残雪の穂高・大地の詩が聴こえる。

旅の始まりは1975年に遡る、、31年前だったようです。
穂高稜線
近畿の屋根と呼ばれている 大杉谷 に足を踏み入れ、以来、北アルプスを手始めに、北に南に随分と歩いたものです。
結婚後しばらく山から離れていたものの1993年、再び山に帰ってきました。
人生はなかなかうまく行かないもので、強度のストレスから体調を崩してしまい、
2001年の西穂高・独標を後にしばらく山から遠ざかっていました。

残雪・穂高の稜線に立ちたいとの想いが断ち切れぬまま・・、
ネットの世界に踏み入れて、ぽつりぽつりと心の想いを書き連ねていました。
独り言霊から始まり、、ホームページを創り・・ブログに辿り着き、
幾つかのサイトを整理し記事をこのブログに移植しつつ、記事数は1,000を超えました。

ブログに、いつか歩いた足跡を 遥か山旅 のカテゴリとして綴っていて、
皆さまから温かいメッセージを頂き、どれほど励みになったことでしょう。
一つ一つのメッセージに背中を押され、、昨年には秋の上高地に出かけることが出来ました。
四季折々の風景が、時の流れとともに繰り広げられる景色に魅せらたまま・・、
長かったのか、短かったのか・・・今年、ようやく夢にまで見た残雪の穂高稜線に立つことが出来ました。
上高地・小梨平キャンプサイトにテントを担いで入ったものの、西穂高・独標に辿り着く願いは叶いませんでしたが、記録的な残雪があるのに、単独で穂高の稜線に向かうとは論外だったのかもしれません・・。
自然の力(自然の神?)には逆らえず稜線上に止められました(それでも良かったなぁ~)。

今回も単独行だったのですが・・・、
パートナーと登っているような、そんな感覚を絶えず持っていました。
皆さんの励ましがあり、残雪の穂高稜線に立ったことは良い想い出になりました。
ありがとうございました。 
生きてるだけで・・大儲け!!

皆さんのご協力で『ライブカメラ』の画像も保存して頂き・・、
それを拝借してこちらのサイトに掲載することも出来ました。。
しかし、、孤高・疑惑のライブカメラ などの画像では、私がちっちゃ過ぎて、、よう分からん!?!? 
・・・とコメントを頂きました。。
昨年秋の山旅では、河童橋の上で・・おとぼけをしてしまいましたが(カメラの電池切れ・・)。
今回は予備のバッテリーもしっかりと準備して、数枚をカメラに納めることが出来ました。
えぇ!?!? その時の画像ですか?? 怪しげな山屋はこんな人 ですが・・。
クリック後、、びっくりして腰を痛めたりしても・・当方は責任を負いかねますです。。

ブログを通じて、皆さまと出逢い、さらには暖かいメッセージを頂き。。感謝。
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