「沢木耕太郎」が、日本社会党の党首「浅沼稲次郎」を小刀で殺害したテロリスト「山口二矢(おとや)」を描いたルポルタージュ作品『テロルの決算』を読みました。
『危機の宰相』に続き「沢木耕太郎」作品です。
-----story-------------
あの時、政治は鋭く凄味をおびていた
17歳のテロリストは舞台へ駆け上がり、その冷たい刃を青ざめた顔の老政治家にむけた。
とぎすまされたノンフィクションの最高傑作!
少年の刃が委員長の胸を貫いた瞬間に社会党への弔鐘が鳴った。
テロリストと野党政治家とが交錯する一瞬までをたどる大宅賞受賞作
-----------------------
『危機の宰相』と同じく、戦後の転換点となった1960年(昭和35年)を「沢木耕太郎」が描いたノンフィクション作品、、、
『文藝春秋』の1978年(昭和53年)1月号~3月号に掲載された作品を全面改稿し、1978年(昭和53年)9月に単行本として刊行された作品の文庫化作品です。
■序章 伝説
■第一章 十月の朝
■第二章 天子、剣をとる
■第三章 巡礼の果て
■第四章 死の影
■第五章 彼らが見たもの
■第六章 残された者たち
■第七章 最後の晩餐
■終章 伝説、再び
■あとがきⅠ
■あとがきⅡ
■あとがきⅢ
■主要参考文献
日本社会党の党首「浅沼稲次郎」が、衆目の中で17歳の少年に刺殺された事件(「浅沼稲次郎暗殺事件」)は、知識としては知っていましたが、あまり関心を持ったことがなく詳しいことは知らなかったのですが、、、
「浅沼稲次郎」と「山口二矢」のそれぞれの生い立ちと人格形成に与えた出来事や、当時の右翼や日本社会党、そして日米安保を巡る社会情勢などの背景についても詳細に描かれており、それぞれの立場を並列に描くことにより、この事件に隠されていたものが浮かび上がり… そして、二人が邂逅する一瞬までが「沢木耕太郎」の膨大かつ緻密な取材や関係者への丁寧なインタビューにより浮彫りにされています。
1960年(昭和35年)10月12日午後3時頃、「山口二矢」が遅れて現地に到着したことにより警備が手薄になっていたことや、入場券がなく入場できず愕然としている姿を見た係員が不憫に思い入場券を渡してくれたり、場内でビラ配りがあったことから警備の眼が右翼団体に向かっていたり… と、多分に偶然というか、運の要素も加わり、刺殺は成功します、、、
これはもう、運命というか、持って生まれた何かが、「山口二矢」を突き動かしていたとしか思えないですね… このような逸話含め、第五章以降の展開は一気に読ませる圧倒的な迫力がありましたね。
殺人という手段に訴えたことは、決して許されることではありませんが、「山口二矢」の純粋な気持ちには驚かせれました、、、
人間って、ここまで純粋になれるんですね… でも、現代の人々は、ここまで純粋に生きることはできないような気がするなぁ。
第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した作品だけあって、ノンフィクションとは思えないような迫力のある作品でした… ノンフィクション作品の傑作でしょうね、、、
当初、「山口二矢」に感情移入しつつ読み進めていましたが、途中からは「浅沼稲次郎」に感情移入していました… 二人のうち、どちら側の立場で読んでいくのかによって、作品の印象は随分違うんだろうなぁ と思いました。
『危機の宰相』に続き「沢木耕太郎」作品です。
-----story-------------
あの時、政治は鋭く凄味をおびていた
17歳のテロリストは舞台へ駆け上がり、その冷たい刃を青ざめた顔の老政治家にむけた。
とぎすまされたノンフィクションの最高傑作!
少年の刃が委員長の胸を貫いた瞬間に社会党への弔鐘が鳴った。
テロリストと野党政治家とが交錯する一瞬までをたどる大宅賞受賞作
-----------------------
『危機の宰相』と同じく、戦後の転換点となった1960年(昭和35年)を「沢木耕太郎」が描いたノンフィクション作品、、、
『文藝春秋』の1978年(昭和53年)1月号~3月号に掲載された作品を全面改稿し、1978年(昭和53年)9月に単行本として刊行された作品の文庫化作品です。
■序章 伝説
■第一章 十月の朝
■第二章 天子、剣をとる
■第三章 巡礼の果て
■第四章 死の影
■第五章 彼らが見たもの
■第六章 残された者たち
■第七章 最後の晩餐
■終章 伝説、再び
■あとがきⅠ
■あとがきⅡ
■あとがきⅢ
■主要参考文献
日本社会党の党首「浅沼稲次郎」が、衆目の中で17歳の少年に刺殺された事件(「浅沼稲次郎暗殺事件」)は、知識としては知っていましたが、あまり関心を持ったことがなく詳しいことは知らなかったのですが、、、
「浅沼稲次郎」と「山口二矢」のそれぞれの生い立ちと人格形成に与えた出来事や、当時の右翼や日本社会党、そして日米安保を巡る社会情勢などの背景についても詳細に描かれており、それぞれの立場を並列に描くことにより、この事件に隠されていたものが浮かび上がり… そして、二人が邂逅する一瞬までが「沢木耕太郎」の膨大かつ緻密な取材や関係者への丁寧なインタビューにより浮彫りにされています。
1960年(昭和35年)10月12日午後3時頃、「山口二矢」が遅れて現地に到着したことにより警備が手薄になっていたことや、入場券がなく入場できず愕然としている姿を見た係員が不憫に思い入場券を渡してくれたり、場内でビラ配りがあったことから警備の眼が右翼団体に向かっていたり… と、多分に偶然というか、運の要素も加わり、刺殺は成功します、、、
これはもう、運命というか、持って生まれた何かが、「山口二矢」を突き動かしていたとしか思えないですね… このような逸話含め、第五章以降の展開は一気に読ませる圧倒的な迫力がありましたね。
殺人という手段に訴えたことは、決して許されることではありませんが、「山口二矢」の純粋な気持ちには驚かせれました、、、
人間って、ここまで純粋になれるんですね… でも、現代の人々は、ここまで純粋に生きることはできないような気がするなぁ。
第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した作品だけあって、ノンフィクションとは思えないような迫力のある作品でした… ノンフィクション作品の傑作でしょうね、、、
当初、「山口二矢」に感情移入しつつ読み進めていましたが、途中からは「浅沼稲次郎」に感情移入していました… 二人のうち、どちら側の立場で読んでいくのかによって、作品の印象は随分違うんだろうなぁ と思いました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます