2018年9月25日 株式会社 新潮社
https://www.shinchosha.co.jp/news/20180925.html
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はっきり言って私は読んでません。
杉田水脈の論文だとか、騒動の発端となった小川栄太郎だかの文章も。
だからどこがどうヘイトに当たるのかも知りません。
知っているのはだいぶ前に聞いた「LGBTは生産性がない」という言葉ぐらいしか知りませんん。
ただこの騒ぎを見ていると
新潮が部数回復のために右寄り路線を取っていて
それが左からの攻撃に合って休刊に持ち込まれたらしいです。
ネトウヨのたちが言論弾圧だと騒いでいます。
私自身は左翼でないアンチネトウヨなのですが
右と左を比べれば左のほうが遥かにマシだと考えているので
右vs左で左が勝ったのは大変いい事だと思います。
私自身は現代の流れに反しLGBTには否定的で
国際的な傾向を見ても好ましいとは思ってません。
国際スタンダードから外れても私の考えを変えるつもりはありません。
もちろん個人の性的嗜好や基本的人権は認められるべきで
行政が差別廃止の啓もう活動をするところまではいいですが
それ以上の支援、ノンケ健常者以上の特別待遇をすることは
税金の無駄以外の何ものでもありません。
LGDPは障害ではあっても自立すら困難な他の多くの障害者とは違います。
それでも右寄りになった新潮45が
「これ」が原因で休刊になったのならそれはそれでいいことです。
何でもヘイトや人権を持ち出せば勝てるのか?
そうでもないようです。
社会の傾向が重視されています。
逆行している例では
例えば暴力団が銀行口座を解約させられて
人権はどうなっているのかという話も出てますが現状では受け入れられてません。
タトゥーや刺青がプールやスパでお断りになっている件は
五輪やラグビー国際大会で一部逆行も出て来てますがまだ受け入れられていません。
ps.忘れてました。
5ちゃんねるでよく言われているロリコンの権利も受け入れられてませんw
これは児童への人権侵害に当たるからでしょうか。
流石に小川栄太郎もロリは持ち出せずに痴漢止まりでしたがw(2018.09.27)
微妙なところでは
木造で復刻される名古屋城に
障害者用のエレベーターを設置しろという話は
現状では一団体が吠えているにすぎません。
スタンダードが出来上がっている例では
木島英登さんがタラップを這わせられた件では
バニラエアが謝罪に追い込まれました。
どこかの市で刊行物に六曜を記入したことが差別だということで
廃棄処分となりました。
六曜が差別だというのは一人の人間が主張した幼稚な理論に過ぎないのですが
それでも市としてはそうせざるを得ないようです。
ヘイトの話になってしまいましたが
右寄り新潮が休刊に追い込まれたのは大変いい事です。
>敗北したのは「言論の自由」と『自由民主主義』です。!!
についてレスしたものであります。
これは新潮45の休刊についてと解釈しており
杉田個人が受けた個人攻撃は入ってません。
何故ならば批判はともかく脅迫や暴言で杉田が敗北しているとは思えないからです。
もちろん杉田個人への脅迫や暴言と新潮45の休刊との因果関係も確認できません。
脅迫は犯罪ですから杉田本人や擁護者なりが
警察に通報するなり法的手段を取るなりすればいいことです。
絶対主義者による人権侵害があろうと、週刊朝日が人権侵害を犯したからといっても
私の基本的な理論にも世の中にも
なんら矛盾があるわけではありません。
左右問わずおかしな者や犯罪者はいます。
新潮45に限ればヘイトとみなされたのは杉田ではなく小川栄太郎の発言だと思います。
痴漢の人権についてどうこう言うつもりはありませんが
これはLGBTへの侮辱と受け取られても仕方がありません。
LGDPを痴漢ような犯罪行為と同列に扱ったのがヘイトとみなされたのでしょう。(他にもあるのかもしれませんが読んでませんので)
発言に問題がなければ新潮社も社長が謝罪したり休刊にするわけがありません。
また私自身は杉田の発言は特に問題があるとは考えてません。
「ネトウヨ」の定義解釈はあなたのかかれたものと同様に解釈してますが
保守系の政治家や評論家などで新潮の休刊で「言論の自由」の侵害と発言した例は私はまだ見てません。
この記事と私のコメント内ではネットでの発言にしか使ってません。
ですからここで私がネトウヨという言葉を使ったことに問題があるという理由はないと思います。
また私もあなたと同様に
LGBTの権利主張やそれに対する行政をはじめとする世の中の対応については違和感を感じております。
まあ、僕も君の回答を読み、『たぶんこういう反論が帰って来るだろうなあ、』と、思っていましたよ。(笑)
もちろん、君のおっしゃるとおり、『言論の自由』といっても、何を言ってもいいというわけではありません。
明らかな名誉毀損や脅迫、特定個人に対する悪意にみちた攻撃、、などは許されるはずはありません。
(そんな事は、社会常識の問題でしょう。)
しかし、憲法は、明らかな反社会的言動でないかぎり、最大限の言論・出版・表現の自由を保障しています。
今回の新潮45に掲載された杉田水脈さんの評論文や、杉田水脈さんを擁護する論文の内容は、『ヘイト(憎悪的暴言)』には、該当しません。
杉田水脈さんは、同性愛者等の性的少数派を、差別したり排除すれようなことは、おっしゃっていないはずです。
ただ、そういう性的少数派は、不妊症治療を国家が支援するような意味での特別な保護の対象にはならないでしょう。、、、といってるだけです。
それが、どうして『ヘイト』になるんですか?
僕は、極めて普通の良識論だと思いますね。
今回の『事件?』で、、もっとも激しいヘイトを受けたのは、他ならぬ『杉田水脈さん御自身』ではないでしょうか?
