ひろしま遊歩100選ガイドツアー(五日市~廿日市)に参加!
平成29ー5/20日(土) 五日市駅 9;45集合 26名参加
五日市~廿日市 (NO、31)
<主な立ち寄り先>
JR五日市駅~五つ神社~慰霊碑~誓いの松~キリシタン殉教碑~楽々園街道松~
一里塚跡~廿日市招魂社~天満宮~JR廿日市駅
このコースは2年半前に来たコースです。
JRふれあいウオークに掲載されていますので参加者も多いです。
(「五日市町めぐり散策路のあまんじゃと歩く通り道」の説明板を多く参照にしています)
◎ JR五日市駅
明治32年(1899)12月山陽鉄道五日市駅として開業
昭和62年 分割民営化によりJR五日市となる

◎ 野外モニュメント
作品名:あしたへ
作者 :岸博之
(ステンドグラス? )

◎ 五つ神社
ご祭神 :事代主神 墨江三前大神 宇迦御魂神 火之迦具土神 菅原大神
(広島神社誌による)
古来は「えびすさん」と呼ばれていた


◎ 五日市町原爆死没者慰霊碑
五日市町原爆犠牲者234名が記された過去帳と5柱の遺骨が安置されています
(横から見ると手を合わせているように見えます)

◎ 誓いの松
江戸時代初期・延宝年間、石井源蔵・半蔵兄弟が父親のあだ討ちの旅立ちに際し本懐を
遂げられるよう植えられた。
平成17年、広島市指定保存樹指定された。
保存樹 36号
● 幼少の親鸞聖人の像
「あすありと 思う心の あだざくら よわのあらしの 吹かぬものかわ」

◎ 宝玉山 五葉院 光禅寺
真言宗から室町期の永生年間に浄土真宗に改宗


三戦役記念碑・山中直武碑他

五日市町指定重要文化財の梵鐘「延宝7年 山田貞栄作」

広島市指定の イチョウ 第15、クロマツ 16


親鸞聖人の像が聳えています。

南方特別留学生墓碑 → マライ出身のニック・ユフソさん(被爆犠牲者)。

◎ 五日市村役場跡
五日市が村だったころの役場跡。(町中小公園)


◎ 背戸の川跡
元は川で暗渠され道路になっている


◎ 五日市城跡
亀山城 → 亀山 高さ20mの小山


◎ 五日市キリスト協会 (日本アイランス教団)
プロテスタント系の団体、明治28年(1895)年三次市にミッション本部を移転
日本伝道を開始


2Fの礼拝堂を見学、説明を受ける。
「最後の晩餐」の木彫りの彫刻 → ドイツへ旅行者のお土産品

◎ 五日市で殉職したキリシタンを忍ぶいしぶみ
明治初期にキリシタン禁教により迫害された信徒の、明治3年(1870)長崎から
五日市に流され、内3名が殉教

花壇にヒラヒラ飛ぶ「蝶」を見ました。

◎ 五日市第一公園
北極星を指すように配置されたトイレ
ひろしま・パーク・レストルーム設計競技で優勝した作品(秋葉市長の時代)


◎ 楽々園の街道松
街道松とは、街道の景観に変化をつけるために両側に植えられた松並木。
江戸時代の五街道を始めとして、戦国時代には脇街道にも松並木が一条に延びました。
西国街道では3間に(約5m強)ごとに植えられました。
現在ではここ佐伯区楽々園の2本、廿日市の1本、安芸区砂走りの出迎えの松の5本の
計8本が残るのみとなりました。


◎ 御筋橋・親柱
土橋といわれ、現在の岡の下川に架けられていた橋。
下流には三筋橋(御筋ではない)が架かっている。
側の一里標

踏切があり、「広電楽々園駅」があります。

岡の下川に架かる「海老橋」をわたり、廿日市に入り、宮島街道を「隅三公園(隅の浜第二
公園)に到着。

12時、この公園でお昼休憩、お弁当にする。
藤棚の下で、涼しかったです。
周りには田舎でよく見る「ムシトリナデシコ」というんだそうですが、満開です。
田舎では「おとへいばな」と言います(笑)


