続きます。
◎ 妹背の滝
妹背の滝は毛保川の上流、城山と滝山との谷あいにあって、清らかな雄滝と雌滝の二つの滝が、轟く音を相響かせています。
古くは「めおと滝」と、「雌雄滝」「夫婦滝」とも呼ばれていました。
「妹背の滝」と呼ばれ始めたなは、大正2年(1913)大頭神社を今の宇城山に移したのを機会に、当時の大野郵便局長大島彦三氏の命名と言われ、「妹背」とは、妹(いも)と背(せ)の夫婦を意味する古語を用いたものです。
この滝は古くから知られ、「芸藩通志」に、「雌雄滝 大野村に有り、雄は六帖三尺、その水は壮なり、雌
は廿七丈余にて、長けれども婉なり、奇観幽賞、近方類まれなり」と記し、藩内の著名な滝と共にその「瀑布図」をも載せられています。
雌滝 → 落差 50m。

雄滝 → 落差30m。
展望台からの眺望と滝の真下の広場から。


雄滝は水量も多くて勇壮です。
参加者が並んで記念写真を撮りました。
◎ 西教寺
西教寺の前身は門山城の祈祷所護安寺で、旧大野村字護安にあります。
大内・陶氏より寺領を受けましたが、弘治元年(1555)厳島合戦で毛利氏に敗れ寺院は消失しました。
慶長6年(1601)に 開祖の教順法師は寺跡に浄土真宗の寺を建て、寛永4年(1627)に西教寺と改めこの地に移築されました。


何故か境内の像は「聖徳太子像」です。

◎ 歴史の散歩道
古代山陽道です、木陰の道は時代劇にも出てきそうな静かな最高なスポットです。

途中の「陣場跡」「高畑の溜池(たかばたけのためいけ)」文政8年。


高畑の溜池
大野で最も古い灌漑用のため池で、周りは笹に囲まれ今は利用されませんが、農業には欠かせない水源でした。




”木枯らし紋次郎が来よるよ!”と誰かが言ったような素晴らしい歴史の散歩道でした。
◎ 高庭駅家跡
高畑地区の「万葉集」所収の「高庭疫家跡」の碑銘は、大伴君熊凝の悲話を山上憶良がしたためた歌を伝え、この地が後の「濃唹(のお)駅」となったとされ、大野の地名の起源ともなりました。

◎ 一畑薬師堂
詳細は分かりません。

ここで、今日の歴史散策は終了でした。
大野市民センター迄歩きます。
市民センターは「体育館、図書館、公民館」と集まっていました。
約、40分のバス待ち時間がありました。

公民館で休憩です。
午後4時半、今日の10000歩、6,6kmのスマホの歩数計です。
大野は初めてのコースで古代山陽道は静かで、時折吹く風と、小鳥のさえずりと気持ちの休まるスポットでした。

※ 17:13の大野ハートバスで、宮島口迄移動し、JR山陽線での帰路になりました。
皆さんお疲れさまでした!