12:50 少し早めに午後の散策に出発しました。
◎ 三階建ての土蔵
向洋地区には土蔵は多いが三階建ては珍しい。
◎ 伝統建築の沢田家
明治11年ころの伝統ある日本建築
先祖の七右衛門は元丹保村の戸長
付近の家の壁は「舟板」で補修されている。
◎ 法林寺
浄土真宗木辺派
(本堂に上がらせて貰ってお参りする
木造の藤解和上、阿弥陀如来は圓鍔勝三の作)
築山の、親鸞聖人増、さつきが素晴らしい。
見事な枝垂れ桜が見れませんでした。
阿弥陀如来、六角堂、原爆慰霊碑、
「藤解和上之像 圓鍔勝三作
近くの「手押しポンプ」は赤くして綺麗。
◎ 今も残る木製電柱
近年の電柱はコンクリート製
各地で地中化が進み、いつの日か電柱が消える日が来るかも
点検されているのか?
◎ 鏝絵のある土蔵
草津地区には多いが向洋では珍しい。
◎ 防火バケツ
付近の住民から戦時中からあると聞いた
当時消火訓練でバケツリレーをしたことがあったそうです。
(ここにも三階建ての土蔵が、往時の豊かさの象徴か?)
◎ 大原神社
ご祭神 伊那邪岐神、伊那邪美神、火具土神、須佐之男神
境内末社 荒神社(竃神社)恵比須神社 住吉神社
永禄年間(1558~70)の創建と伝えられている。
石段前の最も「短い橋」
オリンピックの「沖田芳夫氏」が境内でトレーニングされていたそうです。
暑かったです、休ませて頂きました。
◎ 向洋漁港跡
向洋公園、バス車庫、
向洋牡蠣供養塔、魚介藻碑
14:50
ここで今日の散策は終了です。
※の足を伸ばせば・・・の希望者がいませんでしたので解散です。
平成25年に一度この向洋地区を散策していますが、5年ぶりですが覚えて居るところや、
忘れている部分が多く、5年前にはあったものが無くなったり、15の井戸は健在でした。
皆さん暑い中、元気に頑張りました。
お疲れ様でした。
向洋で見た、「井戸」「花」は次回にUPします。
続きます・・・
◎ 三階建ての土蔵
向洋地区には土蔵は多いが三階建ては珍しい。
◎ 伝統建築の沢田家
明治11年ころの伝統ある日本建築
先祖の七右衛門は元丹保村の戸長
付近の家の壁は「舟板」で補修されている。
◎ 法林寺
浄土真宗木辺派
(本堂に上がらせて貰ってお参りする
木造の藤解和上、阿弥陀如来は圓鍔勝三の作)
築山の、親鸞聖人増、さつきが素晴らしい。
見事な枝垂れ桜が見れませんでした。
阿弥陀如来、六角堂、原爆慰霊碑、
「藤解和上之像 圓鍔勝三作
近くの「手押しポンプ」は赤くして綺麗。
◎ 今も残る木製電柱
近年の電柱はコンクリート製
各地で地中化が進み、いつの日か電柱が消える日が来るかも
点検されているのか?
◎ 鏝絵のある土蔵
草津地区には多いが向洋では珍しい。
◎ 防火バケツ
付近の住民から戦時中からあると聞いた
当時消火訓練でバケツリレーをしたことがあったそうです。
(ここにも三階建ての土蔵が、往時の豊かさの象徴か?)
◎ 大原神社
ご祭神 伊那邪岐神、伊那邪美神、火具土神、須佐之男神
境内末社 荒神社(竃神社)恵比須神社 住吉神社
永禄年間(1558~70)の創建と伝えられている。
石段前の最も「短い橋」
オリンピックの「沖田芳夫氏」が境内でトレーニングされていたそうです。
暑かったです、休ませて頂きました。
◎ 向洋漁港跡
向洋公園、バス車庫、
向洋牡蠣供養塔、魚介藻碑
14:50
ここで今日の散策は終了です。
※の足を伸ばせば・・・の希望者がいませんでしたので解散です。
平成25年に一度この向洋地区を散策していますが、5年ぶりですが覚えて居るところや、
忘れている部分が多く、5年前にはあったものが無くなったり、15の井戸は健在でした。
皆さん暑い中、元気に頑張りました。
お疲れ様でした。
向洋で見た、「井戸」「花」は次回にUPします。
続きます・・・
みなさんお暑い中良く頑張りましたね!
お疲れ様でした〜💕
5年前に行かれた所では覚えている事も多いでしょうね、、、
私は10年ぶり位に愛知万博記念公園を訪ねてみましたが、だいぶ記憶もあやふやでしたよ😅
そちらは豪商が多かったのでしょうか? 三階建てのお蔵がとても立派です。
法林寺のサツキがきれいな季節に行けて良かったですね。
3階建ての土蔵は綺麗に残っていますね。
この建物は3回くらい撮りました。
今回は5年振りのコースでしたが、忘れていますね~。😢⤵️⤵️
古い建物とかが現存していると嬉しくなります‼️
向洋は市内より少し離れていますので戦渦の傷痕も余り無かったようで
古い建物や土蔵が沢山あります。
新しい建物や旧家と入り交じった今風の街になりつつありますねぇ❗️
楽しくおしゃべりしながら歩いております。(笑
)
向洋は古い建物とかがたくさん残っています。
三階建ての蔵も漆喰を塗り替えたのか綺麗でした。😅
他にも沢山土蔵が有りました。
向洋地区には素晴らしい建物がたくさん残っていますね。
三階建ての土蔵や鏝絵の入った土蔵など貴重なものばかりですね。
伝統建築の沢田家も手入れよく保存されているようです。
船板を使った壁、今では見ることがほとんどないのでしょうね。
塩水が染み込んだ船板は強いのかもしれませんよ。
軒下につられた消火用のバケツも当時の面影を忍ばせますね。
向洋地区は市内より市内少しばかり離れていますので戦禍の被害も最小限に保たれたのかもしれません。
旧家や土蔵も多く残っています。
平清盛が切り開いた堀越には清盛の子天女姫が天然痘で亡きなり小山の上に建て祀った疱瘡神社もあります。
井戸もたくさん残っています。
「防火バケツ」はドラマで戦時中に消火でバケツリレーするシーンをよく見かけますね!
なんじゃもんじゃの花は嬉しかったです!!