イエスの子らは、クリスマスを大事にしている筈なのに
戦は、止まない
ユダヤ教もイスラム教も、ロシア正教も出はキリストなのに・・・
『「神は、人間に絶望していない」というメッセージをたずさえて、
胎児は生まれてくる』(タゴール(インドの詩人))
人は、全ての平和を実現することは出来ないのだろうか
イエスの子らは、クリスマスを大事にしている筈なのに
戦は、止まない
ユダヤ教もイスラム教も、ロシア正教も出はキリストなのに・・・
『「神は、人間に絶望していない」というメッセージをたずさえて、
胎児は生まれてくる』(タゴール(インドの詩人))
人は、全ての平和を実現することは出来ないのだろうか
30代後半から、40代後半まで、「陶器」に凝ったことが有った
「抹茶椀」「ぐい呑み」「湯呑」などだが
「湯呑」は、家使いがほとんどなので、数は少ない
一番のお気に入りは「萩焼」だった
「ぐい呑み」は、同僚や上司が転勤したときの、餞別に随分使った
お抹茶用は、お気に入りを買い求めた
出張の時に、名の有る窯を訪ねたり
当時の私にしては「高価」な品も、ちょいと背伸びして買い求めた
探しても手に入らなかったのが「黒楽の筒茶碗」
ピタッとした感じのが、どうしても見つからなかったのだ
安いサイドボードに並べて、時々使っては「粋」を気取っていたのだ
それらが一つを残して、ある時の地震で、ものの見事に壊れた
残った一つは「修学旅行」の時買った「清水焼」の湯呑
現在は、ヒビが入って、使用に耐えないが・・、大事にしている
その地震で壊れた陶器を見て
「型有るものは壊れる」のだと痛感した
以後、陶器集めは止めた
器とは、外見ではなく、器本来の使いやすさが大事なのだ、と
安い飯茶碗でも、ゴハンが美味く感じられれば充分なのだと・・・
高い物に、あまり興味を持たなくなった
使い勝手の良い物を中心に、選んでいる
それは、着るものにも表れていて、高価な洋服は・・・ない
値段は安くても、十分な品が沢山ある・・・、負け惜しみかな?
この時期になると、テレビも新聞も
今年他界した著名人の方々を紹介している
ほとんどは、私のような庶民にはお会いしたことはもちろん
すれ違ったことさえない方たち
が、活躍はメディア報道で知っている
作家等の方は、著作物を所有していたり
映画などの方は、鑑賞して知っていたり・・程度
「人は死ぬ」という事を、痛感したのは
昭和天皇の「葬送の儀」をテレビで見ていた時
24時間体制で、最先端の医療技術で健康管理を受けて
いたであろう方でも「死」を逃れることは出来ない
この時「人は死ぬ生き物」であるという事を、納得した
それまで「死」は捉えどころのない物だったのだが
妙に、「腑に落ちる」感じだったのだ
この時以後
「形あるものは壊れる。命あるものは死ぬ」という事が
本当に、当たり前のこととして、腑に落ちたのである
まぁ、だからといって、世界は変わらなかったけど・・・ネ
まぁ、どちらかというと「苦しい時の神頼み」派ですけどね
行き詰ったりした時は
「全ての仏様神々よ、全ての天使よ、力を貸したまえ」
てな、まことに自分勝手な祈りをする
そんな私だから「クリスマス」は、まず神棚に手を合わせ
仏壇に線香を上げ、その後何の気兼ねもなく
「ジングルベル」や「きよしこの夜」を歌ったり・・
定番の肉やケーキを食べる
罪悪感は・・、ないナ~
まっ、年中行事の一つ、くらいの感じだね
だから、借金してまで「献金」なんて考えたこともない
あれは、どうなるんだろう・・・ネ
私が小学生の頃は、一クラス「50人」だった
ちなみに中学校は15組まで有った
小学校は「二部授業」の時が有って、午前の登校組と午後登校組
担任は一人、我々やかましいチビ共の面倒を見ていた
廊下を走って、男先生に往復ビンタなんてのは・・日常茶飯事
親は「殴られるお前が悪い」と一言だけ
仲良しグループは幾つかに分かれていたけど
現在の「イジメ」や「仲間外れ」はほとんどなかったように感じる
今の教員は、その頃に比べてたら恵まれているのでないかと思う
教頭は二人、一クラス「40人以下」、副担任がいて、
養護教諭(当時もいたけど)、スクールカウンセラー
スクールソーシャルワーカー、おまけにスクールロイヤーまでいる
たしか、大学教授などが時々(年に数回)全体の巡回相談にやって来るなど
残業手当(全額ではないけど)だって出ているし・・・、
そう考えると、今の先生は、私らの頃の先生に比べたら
恵まれているんじゃないか・・・、と思ってしまう
学校行事は、そんなに変わっていないはずだしナ~・・・などと
とはいえ、きっと大きく変わった大変さが有るのだろう、と
子供たちにとって「先生は親より大事」な時も有ったりするのだから
先生たちよ、頑張って下さいね
あなたたちが、日本の将来を担う子を育ててるんだから・・。