小生好き勝手に自分のブログにトレーニングの経験値を記載している。
その記事にある人から下記の質問があった。
「・コメントを書いた人
一読者
・タイトル
Unknown
・コメント
いつも興味深く読ませていただいております。体の使い方や練習の仕方など、参考にさせています。
その上で質問させて下さい。ウルトラ様はなぜあれほどにレースで結果がでない(弱い)のでしょうか?
名コーチがかならずしも名選手でないことは理解しております。ただ、過去にある程度のレベルで走った経験があり、お仕事が忙しい中ある程度の練習をされているウルトラ様があそこまで弱い理由はどこにあるのでしょうか?
ごまかしの効かない長距離ならまだしも短いレースなら経験やテクニックでこなせるのではないでしょうか?
失礼な質問ではありますが、貴ブログをより深く理解するためにもよろしくお願いします」
答え
そりゃ簡単です。単純に歳を取ったからです。今年で43歳になりました。
トレーニングに体の回復が付いていきません。筋持久力が大幅に落ちました。
また、当方自転車のプロでなく、一般社会人で東北復興に従事していますので、仕事がソコソコ忙しいです。地方の出先なので限られた人数で全てをこなさないといけません。日々の生活でも疲労が溜まっていきます。
トレーニングが充分でないので、筋肉の絶対量も減りました。去年比で行くと500g全身の筋肉量が落ちています。(体重も増加傾向気味。)
PTBでいくと、体重当たりのW数も落ちますわ。多分、現時点で4.5W/K程度です。
JPT完走レベルなら、最低5W/K以上は欲しいですね。全盛期で多分5.5-6W/Kは出せていたと思います。
一番の全盛期は32歳前後のJCFランキング31位の時でした。その後、大阪・チャイナ・名古屋・仙台・大阪・仙台と転勤しています。
同一の会社ですが、2-3年毎に職種・居住地・練習環境が変わっていき、ストレスも溜まります。
会社からは自転車止めないと昇進させないぞ!とブラック企業そのもので、上司から言われています。(これはマジ!パワハラですよね。)
仕事も激動で、最初の大阪では、営業→企画→業務と、当方全く落ち度無く、会社の為に思ってやった事を客先からその会社の都合に悪いからと「あの営業マンを外せ!」という外野の圧力(今は当方から離反して全くのコンペチ/外野の意見で経営方針が変わる信念の無い会社が弊社ですわ。)に屈して部署を転々とさせられ、
当時のトップの何のスキーム無い状態で伝手も無いのにチャイナに一人で行って、一人で頑張って見込みが出来てイケる!と思ったら急に撤退。
名古屋では、ある意味有名人の前任課長の負の遺産の払拭と、上からはそれ以上の拡張を言われて前任課長の恨みを買い、
仙台では、その課長から直属の部下として徹底的に虐められ、更に「赤福」に続く大手企業2番目のコンクリート橋型枠改ざん事件の最前線担当者として客先からあんた人間じゃない!みたいな対応をされ、徹底的に目の敵にされ、それを払拭すべく頭を下げまくり謝り続けました。(今のホテルのメニュー表示偽装なんて、全くの低レベルの事象ですよ。)
そして、リーマンショックが発生。仙台では営業マンは要らないから、大阪で構造設計をやれと言われて必死で勉強し、
東日本大震災の発生で、一年半後という中途半端な時期(既に青写真が出来て部外者は入り込みにくい状況)に再度仙台転勤となり復興担当として邁進しています。
自分でも良くやっているな~!と改めて振り返って見つめ直すくらいですね。
私の自転車との出会いは、中学生の時のNHKのツールドフランスです。その時に憧れを懐き、高校の時に草レーサーとして自転車に乗り始めました。
当時はゴリラみたいな体型で体重70K、腿周りは63-64cmありました。ジーパンなんてボンタンしか履けませんでした。走りは全くのスプリンターで高校生で平坦を70k/h近いスピード出せました。もちろんド平坦でトップスピードは74k/hは今でも自慢できます。
高校卒業時は競輪選手になりたかったのですが、営林局長経験の祖父の「競輪なんてヤクザのスポーツだ!」と反対され、大学に1浪して地元の大学に進学。
