吾輩はインコ也

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今日は少しだけ拙僧のプロフィールのお話を・・・

2019年04月15日 22時36分22秒 | 近況
う~ん(--;) 実は、私のことを詳しく教えて欲しいというアクセスがあったので少しだけ書いておくことにします
まぁあんまり詳しくは書けないんだけども・・(個人情報に関わりますからね^^;)
ヤッパリ誰のプロフィール読んでも短文でしか書いてないので殆ど解りませんよねえ・・私ももっと知りたいなぁと思う方がいますけど
中々に訊き辛くてねえ(笑)

でわでわ・・先ず 年齢は現在62才の初老の頃です 性別は♂であります
幼い頃から実家が高級鮮魚専門の卸屋と小売り それに割烹店を二軒やってましてえ まぁ言ってみれば小さい頃から魚とは切っても切れない
そんな環境の中で育ってきました^^;

徐々にではありますが世の中が変わって行くに連れ 周りの小料理店やレストラン等も無くなってしまい
それにつれ我が家の商売も形を変えながら生き延びてきましたが とうとう35年ほど前から商売を止めてしまい
現在ではビルオーナーをやっておりまする まぁ小さな6階建ての小さなビルですが熊本の繁華街でも一番の高級地に建っておりまする^^
まぁ焼き肉屋さんとかBARとか色々と入っておりますがー これもヤッパリ今では昔ほどの活気は無いみたいでぇ
やはり時代の動きがこういう結果になってしまってるのでしょうねえ(--;)
今のところはお陰様で私のビルでは空きは全くない状態ですが これが空きが出てきたりすれば 即 収入に影響してきますので口から泡吹きますわ(笑)

次に私の僧としての履歴なんですけど・・・
私が物心ついたときから私と母は「日蓮正宗」に属してて それも創価学会という団体に加入しておりましたが
私が21歳の時に 何だかこの団体はおかしいなぁ 私は真実を探求してるのに やれ選挙だ それ寄付金だ」これじゃ詐欺まがいの団体と
変わらない気がしてきて脱会しました。 私の求める宗教観とは全く違ったのでねえ・・

それから一年ほど一人で書物を読み漁ったりして独学で学問していたのですが
今の私のお師匠が富士の大石寺を下りられたのを知り その後お会いしたくてお目通りが叶った時に
師の話を聞き 俗に言う「目から鱗が・・」の境地になり弟子入りを願ったのですが断られました(笑)

私の師匠は長い間(小学4年生に時に出家され)大石寺で僧としての修行を重ねながら「日達上人」に可愛がられ学問に励んでおられたのですが
日達上人が御入寂の後暫くしてから山を下りられたのです
「もう二度と富士の大石寺付近へは足を踏み入れてなるものか」と誓いを立てられました

長い間の創価学会による献金で寺は絶大なる金持ちになり 僧達の半分以上は心得違いになり寺は堕落してしまったのである
日達上人亡き後 阿部日顕が実権を握り 又その後直ぐに創価学会との確執が生じ学会と分断となった

実は私の師匠は早くからこうなることを予見していたのある 父親に「いつか日蓮正宗と創価学会は別れることになる」と言ったら
そんなことあるものかと激怒されたらしい 父親は熊本県のお寺の門前で学会専門の仏具屋を営んでおられて熱心な学会員だったのです
それでも師匠は父親に必ずそうなると進言したら とうとう勘当されてしまったのです
そこで師は「分りましたと言い 完全に親や兄弟とも縁を切ってしまわれた」

それから二十年ほど経ち予見していたとおり学会と宗門は大喧嘩になり離れてしまった

また、師は 阿部日顕は心の中が名誉欲や物欲などで汚れてしまい 日蓮聖人の教義も都合の良いようにねじ曲げてしまってるのを
見るに耐えかね 大石寺と縁を切り下山された
この他にも 何人もの僧侶が大石寺と別れて 下山されたのだが 何処の団体にも属さないで正しき道を歩まれてる御僧侶は数少ない 希有である
下山された僧侶同士で「正心会」やら色々と出来たらしいが師にも誘いが来たが これも一体何をやりたいのか真実の教えを探求する気も無いような
団体なので断られた・・・大石寺の楠の板本尊信仰は正しい とか言ってる時点でこの団体もおかしすぎだな そお思ったそうである。

まぁそんなわけで 故郷熊本の地に奥様とご一緒に帰郷されてとても寺とは見えそうにないのだが御堂を建てられたのです
当時、創価学会と宗門との間に生じた大騒動で学会を辞めた人も全国ではかなりいた 熊本にも何人かいたのですがその中で師の元へたどり着いた者
そのまま信心を止めた者 法華講に入った者 正心会に入った者 等々いたのだが今では誰がどうなったのか知ろうとも思わない・・

まぁ説明が複雑すぎて少し長くなってしまったが そこは大変申し訳なく思っております。
そんなわけで私は 一度断れたのですが(弟子は取らないということであった) 何度も師の元へ講義をして貰いに通った
私は、師の話を貪るように聞き いつも衝撃に打たれながら帰っていた そしていつの日だったか師から問われた
「ご家族は 貴方が宗教に一生懸命にはまり 精進するのを嫌がられたり 喧嘩になったりすることはないのですか?」
私は 「いやぁ 私のすることには犯罪以外だったら誰も何も言いませんよ」と答えたました

そして師がホントのことを仰ったのです 実は今までに 女性が一人 男性が一人 優婆塞(在家の男の弟子) 優婆夷(在家の女性の弟子)
になりたいと言って弟子みたいに通ってきてた人がいたのですが 男性の方は あまりにも考えすぎて どうやらおかしくなったらしくて
奥さんが もう止めさせて下さいと言ってきた」と言うことである 何でも精神に異常をきたしたらしいとのことだった
また女性の方は 旦那さんが 師匠と男女の関係になっているんじゃないかと怒って 師匠のところまで怒鳴り込んで来られたらしい
まぁ、疑われるのも仕方の無いことかも知れない 毎日のように通って熱心に学問してたのだから 旦那はおかしいと思うのが本当だろう。

まぁそういうことで私が優婆塞として弟子入出来たのは初対面から一年後くらいしてからでした
それから今まで丁度40年経ちます それでも未だに師の善知識の足元にも及ばない知識しか授かっていません
弟子になり35年ほどしてから ようやく得度して頂き 師が多忙なときだけ僧侶としてお手伝い出来るようになりました

気がつけば簡単に書くはずだったプロフィール 凄く長くなってしまってました^^; 申し訳ありません

あまり長くなったので 釣行日記の続きは又明日と言うことで 宜しくお願い致しますm(__(m