浅草の浅草寺
京都奈良の寺院を見慣れていると、伽藍はともかく堂宇がこじんまりしていてこれでこれだけの名声のあるのは上がりすぎな気がする。仏像は鋼鉄製の網越しにしか拝めないのでしっかりとは見えない。ここの観音さんに限らずこの網越しの拝観はどうもよくない。せめて透明ガラス越しに拝観できないものか。
昔も今も都会で生活すると気詰まりになる。自然が少なくて他人との接触が多いと、気散じが必要になる。気散じのためにさらに人ごみの中を参詣するのは間違えた方向のような気もするが、昔から人々はそうしてきた。どうも都会地から人のいないところへ行って気散じをするという風にはならないようである。(本当は野山に一人になりに行かねばいけないはずだがそうする人は少ない。)浅草寺観音は、その人ごみの中で気散じをする人々に愛された仏様であろう。
江戸の昔から都会地で孤独に暮らす人の中には、気鬱の病に陥る人も多くいたであろう。その人々を支えたのであるからえらい観音さんである。戦後の集団就職、その次の田中角栄の列島改造の時代は、都会に人を移して都会人を作り、その人々が各々貨幣を所有することで国富を増やした時代である。それを押し進めるための政策は多分抜かりがなかったと思われるが、その人々の心の問題を減らそうという政策はあの田中角栄ですら、一切打たなかったと考えられる。各人は各人の費用持ち出しで、例えばこの浅草観音さんのところへ来てささやかなお願い事をし、帰りに仲見世でちょっとしたものを買うくらいの楽しみを見つけて暮らしたと考えられる。
都会地にヒトを集めるというのは、国家にとってはお得、個人にとってはお得な人と損な人とに分かれると考えられる。たとえお得な人であっても、都会地で暮らすための心の負担は自分で何とかしないといけないということになっているようである。(私はそれはおかしいと常々考えている。うまく行くような施策を打つべきである。)
一般に各人が自分の楽しみを見つけるというのは、三度の御飯を食べることと同じくらい大事なことなのになぜか等閑にされている。三度の食事に関しては嘘か真か梅干しとウナギの喰い合わせがいけないとまで指導するくせに、一日のうち自分の楽しみの時間はこれだけは取りましょうという指導は一切ないのである。周りのヒトをすべて敵とみて競争しているようでは、身が持ちませんよという指導もないのである。そのような都会に出てきて困っている人を、この浅草観音さんは見守り続けたのであるから功績はかなり大きい。背の高い瘦身の観音像だが庶民の信仰を集めただけの重みが感じられる。