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ひろしま歴史街道散策くらぶ2月定例会に」参加する~!  1

2016-02-19 10:25:03 | ひろしま歴史街道散策くらぶ
  ひろしま歴史街道散策くらぶ2月定例会に参加!
  28-2/18(木) JR山陽本線大野浦駅  13:45 集合  17名参加

     「西国街道と間宿大野」

  散策経路  塩屋一里塚 ~ 千人塚 ~ 大頭神社 ~ 妹背の滝 ~ 西教寺 ~ 陣場~高庭駅家跡
  ~ 大野市民センター
  解散場所→( ハートバスにて移動 )広電宮島線阿品駅

   
  案内人  佐々木卓也 指南役

 
 


  いつもと15分遅れての出発になりました。
  西国街道(近世山陽道)散策です。

 ◎ 今川貞世の歌碑 
  応安4年(1371)9月に将軍足利義満の命を受け、今川貞世(了俊)は九州探題として南朝方の攻略のため下行しました。
  道中記の「道ゆきぶり」に、「おほのうらを これかととへば 山なしのかなたへの もみじ色に出でつつ」  と記しました。

 
 
  


 ◎ 塩屋一里塚跡
  大野の地は、江戸幕府により五街道に次ぐ脇街道として西国街道(近世山陽道)が整備されました。
  広島城下の元安橋東詰めの里程元標から東西一里毎に一里塚設置され、塩屋一里塚跡です。
  広島城下から6里。

 


  廿日市市大野観光案内板 (駅前の)

 


  西国街道 (旧山陽道)
  
 


  門山城 (厳島合戦)
   大永3年(1523)に大内軍は大野の門山に陣を張り、翌年に女滝の武田、友田軍との合戦が起きました。
   大内軍の敗戦で和議が交わされたものの、天文10年(1510)に更に侵攻し門山城下は大内軍に落ち、
   それが引き金となり弘治元年(1555)の「厳島合戦」となりました。


 


 マンホールの蓋 → 公共汚水・うすい

 


 


 道標 → 右 宮島・廣島道  左 宮内道・妹背滝道 滝迄 11町半

 


 毛保川 → 妹背の滝へ続く (毛保:葦、茅など)

 


 大頭神社鳥居 (両面鳥居)

 


 ◎ 仙人塚 
  仙人塚は、大野地区は第2次長州戦争の戦場となり、幕府軍は西教寺に本陣を置きました。
  慶応2年(1866)6がつから2か月間激戦は繰り返され、多くの兵士が戦死しました。
  大頭神社の入口には、この戦いに戦死した無名戦士を、滝の下「仙人塚」として葬りました。

 


 


 ◎ 大頭神社 
  大頭神社は厳島神社の摂社として、推古天皇11年(603)に建てられたと伝えられています。
  国常立尊(くにとこたちのみこと) 大山祇尊(おおやまずみのみこと)及び厳島神社の初代神職の佐伯鞍職  (さえきくらもと)の三神を合祀しています。
  平清盛が安芸守であった当時から、毛利、福島、浅野三家を経て廃藩当時まで、社領米を附せられ、「鳥喰」
  と「四鳥(しちょう)の別れ」の神事が伝えられています。
  大正2年(1913)に妹背の滝のほとりに社殿を移し、同時に幣殿と拝殿を新築しました。

 


 


 


 


  丁度車のお祓いをしてもらっている人が居ました。
  本殿にお参りしました。
  木製の由緒ある神社の様です。

   続きます・・・

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