禅寺の一日は朝日の昇る前からはじまります。
まだ暗いうちに坐禅の日課が行われます。
これも長い歴史のあいだで裏付けられたやり方なのでしょう。
セロトニン神経の働きから見ると、これは次のように意味付けられます。
坐禅の呼吸法は、意識的なリズム運動ですから、セロトニン神経を活性化させます。
一方、太陽の光も同じ効果を発揮します。
ともに、セロトニン神経を活性化させるわけですから、同時に行えば効果は倍増するはずです。
ところが、あえてそうしない。
そこには何らかの意義があるからです。
単刀直入に言いましょう。
問題は時間です。
坐禅の呼吸法は約30分程度行うのが一番効果的なことを、脳波の経時変化から説明できます。
ところで、太陽は半日出ていますから、光は約12時間継続して浴び続けることになります。
動物実験で光を浴びさせて、脳内のセロトニン濃度は上昇します。
このデータから、光によってセロトニン神経が活性化されることが確認されます。
ところが、継続して光が与えられますと、一時間もしないうちに、元のレベルにもどってしまうのです。
これは、セロトニン神経に備わっている自己抑制機能のなせるワザです。
セロトニン神経はなかなか手強い相手なので、かんたんには高い活動レベルを維持してくれません。
この自己抑制機能は、セロトニン神経をきたえるうえできわめて重要な意味を持っています。
日の出前の坐禅修業には人付き合いが怖い人の気持ちを楽にする作用があるそうです。
では、なぜ日の出前に坐禅修業を行うのか。
その理由は、日が昇ってしまうと、坐禅でセロトニン神経をきたえるという効果が半減してしまう可能性があるからです。
太陽光を浴び続けていると、当初はセロトニン神経が活性化されますが、約一時間の経過後は、活性から抑制へと逆転してしまいます。
その時点で坐禅を組んでも、もはやセロトニン神経は活性化されません。
せっかく、セロトニン神経をきたえようとして取り組んだ修行が、あまり効果的ではないという結果になります。
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こうしてみると、太陽の光が届かない方が、坐禅独自の効果が強調されるように思えます。
実際、禅堂の中は絶えず薄暗く、光を遮断する構造になっています。
また、坐禅修業は早朝など、昼間の陽が高い時間帯には行わないのが一般的です。
このようなことから、光は坐禅の呼吸法にとって、セロトニン神経の活性化という点で、むしろマイナスに作用する場合が多いのかもしれません。