やっと、秋らしい雰囲気になってきました・・・ここ山口も
今年は、マツバギクもずいぶんと長く咲いていましたが・・・・
前回の続きですが・・・
(株) 34 は、ある意味、性善説が基本の社員教育の企業でして・・・
私達社員にとっては、ありがたい会社でした。
当時のアパレル(既製服業界)は、デパートなどの平場で服を展開している大手企業と、
会社それぞれの個性を打ち出して
専門店とか、デパートの箱売り場に商品を展開している中堅アパレルなどありました。
※ 服は、似ているのですが、営業形態が企業によって違っていたみたいです。
もちろん、今現在もそれぞれ形態の違う企業で成り立っているアパレル業界ですが、
海外ブランド、ファストファッションなどない時代でした。
ファストファッションが市場を制覇してから、服に対する価値観が大きく変化したような気がします。
私が在籍していたのは、 中堅アパレル (株) 34でした。
中堅アパレル とは、・・・
当時、東京ブラウス・一珠・コマンド・関東ドレス・ローマ岩島・山貴・ (株) 34等のアパレルです。
フランスのパリコレクションの主催団体 【サンディカ】から
ネーミングをまねて、【東京サンディカグループ】というアパレルのグループを作り
展示会とかの情報交換をしていました・・・
前置きが長くなりました・・・
お世話になった、ありがたい会社・人を大切にする会社 (株) 34での、エピソードです。
(株) 34 は、中堅クラスの企業とは言っても、課が34ありまして、
それぞれの課は、独立採算制でした。
会社のビルも、青山・六本木・小伝馬町・小岩(他にもあったかも・・・)にあって、
ビルの中に、それぞれの課 (ブランド) が存在して、営業していて、
ビルは本社管理。
つまり、各ブランドは本社に家賃を支払う形態でしたが、
他の事は、ブランド事好きなように営業形態出来ました。
私が在籍していた М・М課 は、(株) 34 の中でも、重衣料中心で単価の高い服を展開して
かなりの結果を出していたようです。
どんな服を作っていたか❔❓
こんな服
※ シャネルツィードを使い、お出かけ用のスーツが多かった
なぜか?? 私はモデル・・・
ターゲットの人の一般的な体型だったからでしょう・・・
※ 皮コート・毛皮コートも作りました。
背景は当時の私のデスクの回りです。
※ シンプルで、上質素材が多かったです。
社員価格でないと、薄給の私には買えない・・・
でも、この頃20代後半・・・ふけてるよね❔❓
М・М課は、責任者の下に・・・
営業・企画МD・デザイナー・パタンナー・生産・縫製とスタッフがいて、
30人くらいだったかな・・・
企画室には大きなステレオが置いてあり、好きなレコードを持って行って
仕事中、ずっとレコードなりっぱなし・・・
お蔭で、いろんな新しい音楽を吸収出来出来ました
ほとんど洋楽ですが・・・
でも、独立する人達も大勢いましたね・・・
“トラ”で有名な、(もう古いかな❔❓) あの会社もそうだし
後に、就職してブランドを持たせて頂いた、
人生で一番輝かせて頂いた、会社の社長も・・・(株) 34の独立者❕
そんな20代を、デザイナーとして
明けても暮れても、洋服の事ばかり考えて過ごしました
でも、求めている服の世界とは、どこか違う
いつも、そう感じながら仕事してましたね・・・
そんなある日、妹が海外で買ってきた、イタリアの、本家本元 の “マックスマーラ” のコート”
すごい衝撃 ❣❣❣
妹は、キャビンアテンダント (当時は、スチュワーデスと言っていましたが・・・) をしていました。
その、“マックスマーラ” のコート” が、これです。
『これだ❕❣』こういう服を、作りかかった・・・
シンプルで、機能的・・・しかもオシャレ・・・素材がとても生きているし、
長く着ても、着こなし方で雰囲気が変わる
しかも、年齢にも、社会的な立場にも関係ない服・・・
日本のアパレルでは、まだまだこんなに洗練された服はあまり見かけなかったのです。
服のイメージは、年齢で縦割りしていました。
その後、DCブランド が、ファッション界を風靡し始めたのです。
どの会社に行けば、作りたい服を作れるのかしら❔❓
どこにそんな会社あるのかしら❔❓
あろうはずはないのです・・・
だから、DCブランドを立ち上げた人達は
みんな手弁当で作りたい服を作り始めたのに・・・(当時はそんな事すら、分からない無知な私)
世間を知らない私は、
そんな会社を求めて、30代はいろんな会社を渡り歩きました。
※ いろんな茶碗があります・・・これは、飯茶碗用・湯呑用など決まっているかもしれませんが、
どんなシチュエーションに使っても、いいのでは❔❓
※ クロスオーバー・・・音楽だけでなく、普段使っているものを上手くカッコよく使う
日本人は、あまり良く言わないし、上手でもないですね❔❓
光 (作りたい服)を 求めて、東京の街を市場調査していた20代後半~30代前半です。
履歴書の欄には、会社の経歴を書ききれない位でした
職歴は、デザイナーで変わりませんでしたが・・・
最近の私・・・当時必死に考えていたことを思い出しながら
まんざら間違っていなかったかもね❔と・・・
もう少し遅く産まれていたら❓とも・・・
服は年齢でも、性別でも、社会的立場でもなく、着る人の
雰囲気にあったものでいいのだと、つくずく思います。
流行に関係なく、取り入れていいのです❣❕