中学生 勉強が得意になる

しばらくは歴史に強くなるをテーマにやります

どうもいかん人 道鏡

2023-07-18 15:57:18 | 歴史が得意になる

 宇佐八幡へ行く和気清麻呂

 

聖武天皇が信心を深めたためか早くに退位されました。そののちに皇位についた女帝孝謙天皇が体調を崩されたときに治癒させたことで力を得たのが道鏡です。

法相宗を学び、禅を会得していたといいます。それによって朝廷に参上するようになったといいます。

天皇をまどわせて自分の言いなりにして、自分ばかりかどんどんと一族も朝廷内で権力を得ました。

とうとう天皇の後継者となろうとしましたが、和気清麻呂によって退けられました。

和気清麻呂は足を傷つけられて、西国に流されましたが、八幡の使いであるシシ(いのしし、あるいは鹿)に助けられて、宇佐八幡宮の託宣から道鏡の思惑を断つことが出来ました。

のちのお話で道鏡が性的な力で天皇をかどわかしたとか、道鏡を用いたさまざまな揶揄(やゆ)が作り出された。それらが事実であることは確認できないですが、権力を自分のものにしようとするたくらみがあったと思われます。

 


頭が下がる人 鑑真

2023-07-18 14:00:02 | 歴史が得意になる

 画像お借りしました

鑑真は何度も日本へ来るために失敗して失明したことで知られます。

聖武天皇は戒律を授ける僧を中国に求めました。自称僧が増えたためだそうです。

それは大仏建造を祈願した年で、中国でも有名な戒律僧鑑真に依頼しました。弟子たちに話したが、だれも遭難を恐れて、行きたがらないので自ら日本へ向かうことにしたそうです。

中国でも日本へ行くことをとどめられたり、遭難、漂流をするなど5度の失敗を経て、とうとう失明してしまう。

それでも6度目にやっと日本にたどり着き(その時日本に向かった4隻の内2隻だけがたどり着き、阿倍仲麻呂が乗った船は中国へもどった)、大宰府で最初の戒を授け、奈良に上った。奈良東大寺に戒壇院を設けて、下野の薬師寺、大宰府の観世音寺と合わせて三戒壇といわれます。

鑑真は自ら即身仏(ミイラ)となることを望んで、食事を制限して亡くなったといいます。しかし、湿度の多い日本の気候でミイラとなることはかなわず、弟子たちは等身の御像を作りました。

目がくぼんでいるのは、失明されたのもありますが、食事をとらず即身仏となろうとしたせいかもしれません。

中国では禅宗の六祖慧能の即身仏が南華寺にまつられるなど、例があります。

身を呈して日本の仏教のために尽くした鑑真は中国でも尊敬される存在として、長大なドラマなども作られているようです。

 


頭が下がる人 行基

2023-07-18 08:51:52 | 歴史が得意になる

行基は飛鳥時代から奈良時代にかけて、困った人を救済し、橋をかけたり、田を開発するなど力を尽くしました。

その祖先は百済に帰化した中国人ともいわれます。飛鳥寺や薬師寺で学びましたが、民とともに宗教活動を行いました。大規模の集会を開いて、一時は反政府活動にみなされて弾圧をうけましたが、田を開墾するなど、政府の方針にもかなうとして逆に好意的に迎えられるようになりました。

聖武天皇は行基に帰依して、大仏の勧進(建設のためのよびかけ)に任命して、建立をすすめました。行基のおかげで困難な大仏の建設が進んだそうです。

残念ながら生前に大仏は完成しませんでしたが、大安寺に迎えた外国僧の菩提僊那らが大仏の開眼供養をつとめました。

行基の行いは全国に伝わり、今日も行基が作ったとされる仏像が各地にあります。