脳腫瘍の一種である聴神経腫瘍の摘出手術を受けてから約一ヶ月が経過しました.
この腫瘍は脳腫瘍総数の一割ほどの疾患で聴覚器官と脳を結ぶ4本の神経の鞘(さや)に,にきびみたいなものができる良性腫瘍で,10万人に1人くらいの発症確率だそうです.
数年前,布団の中でラジオを聴取中に左右で聞こえ方がかなり違うことで異常に気づきました.耳鼻科に1年ほど通院し投薬を受けたものの改善が見られないことから脳神経外科での診断を薦められ,MRI撮影をしたところ2センチほどの腫瘍が発見されました.
思い返すと居酒屋みたいなガヤガヤしたところで,みんなどうしてあんなにスムーズに会話できるのか不思議だったり,携帯電話が聞きとりにくくてストレスフルだったりと兆候は以前からあったのです.ワタシの場合,腫瘍は右側に発症し,右利きなので携帯もそちら側で使用していました.
進行の遅い腫瘍とのことで半年ごとにMRIを撮りながら2年近く経過観察していたのですが診察のつど見せてもらう映像中の腫瘍はだんだん大きくなっており,放置すると最終的には腫瘍が他の神経や小脳を圧迫し嚥下や呼吸・歩行などの困難が発生するとの事で覚悟を決めて摘出手術をお願いしました.
入院は10月21日でした.初日はCTや胸部・頭部X線撮影を初めMRIの撮影,血液検査,凝固速度測定,言語療法士による能力測定などを受診するため広い院内を案内図片手に歩き回りました.
10月25日の0830に手術室に入りました.事前にリクエストしておいたバックグランドミュージックが流れる室内で麻酔ガスを処方され5分もしないうちに意識がなくなりました.執刀医3名,麻酔医2名,看護師3名の体制だったそうですがスタッフの方々の顔を確かめる間もなかったです.麻酔からさめたのは1630頃ですが手術にかかった時間は7時間半ほどだったとの事です.
ICUでの回復期は喉の渇きと,自分の身体なのに場所のわからない疼痛,チューブだらけの半固定状態で思うように動けないことに悩まされました.前日に浅田次郎の「蒼穹の昴」を読み,作中の人物が宦官になるための処置を受け,術後の激しい渇きと苦痛に耐える描写に息を呑んだ翌日だったのでその架空の苦痛がシンクロしてしまい不快感倍増. 手術前には快感を伴う読み物を読んでおくべきでした.
入院を経るにしたがい疼痛は徐々に少なくなってきたものの右耳の聴力は完全になくなりました.もともと8割の確率で術後失聴と言われていたので驚きませんでしたが,まったく聞こえない状態は難聴と異なり平衡感覚の乱れや右後方の気配がわからないといった手術前にはなかった困難さがあって慣れが必要です.
手術からほどなくして顔面の半分にマヒが出ることがあるようでネット上のいくつかの闘病記にその旨の記述があります.幸いなことにワタシの場合マヒはありませんでした.術後10日目は退院予定日でしたが帰島してからこれが出るとややこしいことになるので医師と相談し退院を3日伸ばしてマヒの発症のないことを確認して11月5日に退院,即日帰島しました.
自宅に戻ったものの一般の怪我の回復期とは異なる体調の不全感と船上で揺られているような平衡感覚の乱れがあったので一週間ほど自宅待機し11月14日から仕事に戻りました.現在不全感はほぼなくなったものの,眼鏡を新調したときに似た平衡感覚の乱れはなかなか完治しません.勤務先から帰宅するとグッタリ状態であまり動く気になれません.軽い船酔いに似た不快感が常時あってそのことが疲労感を増加させているようです.こればかりはいくら腕っぷしが良くてもお手上げです(良く無いけど).もっとも医師からこの症状も数週間で改善するとのご託宣をもらっているのであとは時間の問題と考えています.
こんな体調のため覇気のあがらないことはなはだしく.仕事以外に早急にやらねばならないことがいくつか控えているのですが,なかなか手がつけられません.
外出がしずらい体調の反動でアウドドアやサバイバル関係の本を買い込んだり大型のシースナイフをヤフオクで入手して手触りを楽しんだりといささかアブナイ余暇を過ごしています.日によってコンディションの上下はあるもののマクロ的には確実に改善しているので年明けのNYPには三原山での移動運用を含めて参加できるくらいになれればよいなと考えています.
疾病による入院はこれで二度目です.6年前,前回の退院直後に,これからは病気や弱い立場の人の身になって考えよう,などと殊勝な考えがよぎったのですが,最近はすっかり忘れていました.また思い出さなければ. 入院中にお見舞いをいただいた方々,ネットを通じて励ましをいただいた方,ツイッター・mixi等のワタシの発言を見守っていてくださった方々,本当にありがとうございました.