大学進学と同時に登録選手として登録し、翌年福岡のグリーンピア八女で開催された九州地域ロードの山岳コースで登録初レースで6位入賞。
当時の今中大介選手が大学院生で在籍していた「バラモン・ラブニール・クラブスター」というチームで実業団レースを走り始めました。(入った翌年には今中選手が国体・全日本と優勝し、目出度くシマノ入り。)
社会人になって、いきなり仙台へ配属。そして、ツール・ド・東北は、地元選抜チームとして3回走りました。当時は5-8日間のステージレースでしたね。
全て練習方法他は独学で習得。体力だけなら大学生の時が一番あったと思います。アタック掛け(30秒)て、10秒休んで、再度アタックなんていう走りを4回程度連続でこなせていました。
フォームについても、若い時はグチャグチャでしたが、26歳ころから解り始め、28歳でペダリング技術共に理解できました。
それを積み重ねてBR-1で成績を上げていった次第です。
やはり人間は年齢には勝てません。もちろん、ホーナーや奈良さん・藤田さん・矢部さん・中村さんを初め、歳を取っても強い選手は多数居ますが、日頃からの摂生と不断の努力の結果と推察します。
当方、一応自分比では頑張っているつもりですが、日頃からの摂生と不断の努力が足りないのでしょう。
7-8年前までは普通に200k近い距離を最初から終わりまで練習仲間の先頭で走り続け引き倒しましたが、今では出来ません。平坦でも先頭を引いて50k/h巡航は出来ましたが、今は不可能です。
今のスタンスは、当時全て独学で身に付けていった理論・経験値を若手に伝授したいというのが本望でしょうか?
今でこそ、やっとCTBやPTBが出版され体系付けられて来ていますが、まだまだ日本は遅れています。アメリカ・ヨーロッパでは既に5年以上前より実践されています。
正直、JBCFのJPTレースを年寄りの弱い選手が走る事が間違っているかもしれません。しかし、弊チームも選手数が少ないので、チーム枠に余裕があれば選手として走っています。レース開始当初のチーム員のパンクにホイールを差し出せるだけでも良しとしましょう。JPT出走はモチベーション確保位の動機付け以外の何者でもありません。
トレーニング理論はある程度担保出来るようになってきましたが、フォームとか力の使い方に関してはトレーニング時に一緒に走ってアドバイスしながら習得してもらう他ありません。
弊チームは其処が強みかな?と思います。他チームの監督・コーチは横で指図しているだけですからね。
既に過去の選手として弱いのは確かで自覚していますが、エスペランサの若手に負ける程は弱くなっていません。彼らが私を踏み台にして越えて頂けたら本望です。彼らには自分の経験値を理解して、更に後輩に伝承して頂けたらと思っています。
若手に一部苦言を呈したい部分もあります。エルドラ・エスペランサ共、運営の殆どの準備を小生が行っています。
レース出場、宿の手配、配車の調整、出発等の行程を過去の経験と最適な状況を考えながら判断を行ない、メール等で連絡しています。
仕事して、チーム運営に関わって、更に選手としてトレーニングするという多忙な日々です。自転車が好きだから、全てをこなしています。
若手が本当に強くなりたいなら、練習では先頭を引き続け、物怖じしない性格で率先してチーム運営に関わってもらいたいですよね。
若手はスポンサーは監督が探してくるのが当たり前で、自分達はタダでそれに乗っかるものと勘違いしていないか?疑問に思います。
私はスポンサーをつけない方が自由に活動できるとの判断で、敢えて弊チームには大きなスポンサーは付いていません。
また、自転車店による選手囲い込みの弊害を打ち破る為にも、既存の自転車店の壁を作らないようにしています。
更に、スポンサーを獲得したなら成績等の結果で返すとか、用品提供等ならレース毎にそのレポートを記載してシーズン最後には最終報告書を出す等の引き換えが必要である事実を棚に挙げてしまいます。
弊チームの若手さえ、年度の練習計画を満足に立てられず、その日の気分でトレーニングしているのが実態です。
自転車を真剣にやりたいなら、日々勉強と言わざるを得ません。
兎に角、自転車は日々勉強です。
