楊貴妃観音
むかし楊貴妃観音像を美術館で見て、是非ご実家である観音堂にお祭りしてある場面を拝見したいと思い京都泉涌寺へ出かけて行った。美術館では光背も外されているし脇侍仏もないし、なによりガラスケースの中なので雰囲気が良くなかったからである。
楊貴妃観音像は、来歴はよく知らないが宋時代に宋で宋の彫刻家によって作られて我が国に持ち込まれたのではないかと思う。わが国の運慶快慶と同じ様式で彫られている。宋は中国のルネッサンスというのはこの彫刻を見ても明らかでリアリズムにあふれている。飛行機に乗ってローマパリに行って遠くミケランジェロを見ないでも、ルネッサンスの彫刻はわが国の中にいくらでもあるとわたしは思う。楊貴妃観音像は優れた(多分宋時代の)ルネッサンスの作品だと思う。
楊貴妃本人は唐のヒトであるから、彫刻家は本人を知るはずもない。彫刻家はモデルを宋時代の地位ある女性に頼んで冠をつけ威儀を正した姿を彫ったのではないかと思われる。観音像は男でも女でもない相として彫られるはずだがこれはあきらか教養ある女性として彫られていて、綺麗とか色気があるとかではない、大変な気品があるのである。この彫刻家は、モデルの気品を写し取ることに成功した。千年の時を経て、このモデルになった女性の気品を像の前で感じることができる。私はもう一遍あの気品を味わいたいと考えたのである。
楊貴妃観音堂は京都泉涌寺の門を入った小さなお堂で確かに光背を付けてガラスケースの中ではなかったが、光が差さないしひどく遠くで見えにくい。そのうえ脇侍仏が十に近い羅漢像でこれが楊貴妃像と同じかどうかすると楊貴妃より大きくて威圧感がある。羅漢像と楊貴妃像の組み合わせはどうもいけない。童女が一人がうちわであおいで、一人が果物の高坏をささげている図でないといけない。行ってみてがっかりした。
この観音堂では、様々なお札を販売している。「美人になるお札」はいいかもしれない。しかし「安産祈願」のお札はちょっとお願いする方向が違うような気がするのだがこのお札が一番値段が高かった。需要が高いのであろう。楊貴妃は美人の代表のように言われているが、その悲劇的な最後を見ると美人であるがために却って損をした例のように思われる。そのうえ傾国の美女とかも言われるから甚だ旗色が宜しくない。従ってお札を売りだす時の宣伝文句には少々難があるヒトである。
このお堂には若い男のヒトがお参りに来るべきだろう。「自分は器が大きいから、傾国の美女にはしません、是非楊貴妃の様な容色優れて教養ある女性をお恵みください。」とお頼みするのがいい。そのためにももっと近くで明るい照明でお姿を拝見できるようになってほしいものである。