気が弱い人でも、どこかに気の強さをもっている。
そこに焦点が合わせられていないから、きづかなかっただけである。
いくら気の弱い(と自分で思っている)人間でも、夫婦喧嘩したり、子どもを叱ったり、お釣をことさら強く請求したり、転勤を拒否したり、意外に強いところがある。
ふだんはその強さを意識していないだけである。
たまたまむかし誰かから「あなたは気が弱いですね」と評されたので、そこにしか焦点を合わせなかったのである。
悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなるのだという説がある。
それゆえ「私は強気の人間です」と声に出して何回もいう練習をしているうちに、強気の自分がリアルに体感できるようになる。
口に出していうだけではない。
行動に移すともっとよい。
「私は気の弱い人間です」という自己イメージの人が、日常生活で、あたかも学芸会で劇に出演した気持ちになって、「強気の人物」を演ずるのである。
強気の人は、1.人の目を見て話す、2.背筋を伸ばす、3.大きな声で話すなど、自分でいくつかの特徴をつかむことである。
特徴をつかんだら、週にひとつずつ演じるのである。
いつのまにか、見かけだけは強気で自信ある青年になる。
ところが最初は見かけだけだったものが、心の中で変わってくるのである。
体→心である。
むかしの心理療法は心→体であった。
しかし体→心のほうが実行しやすいという人もいる。
事実、私たちは生活の知恵でそうしている。
病人が朝は一度起床して化粧するのがそれである。
健康人の格好をすることによって、気持ちも健康人のようになる。
今この記事を書いているとき、テレビで旧制高校寮歌祭を放映していた。
八十歳前後の人たちがニ十歳前後の人たちのような若さにあふれている。
北海道から朝飛行機でかけつけて参加し、歌い終わるやすぐに帰った人もいるという。
ふだんは老人としての自分にしか焦点を合わせていないが、青年の行動をとることによって、焦点が青年の心にシフトするのである。
自分は人に好かれないと思っている人は、自分があたかも人に好かれる人間の如く振舞えばよいのである。
二十歳の青年の如く振舞う寮歌祭の老先輩の心意気を模倣するとよい。