本の感想

本の感想など

浅草の浅草寺

2024-01-18 20:59:14 | 日記

浅草の浅草寺

 京都奈良の寺院を見慣れていると、伽藍はともかく堂宇がこじんまりしていてこれでこれだけの名声のあるのは上がりすぎな気がする。仏像は鋼鉄製の網越しにしか拝めないのでしっかりとは見えない。ここの観音さんに限らずこの網越しの拝観はどうもよくない。せめて透明ガラス越しに拝観できないものか。

 昔も今も都会で生活すると気詰まりになる。自然が少なくて他人との接触が多いと、気散じが必要になる。気散じのためにさらに人ごみの中を参詣するのは間違えた方向のような気もするが、昔から人々はそうしてきた。どうも都会地から人のいないところへ行って気散じをするという風にはならないようである。(本当は野山に一人になりに行かねばいけないはずだがそうする人は少ない。)浅草寺観音は、その人ごみの中で気散じをする人々に愛された仏様であろう。

 江戸の昔から都会地で孤独に暮らす人の中には、気鬱の病に陥る人も多くいたであろう。その人々を支えたのであるからえらい観音さんである。戦後の集団就職、その次の田中角栄の列島改造の時代は、都会に人を移して都会人を作り、その人々が各々貨幣を所有することで国富を増やした時代である。それを押し進めるための政策は多分抜かりがなかったと思われるが、その人々の心の問題を減らそうという政策はあの田中角栄ですら、一切打たなかったと考えられる。各人は各人の費用持ち出しで、例えばこの浅草観音さんのところへ来てささやかなお願い事をし、帰りに仲見世でちょっとしたものを買うくらいの楽しみを見つけて暮らしたと考えられる。

 都会地にヒトを集めるというのは、国家にとってはお得、個人にとってはお得な人と損な人とに分かれると考えられる。たとえお得な人であっても、都会地で暮らすための心の負担は自分で何とかしないといけないということになっているようである。(私はそれはおかしいと常々考えている。うまく行くような施策を打つべきである。)

 一般に各人が自分の楽しみを見つけるというのは、三度の御飯を食べることと同じくらい大事なことなのになぜか等閑にされている。三度の食事に関しては嘘か真か梅干しとウナギの喰い合わせがいけないとまで指導するくせに、一日のうち自分の楽しみの時間はこれだけは取りましょうという指導は一切ないのである。周りのヒトをすべて敵とみて競争しているようでは、身が持ちませんよという指導もないのである。そのような都会に出てきて困っている人を、この浅草観音さんは見守り続けたのであるから功績はかなり大きい。背の高い瘦身の観音像だが庶民の信仰を集めただけの重みが感じられる。


東京の芝増上寺を見てきた

2024-01-18 11:40:20 | 日記

東京の芝増上寺を見てきた

 浮世絵で有名な東京芝の増上寺を一度は見に行かねばと行った。浮世絵と同じ赤色には見えないのはこの百年ほどで色が変化したのか。大門の下を自動車が流れていくのは初めて見た。東大寺の南大門の下を自動車が流れていくのはとても想像できないが、その想像できないことが起こっている。中国の城塞の石造りの門の下を自動車が流れているのを見ても、ああそんなものだろうと思うが、日本の木造の門の下を二車線以上の自動車が流れていくのはびっくりした。

 私は、奈良東大寺のそばで育ったので大抵な木造建築には驚かないが、増上寺の大きさには驚いた。さすが徳川家の菩提所である。周囲に巨大なビルや東京タワーまであるのにこの寺にはずっしりした存在感がある。

しかし、肝心の将軍墓所はごく狭くて質素な石塔が静かに並んでいるだけであった。芭蕉はこれを参観することなかったろうがもし見れば何と詠むだろう、幕府隠密の噂が絶えない人である、将軍に対して失礼な嫌味を言うかどうか見どころである。ここには確認していないが初代と最後の将軍を除いた全員がお入りのようである。巨大権力機構の頂点であるからさぞや凄いと思っていたが、石塔から見て将軍は案外不自由で面白味のない気の毒な人生ではなかったかと想像する。教科書では吉宗は違ったとか書いてあったが、実際のところは入っていない初代と末代を除いてみな同じような人生であったと想像する。個性がない。かろうじて石塔の屋根の形と窓の形に違いがあるだけである。将軍には個性は許さないという組織の縛りが感じられる。大奥に出入りできるからいいなと思っていたが、どうもそうでもなさそうである。

一番驚いたのは、本堂には御本尊が一体だけで脇侍が一切ない。京都の東寺や三十三間堂の千体仏や奈良東大寺の三月堂(法華堂)を見慣れていると肩透かしにあった気がする。あんだけ大きな門があるのにである。

ただし、本堂の中で読経の場面に遭遇したことは幸せなことであった。たった数人で大きなお堂の中が読経の声で一杯になる。お坊さんのお堂の中への出入りの所作は、お能の所作と全く同じである。横笛がないだけで、読経の声を謡の声、御本尊を松の絵、に置き換えれば一幕の能舞台と同じである。おそらくお能は、この宗教の儀式から派生発展したものであろう。儀式であるから歌舞伎の様な派手な立ち回りがないのは当然である。多分お能は、楽しむために見るものではなく儀式に参加して自分の心を鎮めるために見るものであろう。であるから見るにしても数年に一回かせいぜいが年に一回見るものであったと想像される。

どんな宗派でも大きなお堂が必要なはずである。そこで良い音または歌声を聞くことが、仲間との一体感を醸成することになると考えられる。その一体感が宗教の一番のもとになりそうである。聞いた話によると二万五千ヘルツの近辺に仲間との一体感を醸成する音があるそうである。もちろん単独では聞こえないが様々な歌声や楽器から出る音にはこの二万五千ヘルツが乗っかているだろう。ただしCDにするとこの帯域は一切録音されないから一体感を味わうためにはどうしてもよく響く大きなお堂で生の音を聞くことが必要と考えられる。

この音を支配し操作することは、人々を支配し操作することにならないか?なるなら恐ろしいことである。

読経の声を聴きながらそんなことを考えた。