ひろしま歴史街道散策くらぶに参加する!
平成29ー4/20(木) アストラム古市駅 13:30 集合 16名参加
コース 古市駅~戸坂公民館
散策経路
久保山神社~古川~才ノ木神社~川内用水~東野公民館~善教寺~古代山陽道~
千足渡し~戸坂公民館
案内人 佐々木卓也 指南役
今から1300年以上も前の飛鳥時代に当時の朝廷か造った七つの官道の一つ
「山陽道(古代山陽道)」が、ここ広島市安佐南区を通っていました。
古代山陽道は、官都(朝廷所在地)と大陸・半島よの玄関口である大宰府を結ぶ第一の
官道でした。
東野・川内ルートを歩きました。
◎ 久保山神社
ご祭神:大山津見神 ・大穴牟遲神
天保5年(1834)に古市地区の大火ですべてを焼失したが、再建されている。
昭和9年(1934)に鎮火100年を記念した「鎮火百年大祭記念碑」が立っている
3本の大銀杏が特徴。
境内の浅野家の家紋が入った手水鉢が奉納され厚く崇拝されたことが推測される。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/d0/5fc584d85e92e1c05915327f17999b12.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/a8/5b61fbbe02c2b8193bf1bfa97cbafb94.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/6b/21cc7331004442e1f5453f84e539aff7.jpg)
● 旧雲石街道
雲石街道は、現在の中区堺町で西国街道から別れ、出雲へ至る出雲路が一部残っている
かっては街道筋に商店や娯楽施設がが立ち並び、大いににぎわった、いまも歴史を感じ
させる木造の建物や蔵が一部残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/b3/2210ff0331bcfb0100e8589212f13a25.jpg)
古市の街には麻造りが盛んだった明治から大正にかけて、麻の繊維工場が50件ほどあった。
古川では繊維の「けば」をそぎ落す作業が行われており、旧街道から古川へ通じる石畳み
や蔵が残っている。
古川の河原だったころは、麻の繊維を干したと言われている。
水準点。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/31/29231392e4b598f8df890c321ae501f3.jpg)
● 古川
古川は良好な環境が保たれており、カワセミ、マガモ、アオサギなど20種もの水鳥が
飛来する空間である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/82/a186d293c4314d1d2fd33f34115769f4.jpg)
◎ 才ノ木神社
ご祭神 :誉田別尊
文政3年(1820)の古文献に記録が残っている「芸藩通誌」には「八幡宮」と記されている。
明治4年(1871)に現社名に改修された。
この神社を厚く崇拝し祈願所としたのが「川の内警護衆」と呼ばれた水軍の将「福島大和守」である。
現在の本殿は昭和6年(1931)に改修、拝殿は42年(1909)に増改築された
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/c6/e64fe8e0cff6cdce11e743032a5c5364.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/1e/6a9de032babaec6326693d9180896d2c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f5/e5e0bc06a6f5cbe3b2b2c4fd1d580e2f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/3c/135f40926672ea063defdc1320aa0a76.jpg)
ご神木は「さいかちの木」と思われ、才ノ木神社の由来になったと思われる。
ご神木のパワーを頂きました。
(根っこでもいいからと触ってきました)
◎ 川の内用水
太田川と古川に囲まれた温井、中調子、中筋、東野、東原の五地区を北から南へ貫通する
用水路です。
改修工事がなされていますが、経緯等についての記録は発見されていません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/31/76d7c4325db6344d37b53e0e2dcfa5f9.jpg)
古代山陽道を巡ります。
途中の「豪氏」の邸宅です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/f9/2d477d34a3f0169efd2dec9fd906e2e5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/8a/898981db76ccd4e934bf578dd2b33a26.jpg)
● どんこの石垣
この辺りでは、丸い大きめの河原石を「とんこ石」と呼びます。
角張った山の石が入手しにくいため、仕方なくとんこ石で石垣を築いてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/2d/06f5f59668a2a8c04a32c3748e1a0b6b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/c9/65de709a701ed78a135e4ddd86200fc2.jpg)
◎ 東野公民館
東野公民館にトイレ休憩に立ち寄りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/92/2f3c8cebb0e5486be14e02b06a1c7f02.jpg)
昭和35年頃の東野地区の画像と。現在の画像です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/64/2e40d35819fab2b53847acab0d7d7d3e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/54/d2ba61bd02e202f2ea4674bccfeb9116.jpg)
この画像に当たる地区を「キタンショウ」= 「北の庄」と呼ばれていました。
(現在の 古市、中筋、東野、小田、矢口です)
約、30分の休憩をし、15;30出発しました。
続きます・・・
平成29ー4/20(木) アストラム古市駅 13:30 集合 16名参加
コース 古市駅~戸坂公民館
散策経路
久保山神社~古川~才ノ木神社~川内用水~東野公民館~善教寺~古代山陽道~
千足渡し~戸坂公民館