今はサプリメントや栄養に非常に興味があります。
以前、上を目指すためには充分な下地作りと書いていましたが、今は更にその下に食事と睡眠が土台として位置していると認識しています。
若い人間でまともな食事を摂っている人間は多く居ないと思います。また、若くて回復力が有るので栄養の事など二の次だと思います。
歳を取れば取るほど食事には気を遣います。
更に回復を促す睡眠は更に大事です。
最近は、CQ10、カルシウム、マグネシウム、αリポ酸、カルニチン、ビタミン剤(特にB群)、亜鉛、クレアチン以外に、プロテイン(練習で肝臓を酷使しているのに、蛋白分解で更に肝臓を使うことは考えられない)でなくBCAAやアルギニン、シトルリン、タウリン、オルニチンを摂取しています。また、男性ホルモンを多く分泌させ回復を図るために精力材のマカを飲んでテストステロンを多少なりとも分泌させようと摂取しています。
回復力が落ちているという事は、人間のオスとして生殖能力が低いからでしょうか?小生、嫁はいますが子供はいません。精子が少ないのかも知れませんね?というより、合意の上で子供は作らないという雰囲気です。だってレスですもん。しかし、その分、週に数回はオナニーはやっています。もしかしたら、選手はオナニーしてはいけないのかも知れません。だって、男性ホルモンを自分で出しちゃっているんですから。もしかしたら、強い人達は性欲も抑えて只管トレーニングを重ねているのが強くなる秘訣かもしれません。正に解脱ですね。
別に、ドーピングをしている訳ではないのですが、アナボリックステロイドも摂取のタイミングがあり、筋肉を太くするタイミング、方法にもきちんとしたやり方があると分かりました。
私は筋トレを夜に行います。そして、回復の際に血中アミノ酸が存在しているタイミングになるようにアルギニン・シトルリンを摂取します。そして、その状態でインスリンが分泌されるとアナボリック効果が発生して、筋繊維が修復(太く)なるのです。
こういう事を実践して、多少なりとも上を目指して日々改善を目論んでいます。
更に、周りの方たちのサポートも重要です。弊チームの天笠選手は当時最強(輪翔旗3位)だった頃、小生の「将来、最強のクラブチームを作りたい」という言葉を覚えていて(逆に私が忘れちゃっていました)、チームに加入して頂き走って頂いています。また、その他の人達の想いも重要です。そういう方たちの想いに支えられて、チームは存在していると思います。周りの方々に支えられている事実は絶対に忘れてはいけません。
「日々是好日」・・・その時の一瞬を自分の出来る最善を尽くしたいものだ。
その記事にある人から下記の質問があった。
「・コメントを書いた人
一読者
・タイトル
Unknown
・コメント
いつも興味深く読ませていただいております。体の使い方や練習の仕方など、参考にさせています。
その上で質問させて下さい。ウルトラ様はなぜあれほどにレースで結果がでない(弱い)のでしょうか?
名コーチがかならずしも名選手でないことは理解しております。ただ、過去にある程度のレベルで走った経験があり、お仕事が忙しい中ある程度の練習をされているウルトラ様があそこまで弱い理由はどこにあるのでしょうか?
ごまかしの効かない長距離ならまだしも短いレースなら経験やテクニックでこなせるのではないでしょうか?
失礼な質問ではありますが、貴ブログをより深く理解するためにもよろしくお願いします」
答え
そりゃ簡単です。単純に歳を取ったからです。今年で43歳になりました。
トレーニングに体の回復が付いていきません。筋持久力が大幅に落ちました。
また、当方自転車のプロでなく、一般社会人で東北復興に従事していますので、仕事がソコソコ忙しいです。地方の出先なので限られた人数で全てをこなさないといけません。日々の生活でも疲労が溜まっていきます。
トレーニングが充分でないので、筋肉の絶対量も減りました。去年比で行くと500g全身の筋肉量が落ちています。(体重も増加傾向気味。)
PTBでいくと、体重当たりのW数も落ちますわ。多分、現時点で4.5W/K程度です。
