15年ぶりに宇治平等院へ行きました
15年前とは異なる角度からの眺めが
妙に、新鮮に見えました
角度を変えることは
人間を見る時も
自然を見る時も
大切なのでしょうね
・・・・
京都南郊の宇治の地は、
『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台で、
平安時代初期から貴族の別荘が営まれていました。
現在の平等院の地は、9世紀末頃、
光源氏のモデルとも言われる左大臣である
嵯峨源氏の源融(みなもと の とおる)が
営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、
天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、
摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものでです。
道長は万寿4年(1027年)に没し、
その子の関白藤原頼通は永承7年(1052年)、
宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりです。
創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり
大日如来を本尊としていたが、翌天喜元年(1053年)には、
西方極楽浄土をこの世に出現させたような
阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立されたのです。
百科事典ウィキペディアより抜粋
2009年9月26日
笠原 道夫
15年前とは異なる角度からの眺めが
妙に、新鮮に見えました
角度を変えることは
人間を見る時も
自然を見る時も
大切なのでしょうね
・・・・
京都南郊の宇治の地は、
『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台で、
平安時代初期から貴族の別荘が営まれていました。
現在の平等院の地は、9世紀末頃、
光源氏のモデルとも言われる左大臣である
嵯峨源氏の源融(みなもと の とおる)が
営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、
天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、
摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものでです。
道長は万寿4年(1027年)に没し、
その子の関白藤原頼通は永承7年(1052年)、
宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりです。
創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり
大日如来を本尊としていたが、翌天喜元年(1053年)には、
西方極楽浄土をこの世に出現させたような
阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立されたのです。
百科事典ウィキペディアより抜粋
2009年9月26日
笠原 道夫