映画 ナポレオン ③
普通は英雄として格好よく描くところをそうでもない普通のヒト(さらにかなりの弱虫)として描いている。このことに何か意味があるに違いないと考えていた。こうではないかと思い当たった。
映画ナポレオンは、フランス王家がギロチンにかけられたところから始まる。王政が終わって国民国家の時代になると、システムとして国民国家の方が強いから国家が膨張する、その膨張する軍隊を率いたのがナポレオンであるとして描いている。納税と兵役に応じる義務をもつ国民(代わりに選挙権があるそうだけど革命後すぐにあったかどうだかは疑わしい)を差配したのがナポレオンであろう。だったら巷間言われている様に、ナポレオンの個人的資質によって勝ったのではないということをこの映画は言いたかったと思える。あれは勝つべくして勝った戦いである、王様のいない共和政は(指揮官に依らずに)こんなにも強いんだぞ、ということを言いたいのではないか。
幕末の頃、幕府側についたのはフランスであるという。もちろんフランスは自国の革命の歴史を微に入り細に入り慶喜にご進講したはずである。この講義によって慶喜は、王様のいない国家の方が強くなることを知っていたはずである。だからさっさと謹慎生活に入った。当時の武士だから命が惜しいとかは思わなかっただろうが、ここで戦っても、運が自分に向いているとはとても思えないことを知っていたと思える。運を背負っているほうが勝つことを慶喜は当然知っていただろう。(西郷隆盛はこの時、運を背負っているほうだろう。)
尤もフランスもここは難しい局面で、慶喜に正直に教えたばっかりにせっかく肩入れした幕府に負けてしまうように勧めたことになる。何でも正直に喋ると損をする例である。
さらに進んで、今は国民国家が強いことになっているけれど、それより強いシステムが現れたら負けることになるんですよともこの映画は言いたいのかもしれない。
娯楽映画でありながら、いろんな見方ができるしいろんな考えの湧いてくる映画で、こんなのがいい映画であると思う。