◇◇◇我がバンド活動のアーカイブ(フェーズ2)◇◇◇
私のバンド活動の軌跡を(私自身の記録メモとして)、
一部の記録と記憶を元に、3つのフェーズに分けて書いてみます。
☆フェーズ2(1971年~1976年)☆ ・・・少々長文です
【1971年9月】
この年の春、生まれ育った静岡県から神奈川県に移り住み、
その後、市内で音楽好きの友人と巡り合い、男3人のフォークバンドを結成しました。
バンド名は、当時メジャーデビューしていた「赤い鳥」を真似たのか
(記憶は定かではないが)、暫定名「赤い鳥居」でした。
【1971年12月】
バンド名を「赤い鳥居」から「白い風」に改名し、本格的な練習を開始しました。
フォークギター2本、ウッドベースの構成で、
私は12弦リードギターとボーカルを担当しました。
この時のベースマンと私が、現「プレイバック‘70フォーク夢」のメンバーです。
サイドギターとボーカル担当だったもう一人のメンバーは、
その後の「白い風」解散後に残念ながら若くして病死しました。
主なレパートリーは、「五つの赤い風船」「六文銭」「かくや姫」ほかのコピーと
オリジナル曲でした。
【1972年9月】
経緯は定かではないのですが、
「白い風」のベースマンを会長として(2代目は私だったかな)、
アマチュアフォークバンド団体「KFG(神奈川フォーク集団)」を立ち上げ、
1972年9月に第1回KFGコンサートを開催しました。
記念写真を追加掲載します。
■1972.09【白い風】第1回KFG(秦野市青少年会館)
【1973年4月】
これまた、経緯は定かではないのですが、「白い風」を解散することになり
(当時は、グループをつくっては解散することが流行っていた気がしますが)、
1973年4月の第4回KFGコンサートが解散記念となりました。
【1973年9月】
「白い風」解散後に、会社の同僚と男3名/女1名のフォークバンド「飛行船」を結成し、
途中で女性メンバーが入れ替わって、9月に最終メンバーが確定しました。
この最終メンバーが、現「プレイバック‘70フォーク夢」の男4名中の3名と女1名です。
楽器編成は、主としてフォークギター2本、エレキベース、
タンバリン等のパーカションで(曲によってはフルート、ピアニカなども使用)、
ボーカルは主として男2名と女1名で行いました。
私は12弦リードギターとボーカルを担当しました。
主なレパートリーは、「かくや姫」「六文銭」ほかのコピーでした。
過日、この私のブログでタイトル「写真掲載の練習(40年前の練習小屋の現状)」
にて紹介した練習小屋を神奈川県南足柄の山の中に建て、
共同生活をするが如く練習に励みました。
1973年11月の第6回KFGコンサート、1974年4月の第8回KFGコンサートなどに
出演しました。
記念写真を追加掲載します。
■1973.12【飛行船】駿河小山の山中
1974年4月の第8回KFGコンサートのライブ録音は、
LPレコード(カッティング製法)にして保存しました。
【1974年7月】
その後、バンド名を「飛行船」から「Sound Circus」に変更し、
1974年7月のKFGコンサートで再出発しました。
メンバー変更もなく(男3名/女1名のまま)、基本的な楽器編成/レパートリーは
同じでしたが、先々のサウンド変更を目標にしていたと記憶しています。
KFGコンサート、生まれ育った静岡県での凱旋?コンサートなど、
活発な演奏活動を行いました。
【1975年5月】
「Sound Circus 1st.アルバム」を作成しました。
6CHアンサンブル・ミキサー、4CHリールテープ・レコーダーを使用して録音し、
カセットテープに収めました。
全曲とも、当時のプロアーティストの曲を我々なりにアレンジしたものでした。
カセットテープのジャケットに記載した内容を以下に書いてみます。
◇RL1001 ,Sound Circus 1st ,Produced by Music Trails Company ,May 1975
A1 ひとりきり (原曲:かぐや姫)
A2 夏の日の忘れもの (原曲:ダ・カーポ)
A3 私は広い海に出る (原曲:五つの赤い風船)
A4 へのへのもへじの赤ちゃん (原曲:六文銭)
B1 今はちがう季節 (原曲:かぐや姫)
B2 比叡おろし (原曲:小林啓子)
B3 加茂の流れに (原曲:かぐや姫)
B4 ボクの胸でおやすみ (原曲:かぐや姫)
B5 突然さよなら (原曲:かぐや姫)
