30代後半から、40代後半まで、「陶器」に凝ったことが有った
「抹茶椀」「ぐい呑み」「湯呑」などだが
「湯呑」は、家使いがほとんどなので、数は少ない
一番のお気に入りは「萩焼」だった
「ぐい呑み」は、同僚や上司が転勤したときの、餞別に随分使った
お抹茶用は、お気に入りを買い求めた
出張の時に、名の有る窯を訪ねたり
当時の私にしては「高価」な品も、ちょいと背伸びして買い求めた
探しても手に入らなかったのが「黒楽の筒茶碗」
ピタッとした感じのが、どうしても見つからなかったのだ
安いサイドボードに並べて、時々使っては「粋」を気取っていたのだ
それらが一つを残して、ある時の地震で、ものの見事に壊れた
残った一つは「修学旅行」の時買った「清水焼」の湯呑
現在は、ヒビが入って、使用に耐えないが・・、大事にしている
その地震で壊れた陶器を見て
「型有るものは壊れる」のだと痛感した
以後、陶器集めは止めた
器とは、外見ではなく、器本来の使いやすさが大事なのだ、と
安い飯茶碗でも、ゴハンが美味く感じられれば充分なのだと・・・
高い物に、あまり興味を持たなくなった
使い勝手の良い物を中心に、選んでいる
それは、着るものにも表れていて、高価な洋服は・・・ない
値段は安くても、十分な品が沢山ある・・・、負け惜しみかな?