続きます・・・
平成29ー5/20日(土) 五日市駅 9;45集合 26名参加
五日市~廿日市 (NO、31)
<主な立ち寄り先>
JR五日市駅~五つ神社~慰霊碑~誓いの松~キリシタン殉教碑~楽々園街道松~
一里塚跡~廿日市招魂社~天満宮~JR廿日市駅
このコースは2年半前に来たコースです。
JRふれあいウオークに掲載されていますので参加者も多いです。
(「五日市町めぐり散策路のあまんじゃと歩く通り道」の説明板を多く参照にしています)
◎ JR五日市駅
明治32年(1899)12月山陽鉄道五日市駅として開業
昭和62年 分割民営化によりJR五日市となる

◎ 野外モニュメント
作品名:あしたへ
作者 :岸博之
(ステンドグラス? )

◎ 五つ神社
ご祭神 :事代主神 墨江三前大神 宇迦御魂神 火之迦具土神 菅原大神
(広島神社誌による)
古来は「えびすさん」と呼ばれていた


◎ 五日市町原爆死没者慰霊碑
五日市町原爆犠牲者234名が記された過去帳と5柱の遺骨が安置されています
(横から見ると手を合わせているように見えます)

◎ 誓いの松
江戸時代初期・延宝年間、石井源蔵・半蔵兄弟が父親のあだ討ちの旅立ちに際し本懐を
遂げられるよう植えられた。
平成17年、広島市指定保存樹指定された。
保存樹 36号

● 幼少の親鸞聖人の像
「あすありと 思う心の あだざくら よわのあらしの 吹かぬものかわ」

◎ 宝玉山 五葉院 光禅寺
真言宗から室町期の永生年間に浄土真宗に改宗


三戦役記念碑・山中直武碑他

五日市町指定重要文化財の梵鐘「延宝7年 山田貞栄作」

広島市指定の イチョウ 第15、クロマツ 16


親鸞聖人の像が聳えています。

南方特別留学生墓碑 → マライ出身のニック・ユフソさん(被爆犠牲者)。

◎ 五日市村役場跡
五日市が村だったころの役場跡。(町中小公園)


◎ 背戸の川跡
元は川で暗渠され道路になっている


◎ 五日市城跡
亀山城 → 亀山 高さ20mの小山


◎ 五日市キリスト協会 (日本アイランス教団)
プロテスタント系の団体、明治28年(1895)年三次市にミッション本部を移転
日本伝道を開始


2Fの礼拝堂を見学、説明を受ける。
「最後の晩餐」の木彫りの彫刻 → ドイツへ旅行者のお土産品

◎ 五日市で殉職したキリシタンを忍ぶいしぶみ
明治初期にキリシタン禁教により迫害された信徒の、明治3年(1870)長崎から
五日市に流され、内3名が殉教

花壇にヒラヒラ飛ぶ「蝶」を見ました。

◎ 五日市第一公園
北極星を指すように配置されたトイレ
ひろしま・パーク・レストルーム設計競技で優勝した作品(秋葉市長の時代)


◎ 楽々園の街道松
街道松とは、街道の景観に変化をつけるために両側に植えられた松並木。
江戸時代の五街道を始めとして、戦国時代には脇街道にも松並木が一条に延びました。
西国街道では3間に(約5m強)ごとに植えられました。
現在ではここ佐伯区楽々園の2本、廿日市の1本、安芸区砂走りの出迎えの松の5本の
計8本が残るのみとなりました。


◎ 御筋橋・親柱
土橋といわれ、現在の岡の下川に架けられていた橋。
下流には三筋橋(御筋ではない)が架かっている。
側の一里標

踏切があり、「広電楽々園駅」があります。

岡の下川に架かる「海老橋」をわたり、廿日市に入り、宮島街道を「隅三公園(隅の浜第二
公園)に到着。

12時、この公園でお昼休憩、お弁当にする。
藤棚の下で、涼しかったです。
周りには田舎でよく見る「ムシトリナデシコ」というんだそうですが、満開です。
田舎では「おとへいばな」と言います(笑)


続きます・・・