◇Produced by Music Trails Company at EIJI-PELTE STUDIO ,
Recorded at Green Hill Studio
その後、リードギターを12弦フォークギターから6弦エレキアコースティックに
変えることにより、今までのアコースティックなフォークとは若干異なる、
エレキティックなサウンドに変えるようになりました。
そして、徐々に我々の仲間が創ったオリジナル曲を中心に演奏するようになりました。
記念写真を追加掲載します。
■1975.05 【Sound Circus】 南足柄のGreen Hill Studio周辺
【1975年10月】
1975年10月に実施のKFGコンサートは仲間のバンド「酒乱Ⅱ」の解散記念で、
友情出演しました。
そして結果的に、我々「Sound Circus」にとっても、
人前での最後の演奏となりました。
その後、仲間のバンドも徐々に活動を停止し、
KFG(神奈川フォーク集団)は活動休止状態となりました。
それぞれが仕事に、そして結婚して家庭に、注力するような世代になり、
引き潮の如くバンド活動から離れていったと記憶しています。
KFGコンサートは全11回実施し、個人単独も含む名簿登録バンドは30バンド、
会員54名でした。
【1976年7月】
その後も、我ら「Sound Circus」は、神奈川県南足柄の山の中の練習小屋で
練習を続け、「Sound Circus 2nd.アルバム」を作成しました。
1st.アルバムと同様に、6CHアンサンブル・ミキサー、4CHリールテープ・レコーダー
を使用して録音し、カセットテープに収めました。
2nd.アルバムは全曲とも、我々の仲間のオリジナル曲を我々なりにアレンジ
したものでした。
カセットテープのジャケットに記載した内容を以下に書いてみます。
◇RL1002 ,Sound Circus 2nd ,Produced by Music Trails Company ,
July 1976
A1 恋の空中戦 (作詞:yando,作曲:mtagu)
A2 3月24日の湖 (作詞・作曲:jtagu)
A3 胸さわぎ (作詞・作曲:jtagu)
A4 たとえば時計が本当ならば (作詞・作曲:jtagu)
A5 さよならなんて言わないで (作詞:msuzu,作曲:eayu)
A6 想い出は青空の彼方に (作詞・作曲:taki)
B1 やり直しの人生 (作詞・作曲:jtagu)
B2 かげろう (作詞・作曲:ksuzu)
B3 思い出は今ふたたび (作詞・作曲:noki)
B4 エミチャン (作詞・作曲:mtagu)
B5 小犬のビーバー (作詞・作曲:tnari)
B6 夏の夜は更けて(ブルースター) (作詞・編曲:jtagu)
◇Produced by Music Trails Company ,Recorded at Green Hill Studio
その後、我ら「Sound Circus」も活動休止となりました。
以上のフェーズ2の活動に並行して、
会社の独身寮のお祭りや、会社のダンスパーティで演奏する
寮祭バンド(イベントの直前にメンバーが集まり練習)もやりました。
エレキギター、エレキベース、ドラムス、キーボード、クラリネットなどで構成し、
女性ボーカルを中心に唄うバンドでした。
バンド名は当初「ティンカーベルとメロディーフェアー」でしたが、
その後も同じバンド名だったか記憶が定かではありません。
私は主としてエレキベースと時々ボーカルを担当し、
ビートルズの曲(Something, The long & winding load,
I saw her standing there)などを唄いました。
特に「I saw her standing there」はベースを弾きながら唄うとノリノリで
とても気持ちよかった記憶があります。
そして、このバンドもいつしか自然に活動休止となりました。
こうして、私のバンド活動の軌跡フェーズ2(1971年~1976年)は終わりました。
青春時代の終わりでもあったと思います。
この後(フェーズ3)は、およそ35年後の2009年から始まります。
フェーズ2の記念品を公開します。
◇1974年4月の第8回KFGコンサートの「ライブ録音LPレコード」のレコードとジャッケット
◇1975年5月に作成した「Sound Circus 1st.アルバム」のカセットとジャケット
◇1976年7月に作成した「Sound Circus 2nd.アルバム」のカセットとジャケット
