福岡市の元寇防塁
福岡市の西部には元寇防塁と呼ばれる石を積み上げた塀がのこります。
鎌倉時代、元(モンゴル)と高麗軍がこの地を襲います。
この2~3mほどの防塁で防げたのでしょうか?(第1回の後造られ、実際には使われてないようです)
これが博多湾の多くの海岸に作られ、総長20㎞ほどに及んだようです。
元軍の一部は筥崎から10㎞ほども侵入したようで、被害も多かったと思います。
元軍が海上の船に戻ったり、暴風が起こり、侵略を何とか免れましたが、その恐怖はこの土地に「ムクリ、コクリ(蒙古、高麗)」という言葉に残っています。
元軍が「てつはう(鉄砲)」を用いたのに、日本軍は馬に乗り、名乗りを上げ、刀で応戦するというむかしながらの戦法で、とうていかなわないと思いましたが、戦賞を要求するような戦いをしたのでしょう。
このころ、モンゴルはフビライハーンが統治する時代で、ベネツイアからマルコポーロが中国(都は今のモンゴル)に来ていました。1275年に来たというので、ほぼ元寇の時期にいたことになります。
日本を襲った記事はなく、黄金にあふれて豊かな国だと「東方見聞録」に書いています。もちろん人の話を聞いて書いたのでしょうが、日本では国を揺るがす大事のときにのんきな話だと思ってしまいます。
博多の地は以後も外敵への警戒を怠らないようにしました。
竹崎季長絵詞