JPT完走レベルなら、最低5W/K以上は欲しいですね。全盛期で多分5.5-6W/Kは出せていたと思います。
一番の全盛期は32歳前後のJCFランキング31位の時でした。その後、大阪・チャイナ・名古屋・仙台・大阪・仙台と転勤しています。
同一の会社ですが、2-3年毎に職種・居住地・練習環境が変わっていき、ストレスも溜まります。
会社からは自転車止めないと昇進させないぞ!とブラック企業そのもので、上司から言われています。(これはマジ!パワハラですよね。)
仕事も激動で、最初の大阪では、営業→企画→業務と、当方全く落ち度無く、会社の為に思ってやった事を客先からその会社の都合に悪いからと「あの営業マンを外せ!」という外野の圧力(今は当方から離反して全くのコンペチ/外野の意見で経営方針が変わる信念の無い会社が弊社ですわ。)に屈して部署を転々とさせられ、
当時のトップの何のスキーム無い状態で伝手も無いのにチャイナに一人で行って、一人で頑張って見込みが出来てイケる!と思ったら急に撤退。
名古屋では、ある意味有名人の前任課長の負の遺産の払拭と、上からはそれ以上の拡張を言われて前任課長の恨みを買い、
仙台では、その課長から直属の部下として徹底的に虐められ、更に「赤福」に続く大手企業2番目のコンクリート橋型枠改ざん事件の最前線担当者として客先からあんた人間じゃない!みたいな対応をされ、徹底的に目の敵にされ、それを払拭すべく頭を下げまくり謝り続けました。(今のホテルのメニュー表示偽装なんて、全くの低レベルの事象ですよ。)
そして、リーマンショックが発生。仙台では営業マンは要らないから、大阪で構造設計をやれと言われて必死で勉強し、
東日本大震災の発生で、一年半後という中途半端な時期(既に青写真が出来て部外者は入り込みにくい状況)に再度仙台転勤となり復興担当として邁進しています。
自分でも良くやっているな~!と改めて振り返って見つめ直すくらいですね。
私の自転車との出会いは、中学生の時のNHKのツールドフランスです。その時に憧れを懐き、高校の時に草レーサーとして自転車に乗り始めました。
当時はゴリラみたいな体型で体重70K、腿周りは63-64cmありました。ジーパンなんてボンタンしか履けませんでした。走りは全くのスプリンターで高校生で平坦を70k/h近いスピード出せました。もちろんド平坦でトップスピードは74k/hは今でも自慢できます。
高校卒業時は競輪選手になりたかったのですが、営林局長経験の祖父の「競輪なんてヤクザのスポーツだ!」と反対され、大学に1浪して地元の大学に進学。
大学進学と同時に登録選手として登録し、翌年福岡のグリーンピア八女で開催された九州地域ロードの山岳コースで登録初レースで6位入賞。
当時の今中大介選手が大学院生で在籍していた「バラモン・ラブニール・クラブスター」というチームで実業団レースを走り始めました。(入った翌年には今中選手が国体・全日本と優勝し、目出度くシマノ入り。)
社会人になって、いきなり仙台へ配属。そして、ツール・ド・東北は、地元選抜チームとして3回走りました。当時は5-8日間のステージレースでしたね。
全て練習方法他は独学で習得。体力だけなら大学生の時が一番あったと思います。アタック掛け(30秒)て、10秒休んで、再度アタックなんていう走りを4回程度連続でこなせていました。
フォームについても、若い時はグチャグチャでしたが、26歳ころから解り始め、28歳でペダリング技術共に理解できました。
それを積み重ねてBR-1で成績を上げていった次第です。
やはり人間は年齢には勝てません。もちろん、ホーナーや奈良さん・藤田さん・矢部さん・中村さんを初め、歳を取っても強い選手は多数居ますが、日頃からの摂生と不断の努力の結果と推察します。
当方、一応自分比では頑張っているつもりですが、日頃からの摂生と不断の努力が足りないのでしょう。
7-8年前までは普通に200k近い距離を最初から終わりまで練習仲間の先頭で走り続け引き倒しましたが、今では出来ません。平坦でも先頭を引いて50k/h巡航は出来ましたが、今は不可能です。
今のスタンスは、当時全て独学で身に付けていった理論・経験値を若手に伝授したいというのが本望でしょうか?