私のバンド活動の軌跡を(私自身の記録メモとして)、
一部の記録と記憶を元に、3つのフェーズに分けて書いてみます。
☆フェーズ2(1971年~1976年)☆ ・・・少々長文です
【1971年9月】
この年の春、生まれ育った静岡県から神奈川県に移り住み、
その後、市内で音楽好きの友人と巡り合い、男3人のフォークバンドを結成しました。
バンド名は、当時メジャーデビューしていた「赤い鳥」を真似たのか
(記憶は定かではないが)、暫定名「赤い鳥居」でした。
【1971年12月】
バンド名を「赤い鳥居」から「白い風」に改名し、本格的な練習を開始しました。
フォークギター2本、ウッドベースの構成で、
私は12弦リードギターとボーカルを担当しました。
この時のベースマンと私が、現「プレイバック‘70フォーク夢」のメンバーです。
サイドギターとボーカル担当だったもう一人のメンバーは、
その後の「白い風」解散後に残念ながら若くして病死しました。
主なレパートリーは、「五つの赤い風船」「六文銭」「かくや姫」ほかのコピーと
オリジナル曲でした。
【1972年9月】
経緯は定かではないのですが、
「白い風」のベースマンを会長として(2代目は私だったかな)、
アマチュアフォークバンド団体「KFG(神奈川フォーク集団)」を立ち上げ、
1972年9月に第1回KFGコンサートを開催しました。
記念写真を追加掲載します。
■1972.09【白い風】第1回KFG(秦野市青少年会館)
【1973年4月】
これまた、経緯は定かではないのですが、「白い風」を解散することになり
(当時は、グループをつくっては解散することが流行っていた気がしますが)、
1973年4月の第4回KFGコンサートが解散記念となりました。
【1973年9月】
「白い風」解散後に、会社の同僚と男3名/女1名のフォークバンド「飛行船」を結成し、
途中で女性メンバーが入れ替わって、9月に最終メンバーが確定しました。
この最終メンバーが、現「プレイバック‘70フォーク夢」の男4名中の3名と女1名です。
楽器編成は、主としてフォークギター2本、エレキベース、
タンバリン等のパーカションで(曲によってはフルート、ピアニカなども使用)、
ボーカルは主として男2名と女1名で行いました。
私は12弦リードギターとボーカルを担当しました。
主なレパートリーは、「かくや姫」「六文銭」ほかのコピーでした。
過日、この私のブログでタイトル「写真掲載の練習(40年前の練習小屋の現状)」
にて紹介した練習小屋を神奈川県南足柄の山の中に建て、
共同生活をするが如く練習に励みました。
1973年11月の第6回KFGコンサート、1974年4月の第8回KFGコンサートなどに
出演しました。
記念写真を追加掲載します。
■1973.12【飛行船】駿河小山の山中
1974年4月の第8回KFGコンサートのライブ録音は、
LPレコード(カッティング製法)にして保存しました。
【1974年7月】
その後、バンド名を「飛行船」から「Sound Circus」に変更し、
1974年7月のKFGコンサートで再出発しました。
メンバー変更もなく(男3名/女1名のまま)、基本的な楽器編成/レパートリーは
同じでしたが、先々のサウンド変更を目標にしていたと記憶しています。
KFGコンサート、生まれ育った静岡県での凱旋?コンサートなど、
活発な演奏活動を行いました。
【1975年5月】
「Sound Circus 1st.アルバム」を作成しました。
6CHアンサンブル・ミキサー、4CHリールテープ・レコーダーを使用して録音し、
カセットテープに収めました。
全曲とも、当時のプロアーティストの曲を我々なりにアレンジしたものでした。
カセットテープのジャケットに記載した内容を以下に書いてみます。
◇RL1001 ,Sound Circus 1st ,Produced by Music Trails Company ,May 1975
A1 ひとりきり (原曲:かぐや姫)
A2 夏の日の忘れもの (原曲:ダ・カーポ)
A3 私は広い海に出る (原曲:五つの赤い風船)
A4 へのへのもへじの赤ちゃん (原曲:六文銭)
B1 今はちがう季節 (原曲:かぐや姫)
B2 比叡おろし (原曲:小林啓子)
B3 加茂の流れに (原曲:かぐや姫)
B4 ボクの胸でおやすみ (原曲:かぐや姫)
B5 突然さよなら (原曲:かぐや姫)
◇Produced by Music Trails Company at EIJI-PELTE STUDIO ,
