ひろしま遊歩100選ガイドツアー(海田市~安芸中野コース)に参加!
27-9/19(土) 海田市駅北口 9:45 集合 11名参加。
コース 海田市~安芸中野コース (NO、63)
海田村は、江戸時代を通じて海田市と呼ばれ広島藩の蔵入り地であった。
駅名は当時のままとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/e0/01a11e3abb4078d6ae919cd35cd6f07f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/1d/bca557bd559dc88f7433438798c632e6.jpg)
◎ 木製電柱
付近に木製電柱が多数残っている。
昭和5年設置、85年の歴史もの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/ad/030b0c223eb51acb9bfe1cdc20a456ed.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/e7/21779dcbd01e41e9fc1afd107160d982.jpg)
◎ 胡子神社と火の見やぐら
ご際神 ; 事代主命 大穴牟遲神・小名彦那神
文政年間(1818)以前に勧請
火の見やぐらはレプリカ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ea/2ae53c32d30ec0a843df37840d4034fe.jpg)
◎ 明顕寺の梵鐘
天文10年(1541)開基、浄土真宗
第2次長州戦争で戦死した高田藩の墓や芸州鋳物師筆頭総代の名工 植木(金屋)源兵衛製作の梵鐘
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/43/0de28bf239b0ee12a6b02bc98a91a1c5.jpg)
◎ 三宅家住宅
約200年前の建築。
江戸時代から明治にかけての大農家。
母家は寛政元年(1789)の建築、土蔵などが残され江戸時代の面影が残されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/f4/4412dddf3be687224a3f99a838d9a226.jpg)
◎ 千葉家住宅
建物は江戸時代中期の建築様式を伝えており座敷棟は安永3年(1774)の建築。
寛政元年(1789)の建築略図が残されている。
屋号は神保屋、江戸時代を通じて「天下送り役」「宿送り役」、町年寄役など役職を務めた。
お茶屋や脇本陣の代わりに上級役人が休泊した。
座敷は広島県の重要文化財、庭は名勝に指定されている。
4年前に、海田町に寄贈。(自由にみられる)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/9e/2564441192bf7fa06aacbcba9f9b76a2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/58/cd3cf99a179ed092f8816c54770d6c77.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/20/7919db36bc6bf60970786d189ebf38e7.jpg)
● ハナミズキが実が付いていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/a4/054360a818be100c89be22ed32bf559e.jpg)
● 脇本陣跡
本陣の補助的宿泊施設 → 加藤家(猫屋)
明治には安芸郡の群役所が置かれた → 今は海田公民館。
◎ 海田恵比須神社
海田市が完成した頃の延宝3年(1675)市町村全体の発展・商売繁盛を願い町の中心に設置
された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/ee/da6d5b07ab45e85edfbb1b5ca2dec84d.jpg)
変わった形の手押しポンプ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/98/66e0cfe350b9523208d67cb83af817ad.jpg)
◎ 御茶屋跡
参勤交代の大名や幕府の役人が宿泊するために宿場町に設置された施設。
御茶屋と呼ばれ、宿駅業務の基地でもあり、伝馬役として海田では人馬15組や籠10挺など
が置かれ、高札場もおかれていた。
続く・・・
27-9/19(土) 海田市駅北口 9:45 集合 11名参加。
コース 海田市~安芸中野コース (NO、63)
海田村は、江戸時代を通じて海田市と呼ばれ広島藩の蔵入り地であった。
駅名は当時のままとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/e0/01a11e3abb4078d6ae919cd35cd6f07f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/1d/bca557bd559dc88f7433438798c632e6.jpg)
◎ 木製電柱
付近に木製電柱が多数残っている。
昭和5年設置、85年の歴史もの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/ad/030b0c223eb51acb9bfe1cdc20a456ed.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/e7/21779dcbd01e41e9fc1afd107160d982.jpg)
◎ 胡子神社と火の見やぐら
ご際神 ; 事代主命 大穴牟遲神・小名彦那神
文政年間(1818)以前に勧請
火の見やぐらはレプリカ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ea/2ae53c32d30ec0a843df37840d4034fe.jpg)
◎ 明顕寺の梵鐘
天文10年(1541)開基、浄土真宗
第2次長州戦争で戦死した高田藩の墓や芸州鋳物師筆頭総代の名工 植木(金屋)源兵衛製作の梵鐘
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/43/0de28bf239b0ee12a6b02bc98a91a1c5.jpg)
◎ 三宅家住宅
約200年前の建築。
江戸時代から明治にかけての大農家。
母家は寛政元年(1789)の建築、土蔵などが残され江戸時代の面影が残されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/f4/4412dddf3be687224a3f99a838d9a226.jpg)
◎ 千葉家住宅
建物は江戸時代中期の建築様式を伝えており座敷棟は安永3年(1774)の建築。
寛政元年(1789)の建築略図が残されている。
屋号は神保屋、江戸時代を通じて「天下送り役」「宿送り役」、町年寄役など役職を務めた。
お茶屋や脇本陣の代わりに上級役人が休泊した。
座敷は広島県の重要文化財、庭は名勝に指定されている。
4年前に、海田町に寄贈。(自由にみられる)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/9e/2564441192bf7fa06aacbcba9f9b76a2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/58/cd3cf99a179ed092f8816c54770d6c77.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/20/7919db36bc6bf60970786d189ebf38e7.jpg)
● ハナミズキが実が付いていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/a4/054360a818be100c89be22ed32bf559e.jpg)
● 脇本陣跡
本陣の補助的宿泊施設 → 加藤家(猫屋)
明治には安芸郡の群役所が置かれた → 今は海田公民館。
◎ 海田恵比須神社
海田市が完成した頃の延宝3年(1675)市町村全体の発展・商売繁盛を願い町の中心に設置
された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/ee/da6d5b07ab45e85edfbb1b5ca2dec84d.jpg)
変わった形の手押しポンプ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/98/66e0cfe350b9523208d67cb83af817ad.jpg)
◎ 御茶屋跡
参勤交代の大名や幕府の役人が宿泊するために宿場町に設置された施設。
御茶屋と呼ばれ、宿駅業務の基地でもあり、伝馬役として海田では人馬15組や籠10挺など
が置かれ、高札場もおかれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/14/4d752032f484fecd018f530860b4622e.jpg)
続く・・・
千葉家にはいきなり行き、入れなかったことがありました。
予約制だということを知らずに出向いたものですから・・・。
古墳跡には行かなかったのですか?