写真は病室の窓外
この腫瘍は脳腫瘍総数の一割ほどの疾患で聴覚器官と脳を結ぶ4本の神経の鞘(さや)に,にきびみたいなものができる良性腫瘍で,10万人に1人くらいの発症確率だそうです.
数年前,布団の中でラジオを聴取中に左右で聞こえ方がかなり違うことで異常に気づきました.耳鼻科に1年ほど通院し投薬を受けたものの改善が見られないことから脳神経外科での診断を薦められ,MRI撮影をしたところ2センチほどの腫瘍が発見されました.
思い返すと居酒屋みたいなガヤガヤしたところで,みんなどうしてあんなにスムーズに会話できるのか不思議だったり,携帯電話が聞きとりにくくてストレスフルだったりと兆候は以前からあったのです.ワタシの場合,腫瘍は右側に発症し,右利きなので携帯もそちら側で使用していました.
進行の遅い腫瘍とのことで半年ごとにMRIを撮りながら2年近く経過観察していたのですが診察のつど見せてもらう映像中の腫瘍はだんだん大きくなっており,放置すると最終的には腫瘍が他の神経や小脳を圧迫し嚥下や呼吸・歩行などの困難が発生するとの事で覚悟を決めて摘出手術をお願いしました.
入院は10月21日でした.初日はCTや胸部・頭部X線撮影を初めMRIの撮影,血液検査,凝固速度測定,言語療法士による能力測定などを受診するため広い院内を案内図片手に歩き回りました.
10月25日の0830に手術室に入りました.事前にリクエストしておいたバックグランドミュージックが流れる室内で麻酔ガスを処方され5分もしないうちに意識がなくなりました.執刀医3名,麻酔医2名,看護師3名の体制だったそうですがスタッフの方々の顔を確かめる間もなかったです.麻酔からさめたのは1630頃ですが手術にかかった時間は7時間半ほどだったとの事です.
ICUでの回復期は喉の渇きと,自分の身体なのに場所のわからない疼痛,チューブだらけの半固定状態で思うように動けないことに悩まされました.前日に浅田次郎の「蒼穹の昴」を読み,作中の人物が宦官になるための処置を受け,術後の激しい渇きと苦痛に耐える描写に息を呑んだ翌日だったのでその架空の苦痛がシンクロしてしまい不快感倍増. 手術前には快感を伴う読み物を読んでおくべきでした.
入院を経るにしたがい疼痛は徐々に少なくなってきたものの右耳の聴力は完全になくなりました.もともと8割の確率で術後失聴と言われていたので驚きませんでしたが,まったく聞こえない状態は難聴と異なり平衡感覚の乱れや右後方の気配がわからないといった手術前にはなかった困難さがあって慣れが必要です.
手術からほどなくして顔面の半分にマヒが出ることがあるようでネット上のいくつかの闘病記にその旨の記述があります.幸いなことにワタシの場合マヒはありませんでした.術後10日目は退院予定日でしたが帰島してからこれが出るとややこしいことになるので医師と相談し退院を3日伸ばしてマヒの発症のないことを確認して11月5日に退院,即日帰島しました.
自宅に戻ったものの一般の怪我の回復期とは異なる体調の不全感と船上で揺られているような平衡感覚の乱れがあったので一週間ほど自宅待機し11月14日から仕事に戻りました.現在不全感はほぼなくなったものの,眼鏡を新調したときに似た平衡感覚の乱れはなかなか完治しません.勤務先から帰宅するとグッタリ状態であまり動く気になれません.軽い船酔いに似た不快感が常時あってそのことが疲労感を増加させているようです.こればかりはいくら腕っぷしが良くてもお手上げです(良く無いけど).もっとも医師からこの症状も数週間で改善するとのご託宣をもらっているのであとは時間の問題と考えています.
こんな体調のため覇気のあがらないことはなはだしく.仕事以外に早急にやらねばならないことがいくつか控えているのですが,なかなか手がつけられません.
外出がしずらい体調の反動でアウドドアやサバイバル関係の本を買い込んだり大型のシースナイフをヤフオクで入手して手触りを楽しんだりといささかアブナイ余暇を過ごしています.日によってコンディションの上下はあるもののマクロ的には確実に改善しているので年明けのNYPには三原山での移動運用を含めて参加できるくらいになれればよいなと考えています.
疾病による入院はこれで二度目です.6年前,前回の退院直後に,これからは病気や弱い立場の人の身になって考えよう,などと殊勝な考えがよぎったのですが,最近はすっかり忘れていました.また思い出さなければ. 入院中にお見舞いをいただいた方々,ネットを通じて励ましをいただいた方,ツイッター・mixi等のワタシの発言を見守っていてくださった方々,本当にありがとうございました.
写真は病室の窓外