今でこそ、やっとCTBやPTBが出版され体系付けられて来ていますが、まだまだ日本は遅れています。アメリカ・ヨーロッパでは既に5年以上前より実践されています。
正直、JBCFのJPTレースを年寄りの弱い選手が走る事が間違っているかもしれません。しかし、弊チームも選手数が少ないので、チーム枠に余裕があれば選手として走っています。レース開始当初のチーム員のパンクにホイールを差し出せるだけでも良しとしましょう。JPT出走はモチベーション確保位の動機付け以外の何者でもありません。
トレーニング理論はある程度担保出来るようになってきましたが、フォームとか力の使い方に関してはトレーニング時に一緒に走ってアドバイスしながら習得してもらう他ありません。
弊チームは其処が強みかな?と思います。他チームの監督・コーチは横で指図しているだけですからね。
既に過去の選手として弱いのは確かで自覚していますが、エスペランサの若手に負ける程は弱くなっていません。彼らが私を踏み台にして越えて頂けたら本望です。彼らには自分の経験値を理解して、更に後輩に伝承して頂けたらと思っています。
若手に一部苦言を呈したい部分もあります。エルドラ・エスペランサ共、運営の殆どの準備を小生が行っています。
レース出場、宿の手配、配車の調整、出発等の行程を過去の経験と最適な状況を考えながら判断を行ない、メール等で連絡しています。
仕事して、チーム運営に関わって、更に選手としてトレーニングするという多忙な日々です。自転車が好きだから、全てをこなしています。
若手が本当に強くなりたいなら、練習では先頭を引き続け、物怖じしない性格で率先してチーム運営に関わってもらいたいですよね。
若手はスポンサーは監督が探してくるのが当たり前で、自分達はタダでそれに乗っかるものと勘違いしていないか?疑問に思います。
私はスポンサーをつけない方が自由に活動できるとの判断で、敢えて弊チームには大きなスポンサーは付いていません。
また、自転車店による選手囲い込みの弊害を打ち破る為にも、既存の自転車店の壁を作らないようにしています。
更に、スポンサーを獲得したなら成績等の結果で返すとか、用品提供等ならレース毎にそのレポートを記載してシーズン最後には最終報告書を出す等の引き換えが必要である事実を棚に挙げてしまいます。
弊チームの若手さえ、年度の練習計画を満足に立てられず、その日の気分でトレーニングしているのが実態です。
自転車を真剣にやりたいなら、日々勉強と言わざるを得ません。
兎に角、自転車は日々勉強です。
今はサプリメントや栄養に非常に興味があります。
以前、上を目指すためには充分な下地作りと書いていましたが、今は更にその下に食事と睡眠が土台として位置していると認識しています。
若い人間でまともな食事を摂っている人間は多く居ないと思います。また、若くて回復力が有るので栄養の事など二の次だと思います。
歳を取れば取るほど食事には気を遣います。
更に回復を促す睡眠は更に大事です。
最近は、CQ10、カルシウム、マグネシウム、αリポ酸、カルニチン、ビタミン剤(特にB群)、亜鉛、クレアチン以外に、プロテイン(練習で肝臓を酷使しているのに、蛋白分解で更に肝臓を使うことは考えられない)でなくBCAAやアルギニン、シトルリン、タウリン、オルニチンを摂取しています。また、男性ホルモンを多く分泌させ回復を図るために精力材のマカを飲んでテストステロンを多少なりとも分泌させようと摂取しています。
回復力が落ちているという事は、人間のオスとして生殖能力が低いからでしょうか?小生、嫁はいますが子供はいません。精子が少ないのかも知れませんね?というより、合意の上で子供は作らないという雰囲気です。だってレスですもん。しかし、その分、週に数回はオナニーはやっています。もしかしたら、選手はオナニーしてはいけないのかも知れません。だって、男性ホルモンを自分で出しちゃっているんですから。もしかしたら、強い人達は性欲も抑えて只管トレーニングを重ねているのが強くなる秘訣かもしれません。正に解脱ですね。
別に、ドーピングをしている訳ではないのですが、アナボリックステロイドも摂取のタイミングがあり、筋肉を太くするタイミング、方法にもきちんとしたやり方があると分かりました。
私は筋トレを夜に行います。そして、回復の際に血中アミノ酸が存在しているタイミングになるようにアルギニン・シトルリンを摂取します。そして、その状態でインスリンが分泌されるとアナボリック効果が発生して、筋繊維が修復(太く)なるのです。
こういう事を実践して、多少なりとも上を目指して日々改善を目論んでいます。
更に、周りの方たちのサポートも重要です。弊チームの天笠選手は当時最強(輪翔旗3位)だった頃、小生の「将来、最強のクラブチームを作りたい」という言葉を覚えていて(逆に私が忘れちゃっていました)、チームに加入して頂き走って頂いています。また、その他の人達の想いも重要です。そういう方たちの想いに支えられて、チームは存在していると思います。周りの方々に支えられている事実は絶対に忘れてはいけません。
「日々是好日」・・・その時の一瞬を自分の出来る最善を尽くしたいものだ。
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