本の感想

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酒屋のおまき⑤

2024-01-29 21:23:15 | 日記

酒屋のおまき⑤

 苦情をいうヒトがいて、大叔母は常吉さんやおまきさんのそばに眠ることができないでいる。腹を立てた私の母親は、近所の寺のヒト区画に大叔母を永代供養した。母親亡き後、その墓地に香華を手向けるのはもうわたし一人になってしまった。私の倅はどんなに言っても多分お参りしないであろう。

 彼岸花の咲くころ、わたくしは立ち姿もまた座り姿も美しかった女性を思い出す。姿勢に気品のある女性であった。わたしの祖父母に愛され必要とされた人であった。


小説 酒屋のおまき④

2024-01-29 10:38:21 | 日記

小説 酒屋のおまき④

 戦後、おまきは店を長男に任せて隠居した。おまきの提案によって、立ち飲み屋をやめてスーパーに作り替えていった。これは功を奏して中堅の企業に育て上げることができた。大きな家で福禄寿を描いた紫檀の屏風に囲まれた生活である。給料日には、すべての店員の中の一番高い月給よりも高額の給与を給料袋に入れて、砂川町へ女中を連れて持参した。

 上品で小柄な女性は、さらに小柄になっていたが背筋の伸びた姿勢のいい人である。何も言わずにそれを受け取った。女中がその家の台所を借りてお茶を淹れて運んでくる。持ってきたお茶菓子をだして、おまきは昔話をするが上品で小柄な女性はその場ではお茶もお菓子も口にせず、ただ小さくうなずくだけであった。

 おまきは、店を継いだ我が子にはもちろんのこと他家へ嫁入りした娘にも、さらには信頼のおける重役にも砂川町のヒト(自分の妹)への給料の支払いを怠るなと言い続けて、それは確かに履行された。おまきの方が年上であったから心残りであったからであろう。おまきは八十をはるかに越えて身罷った。砂川町のヒトが身罷ったのはそれから二十七年たったときで九十を大きく越えていた。

 

エピローグ

 このお話は作り話ではない。おまきさんは、私の母方の祖母でいつもにこにこしている饒舌な人であった。孫の私や私の従兄弟が遊びに行くと、決まって天ぷらを作ってくれた。決して女中さんには作らせなかった。ただ揚げた天ぷらを古新聞の上に載せるので、わたしはインクが天ぷらに付着していないかといつも心配していた。

 私の大叔母、(私の母親からだと叔母)はどういう訳だかその年の流行の色柄を当てることができるヒトであった。毎年服やキモノを買う前には必ず大叔母のもとへ相談に行っていた。わたしもそれに同伴したことが何度もある。大叔母の最後を看取ったのは私の母親である。たぶんおまきさんに命じられていたのだろう。 おまきさんのどうしても足りないところを大叔母が受け持っていた。おまきさんと大叔母は実は二人で一人であった。

 

 孔子に「備わらんことを一人に求むる勿れ」とある。これは、自分の目の前にいる人間が何でもかでも出来るひとだと思ってはならないとの教えとされているが、そうではない。

「あなた一人ですべての幸せを受け取ることなんかとてもできないのですよ。あなたに代わって幸せを受け取るヒトを探してそのヒトを大切にしなさい。それが、あなたが少しだけでも幸せになる方法です。」

との教えだと考える。

 六本木や霞が関や丸の内で働く人々の背中を見ると、ひとりで何もかもの幸せを受け取りたいとの意欲に満ち溢れている。その人々より、おまきさんの方が成功した人だとわたしには見える。幸せは決して一人で受け取ってはならないものである。