案内人 佐々木卓也 指南役
今から1300年以上も前の飛鳥時代に当時の朝廷か造った七つの官道の一つ
「山陽道(古代山陽道)」が、ここ広島市安佐南区を通っていました。
古代山陽道は、官都(朝廷所在地)と大陸・半島よの玄関口である大宰府を結ぶ第一の
官道でした。
東野・川内ルートを歩きました。
◎ 久保山神社
ご祭神:大山津見神 ・大穴牟遲神
天保5年(1834)に古市地区の大火ですべてを焼失したが、再建されている。
昭和9年(1934)に鎮火100年を記念した「鎮火百年大祭記念碑」が立っている
3本の大銀杏が特徴。
境内の浅野家の家紋が入った手水鉢が奉納され厚く崇拝されたことが推測される。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/d0/5fc584d85e92e1c05915327f17999b12.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/f5/579b3cf51f1a6fe474df1a755cb16fb2.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/6b/21cc7331004442e1f5453f84e539aff7.jpg)
● 旧雲石街道
雲石街道は、現在の中区堺町で西国街道から別れ、出雲へ至る出雲路が一部残っている
かっては街道筋に商店や娯楽施設がが立ち並び、大いににぎわった、いまも歴史を感じ
させる木造の建物や蔵が一部残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/b3/2210ff0331bcfb0100e8589212f13a25.jpg)
古市の街には麻造りが盛んだった明治から大正にかけて、麻の繊維工場が50件ほどあった。
古川では繊維の「けば」をそぎ落す作業が行われており、旧街道から古川へ通じる石畳み
や蔵が残っている。
古川の河原だったころは、麻の繊維を干したと言われている。
水準点。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/31/29231392e4b598f8df890c321ae501f3.jpg)
● 古川
古川は良好な環境が保たれており、カワセミ、マガモ、アオサギなど20種もの水鳥が
飛来する空間である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/82/a186d293c4314d1d2fd33f34115769f4.jpg)
◎ 才ノ木神社
ご祭神 :誉田別尊
文政3年(1820)の古文献に記録が残っている「芸藩通誌」には「八幡宮」と記されている。
明治4年(1871)に現社名に改修された。
この神社を厚く崇拝し祈願所としたのが「川の内警護衆」と呼ばれた水軍の将「福島大和守」である。
現在の本殿は昭和6年(1931)に改修、拝殿は42年(1909)に増改築された
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/c6/e64fe8e0cff6cdce11e743032a5c5364.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/1e/6a9de032babaec6326693d9180896d2c.jpg)
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ご神木は「さいかちの木」と思われ、才ノ木神社の由来になったと思われる。
ご神木のパワーを頂きました。
(根っこでもいいからと触ってきました)
◎ 川の内用水
太田川と古川に囲まれた温井、中調子、中筋、東野、東原の五地区を北から南へ貫通する
用水路です。
改修工事がなされていますが、経緯等についての記録は発見されていません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/31/76d7c4325db6344d37b53e0e2dcfa5f9.jpg)
古代山陽道を巡ります。
途中の「豪氏」の邸宅です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/f9/2d477d34a3f0169efd2dec9fd906e2e5.jpg)
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● どんこの石垣
この辺りでは、丸い大きめの河原石を「とんこ石」と呼びます。
角張った山の石が入手しにくいため、仕方なくとんこ石で石垣を築いてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/2d/06f5f59668a2a8c04a32c3748e1a0b6b.jpg)
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◎ 東野公民館
東野公民館にトイレ休憩に立ち寄りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/92/2f3c8cebb0e5486be14e02b06a1c7f02.jpg)
昭和35年頃の東野地区の画像と。現在の画像です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/64/2e40d35819fab2b53847acab0d7d7d3e.jpg)
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この画像に当たる地区を「キタンショウ」= 「北の庄」と呼ばれていました。
(現在の 古市、中筋、東野、小田、矢口です)
約、30分の休憩をし、15;30出発しました。
続きます・・・
歩く、歩く、歩く( ^ω^)・・・
こっちら、いい天気なのに歩きたくない症候群で家に籠もっております。
外の方が温かいことは分かっているにもかかわらず・・・。
RUSSELL WATSONの「Va ,Pensiero」他を聴きながら。
どんこの石垣はすばらしい遺物ですね。
角ばった石より丸い石の方がやわらか味を感じます。
驚いたのは、昭和35年頃の東野地区の画像と現在の画像の違いです。
川の流れはほとんど変わらないのに、人家が増えていますねぇ〜。
これだけ住宅地としての、開発が進んだということなのでしょうか・・・。
あら~
いつもお元気なgettengらしくないですね~。
今日は私も1日家でごろごろです。
何故か鼻がムズムズですねー
どんこの石垣は、我が田舎では古い畑の石垣はみんなこんなですね~。
市内では珍しいですが…
安佐南区は特に田園風景が住宅街に変貌していますね。
旧市内ではもう畑も田んぼも珍しくなりました殆どありませんね~。
ここ東野地区も以前は畑、田んぼのようでしたね。
気持ち良く歩きました。