我が子が中学生になり
初めての定期テストを経験した。
その結果を
親として受け止める。
中2、中3と学年が進んでいき、
いよいよ高校受験。
経過を見つめ、結果が出て
そして高校生に。
親として、
このあたりまでくると
さすがに全員が気づくことがある。
「危機感や欲を持って
能動的に行動しなければダメ」
塾ができることは
① 本人の自覚
② 学習内容という経過
③ テストや入試の結果
の3要素。
最も目について、
最も求められがちなのが
③の結果であり、
「塾はそのためにある」
と思われている。
極端な話、
「合格をお金で買う」
みたいな気持ちであろう。
しかし当然だが、
合格という結果は、
そのテストをクリアーするだけの
学習内容の理解と定着が
なければならない。
日々の学校や塾の努力は
ここに注がれる。
授業をし、
テストをし、
質問に答える。
勉強は5教科あり、
そのどこに力を注ぐかは
それぞれ違うが
目標からの逆算で考えて
カリキュラムは組まれる。
その中での吸収や定着の差が
「経過」の差→「結果」の差
へと繋がっていく。
ここまで書いてきて、
もう話の結論は見えてますね?
この吸収や定着の差は
なぜ生まれるのか?
それは
① 本人の自覚
もうね、ここなんです。
そうだな
炒め物をするぞ!
って思った時の
フライパンの温度みたいな感じ?
野菜は切ったし、肉も切った。
食材は全て準備し、油も入れた。
さあ、フライパンに
それらを全てと投入だ!
十分に熱せられている
フライパンからは
ジュア!!!!
という良い音が聞こえる。
軽く跳ねる油
香ばしい香りもすぐに感じ
色づき始める肉
あっという間に
食べごろの感じになり、
慌ててお皿を準備し、
そこに熱々のまま盛る。
簡単に想像できますよね?
それに対し、
全く熱せられてない
フライパンはどうでしょうか?
食材を入れても、何の音もない。
油は野菜に絡みつくだけ。
無音
変化なし
しばし待てど、
何の変化もない。
あれ?おかしくない?
そう思って確認すると、
「IH対応じゃないじゃん!」
なんてこともあります。
「なんで我が子は伸びないだろう」
そう思う保護者は
少なくないはず。
しかし
現場に毎日立つ身として
言わせてもらうと
伸びる子と伸びない子には
これだけの差があるんだ
と切に伝えたい。
責任転嫁?
そう聞こえるかもしれないが
その子が生まれてから今日まで
十分に熱せられた
フライパンにしてきたか、
先々、
IHのコンロって分かってるのに
IH対応にしてこなかったか・・・
それだけの違いがあるってことは
塾の先生には分かるんですね。
読み聞かせを
たっぷりしてきたか。
読み聞かせた内容で
たっぷり話をしたか。
いろいろなものを
手や目に触れさせ、
思考を促すような言語化をしてきたか。
疑問詞を多用する会話で
思考を掘り起こしてきたか。
日々のコミュニケーションで
語彙を増やしてきたか。
親自身が学ぶ姿勢、
考える姿勢を、
行動する姿勢を見せてきたか。
価値観の刷り込みを
念仏のようにしてきたか。
毎日のルーティンに
「学習」を組み込んできたか。
その中で
「達成感」を感じるよう
言語化してきたか。
夫婦で
そういう考えや行動を
共有してきたか。
そういう意識や行動の全てが
「我が子が自覚的に
行動できるようになるために!」
ということに繋がってる。
小1から高3まで
塾生を見ていると、
当然ながら、
その親も間接的、直接的に
見ることになる。
学年が上がれば上がるほど、
親の意識は
①→②→③
へと強くなっていく。
しかし
IH非対応のフライパンを
IH専用のコンロに乗せても
駄目なんです。
いくら食材や
料理人の腕が良くてもね
望んだ料理はできない。
それでも焦って
火力を上げたらどうなる?
IH非対応のフライパンは・・・
結局、一番大事であり、
唯一大事だと言ってもいいものが
① 本人の自覚
って、こればかりは
経験した保護者しか
分からないことなんだけどね・・・・
どんな食材を入れてもらうか!
どんな包丁で切ってもらうか!
どんな料理人に頼むか!
IH非対応のフライパンを持って
ウロウロする親の
なんと多いことか。
違う、そこじゃない。
そこに時間かけても
全くの無意味なんです。
その手に持ってるフライパン
よく見て下さいよ。
よく触ってみて下さい。
そもそも金属でもない、
って場合もありますよ?
IH対応でも、
分厚すぎて
全く熱が伝わらない
パターンもありますよ?
家でちゃんと
ある程度熱してきましたか?
結局は、そこなんです。