Recorded at Green Hill Studio
その後、リードギターを12弦フォークギターから6弦エレキアコースティックに
変えることにより、今までのアコースティックなフォークとは若干異なる、
エレキティックなサウンドに変えるようになりました。
そして、徐々に我々の仲間が創ったオリジナル曲を中心に演奏するようになりました。
記念写真を追加掲載します。
■1975.05 【Sound Circus】 南足柄のGreen Hill Studio周辺
【1975年10月】
1975年10月に実施のKFGコンサートは仲間のバンド「酒乱Ⅱ」の解散記念で、
友情出演しました。
そして結果的に、我々「Sound Circus」にとっても、
人前での最後の演奏となりました。
その後、仲間のバンドも徐々に活動を停止し、
KFG(神奈川フォーク集団)は活動休止状態となりました。
それぞれが仕事に、そして結婚して家庭に、注力するような世代になり、
引き潮の如くバンド活動から離れていったと記憶しています。
KFGコンサートは全11回実施し、個人単独も含む名簿登録バンドは30バンド、
会員54名でした。
【1976年7月】
その後も、我ら「Sound Circus」は、神奈川県南足柄の山の中の練習小屋で
練習を続け、「Sound Circus 2nd.アルバム」を作成しました。
1st.アルバムと同様に、6CHアンサンブル・ミキサー、4CHリールテープ・レコーダー
を使用して録音し、カセットテープに収めました。
2nd.アルバムは全曲とも、我々の仲間のオリジナル曲を我々なりにアレンジ
したものでした。
カセットテープのジャケットに記載した内容を以下に書いてみます。
◇RL1002 ,Sound Circus 2nd ,Produced by Music Trails Company ,
July 1976
A1 恋の空中戦 (作詞:yando,作曲:mtagu)
A2 3月24日の湖 (作詞・作曲:jtagu)
A3 胸さわぎ (作詞・作曲:jtagu)
A4 たとえば時計が本当ならば (作詞・作曲:jtagu)
A5 さよならなんて言わないで (作詞:msuzu,作曲:eayu)
A6 想い出は青空の彼方に (作詞・作曲:taki)
B1 やり直しの人生 (作詞・作曲:jtagu)
B2 かげろう (作詞・作曲:ksuzu)
B3 思い出は今ふたたび (作詞・作曲:noki)
B4 エミチャン (作詞・作曲:mtagu)
B5 小犬のビーバー (作詞・作曲:tnari)
B6 夏の夜は更けて(ブルースター) (作詞・編曲:jtagu)
◇Produced by Music Trails Company ,Recorded at Green Hill Studio
その後、我ら「Sound Circus」も活動休止となりました。
以上のフェーズ2の活動に並行して、
会社の独身寮のお祭りや、会社のダンスパーティで演奏する
寮祭バンド(イベントの直前にメンバーが集まり練習)もやりました。
エレキギター、エレキベース、ドラムス、キーボード、クラリネットなどで構成し、
女性ボーカルを中心に唄うバンドでした。
バンド名は当初「ティンカーベルとメロディーフェアー」でしたが、
その後も同じバンド名だったか記憶が定かではありません。
私は主としてエレキベースと時々ボーカルを担当し、
ビートルズの曲(Something, The long & winding load,
I saw her standing there)などを唄いました。
特に「I saw her standing there」はベースを弾きながら唄うとノリノリで
とても気持ちよかった記憶があります。
そして、このバンドもいつしか自然に活動休止となりました。
こうして、私のバンド活動の軌跡フェーズ2(1971年~1976年)は終わりました。
青春時代の終わりでもあったと思います。
この後(フェーズ3)は、およそ35年後の2009年から始まります。
フェーズ2の記念品を公開します。
◇1974年4月の第8回KFGコンサートの「ライブ録音LPレコード」のレコードとジャッケット
◇1975年5月に作成した「Sound Circus 1st.アルバム」のカセットとジャケット
◇1976年7月に作成した「Sound Circus 2nd.アルバム」のカセットとジャケット
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