杉田水脈さんは、みんなから激しい暴言をあびせられ、他の政治家や評論家からも庇ってくれる人は、わずかです。
しかも、杉田水脈さんは、『ゲイ?』と名乗る人物から殺害予告の脅迫を受けています。
これこそ、犯罪です!!
『人権絶対主義者』が、他の人の人権を侵害している矛盾撞着に気がつかないんですかね?
ところで、新潮社のほうは、確かに君の言うとおり、『権利の侵害』は受けておりません。
出版するのも廃刊するのも、その会社の自由ですから、、、、
でも、今回のことで、新潮社に愛想をつかした人はいると思いますよ。(まあ、それも勝手ですがね(苦笑))
★ところで、ひとつ気になることですが、君はさかんに『ネトウヨ』と言う言葉を使ってますが、そもそも『ネトウヨ』って、何の事ですか?
定義不明の言葉を用いて他の人を批判するのはフェアじゃないですね。
まあ、、僕もそんな言葉は、たまたま聞きます。
『ネトウヨ』の定義を、あえて言えば、『インターネットなどに、匿名で右翼気取りの大言壮語をして痛快がってる者』のことでしょう。
しかし、杉田水脈さんにしても、その擁護者にしても、そういう意味でのネトウヨじゃないですね。
杉田水脈さんは、ちゃんとした保守系の政治家です。
どうも、最近はネトウヨの定義が拡大されているらしく、『普通の保守主義者』までがネトウヨ呼ばわりされているんです
ね。、、、おかしいです!!
☆締めくくりに申しておきますが、、、
ぼくは、同性愛者でも、それが真実の愛と信じ、それなりのプライドをもって生きているのであれば、それはひとつの
生き方であり、何ら他人が干渉すべきではないと思います。
保守系のひとでも、、三島由紀夫先生などは同性愛者に理解を持っておられました。
ただ、そういう性的少数派が、みだりに社会的政治的権利を主張するような、昨今の風潮には違和感を感じます。
あなたのようなご意見をお待ちしてました。
「言論の自由」ということですが
これらの自由があっても
他人の人権をはじめとする権利の侵害は認められてません。
今回は新潮45が(内容は精査してませんが)
社会通念上ヘイトとみなされても仕方のない記事を掲載してしまったので
そこを反対派から攻められてしまったということです。
かつて週刊朝日が橋下の問題を書いてしまったのと
左右は逆ですが同次元の問題だと思います。
これは新潮社側の完全なミスであり自己責任です。
また休刊を選択したのも新潮社の判断でありこれも自己責任です。
以上の理由から今回の件は「言論の自由」の侵害には当たらないと考えてます。
また新潮社も「言論の自由」には一切触れてません。(触れているのは主にネトウヨです)
新潮社が「言論の自由」以前に「言論」を行使するに当たり
あまりにも稚拙であったことによる結果に過ぎないのではないでしょうか。
また新潮に抗議した側もデモも含め言論に対して
「言論の自由」や「表現の自由」の範囲内で行ったことであり
新潮社側の権利侵害にあたるような例は特に見受けられません。(個人レベルでは例外もあるかもしれませんが)
後はただ部数低迷脱却のためにネトウヨ路線を取った新潮45がみずから墓穴を掘って休刊になったことを喜ぶだけです。
「右寄り雑誌敗北、、、」と言うタイトルをつけておられますが、、
「右寄り雑誌」が敗北したのではありません。
敗北したのは「言論の自由」と『自由民主主義』です。!!
そのことに気がつくべきでしょう。
ま、ひとそれぞれ、いろんな意見はあると思います。
ブログで、ご自分の意見を発表するのは、いいことだと思います。
ただ、今回の件(新潮45の休刊のこと)は、ぼくの受け取りかたは、貴君の見解とは少しちがいます。
ぼくは、新潮45とかいう雑誌はよんだことはありません。「右寄り」かどうかは知りません。
しかし、どのような思想傾向の雑誌であれ、世の中の圧力に屈して休刊(廃刊)に追い込まれるということは、決して良いはずはありません。言論・出版・表現の自由に対する侵害です!
(むしろ、廃刊にするなら、週刊新潮のほうを廃刊にすべきでしょう。(あれほど低俗な公序良俗に反する雑誌はありません))
杉田水脈さんの、今回やり玉に上がった発言については、インターネット等で、その内容は、だいたい知っています。
要するに「不妊症の治療などは国家が積極的に支援すべきだが、同性愛者などについては、そのような意味での格別の支援は必要ではない」という主旨の発言であり、それ自体は別に間違っているとは思えませんね。
なぜ、そんなことに、いちいち過剰反応するのか理解できません。
「揚げ足取り」としか思えませんね。
杉田水脈さんについては、ぼくもよくは知りませんが、それなりにしっかりした信念を持ったかただと思います。
日本の国にとって必要な人材でしょう。
(ちなみに、ぼくは、保守でも革新でもありません。右翼でも左翼でもありません。ただ、言論・出版・表現の自由や議会制民主主義は断じて護るべきだと言う立場です!)
今回、おかしな圧力に屈して新潮45を休刊した新潮社は、みづから「言論・表現の自由と出版権」を放棄したわけです。
もちろん、出版社が、自社の雑誌・書籍を継続出版するか廃刊にするかは、当社の自由です。
しかし、ぼくは、新潮社は、もはや健全で主体的な出版事業としての資格は失ったと思いますね。
確かに世の中には、その時代の風潮があり、その風潮には明らかにおかしなものがあります。
それを「おかしい」と思わない人は、結局、ファシズムに附和雷同することになると思いますね。
以上は、ぼくの見解です。
もちろん、貴君が御自身の感性で意見をおっしゃるのは、それはそれで良いと思います。
良いブログを続けて下さい。