大島で献血をしようと思ったらチャンスは年に一度だけ. 毎年この時期に,採血のプロの看護師さんをはじめとしたスタッフが派遣されて来ます.大島で集団献血が始まったのは1972年~’73年頃のこと. 当時は輸血を受けるためには献血手帳の提出が求められ,患者には支援してもらえる献血経験者が必要でした.血液センターはかつて血液銀行と呼ばれましたが,それは実態を正しく反映した名称だったのです.
島の住民には意思があっても献血の機会がなく島内の診療所には緊急用の血液のストックもありませんでした.この問題に対して初めて行動を起こしたのは行政ではなく,とある全国規模を擁する労働組合でした.この組織は輸血には手帳が必要という現実に対応するために,組合員に献血を奨励し輸血の必要が生じたときは互助的に手帳を融通するというシステムを早くから確立していたため,大量に献血をする組織として日赤との関係が密だったのです.当日は非番の女性組合員を大量動員し,始めての献血にちょっとヒロイックな気分と軽い興奮状態で集った大量の参加者をさばきました.献血可能年齢に達して間もないワタシもその中にいた思い出があります.その甲斐あって島内に血液がストックされることとなり急患対策が前進しました.
時が移り主催者は何時からか町当局に変わり,組合員は社命で日赤を手伝う形態となりました.
重篤な症状の患者さんはヘリ搬送が一般的になり島内での輸血の機会は昔よりは減ったようです.半面被輸血者への悪影響の予防のため献血にはさまざまな条件がつき献血可能な人口はかなり減りました. 献血を取り巻く問題も宗教や感染症を始めとして多様化してきました.それでも完全な人工血液が完成しない限りこれからも献血は必要です.関係者の方たちには今後も頑張ってもらいたいと思います.
写真左
初日の会場付近の景勝地波浮港に休憩時間の看護師さんを案内した時のものです.二人とも大変な美人で正に白衣の天使... アップで掲載できないのが残念です ^_^;
写真中
受付終了間際,授業を終えて飛び込んで来てくれた高校生たち
写真右
献血ドナー管理システム.
センターのサーバーとの通信はカード型携帯端末(FOMA)を介して行われる. 通信料高そう...