素直なきもちで・・・ありがとう!

思うまま、日々感じたこと、写真の画像加工をupしています。
ハンドルネーム :Kaigowearと申します。

すごい衝撃でした・・・

2023-10-27 11:29:27 | 日記

   やっと、秋らしい雰囲気になってきました・・・ここ山口も 

 今年は、マツバギクもずいぶんと長く咲いていましたが・・・・

      

     前回の続きですが・・・

 (株) 34 は、ある意味、性善説が基本の社員教育の企業でして・・・

 私達社員にとっては、ありがたい会社でした。

 

 当時のアパレル(既製服業界)は、デパートなどの平場で服を展開している大手企業と、

    会社それぞれの個性を打ち出して

 専門店とか、デパートの箱売り場に商品を展開している中堅アパレルなどありました。

    

    ※ 服は、似ているのですが、営業形態が企業によって違っていたみたいです。

      もちろん、今現在もそれぞれ形態の違う企業で成り立っているアパレル業界ですが、

      海外ブランド、ファストファッションなどない時代でした。

      ファストファッションが市場を制覇してから、服に対する価値観が大きく変化したような気がします。

 私が在籍していたのは、  中堅アパレル (株) 34でした。

 

 中堅アパレル とは、・・・

 当時、東京ブラウス・一珠・コマンド・関東ドレス・ローマ岩島・山貴・ (株) 34等のアパレルです。

 

 フランスのパリコレクションの主催団体 【サンディカ】から

 ネーミングをまねて、【東京サンディカグループ】というアパレルのグループを作り

 展示会とかの情報交換をしていました・・・

 

     

 前置きが長くなりました・・・

 お世話になった、ありがたい会社・人を大切にする会社 (株) 34での、エピソードです。

 (株) 34 は、中堅クラスの企業とは言っても、課が34ありまして、

 それぞれの課は、独立採算制でした。

 会社のビルも、青山・六本木・小伝馬町・小岩(他にもあったかも・・・)にあって、

 ビルの中に、それぞれの課 (ブランド) が存在して、営業していて、

 ビルは本社管理。

 つまり、各ブランドは本社に家賃を支払う形態でしたが、

 他の事は、ブランド事好きなように営業形態出来ました。

 

    

 私が在籍していた М・М課 は、(株) 34 の中でも、重衣料中心で単価の高い服を展開して

 かなりの結果を出していたようです。

 どんな服を作っていたか❔❓

 こんな服

      

    ※ シャネルツィードを使い、お出かけ用のスーツが多かった

      なぜか?? 私はモデル・・・

      ターゲットの人の一般的な体型だったからでしょう・・・

      

     ※ 皮コート・毛皮コートも作りました。

       背景は当時の私のデスクの回りです。

      

     ※ シンプルで、上質素材が多かったです。

       社員価格でないと、薄給の私には買えない・・・

       でも、この頃20代後半・・・ふけてるよね❔❓

 

М・М課は、責任者の下に・・・

営業・企画МD・デザイナー・パタンナー・生産・縫製とスタッフがいて、

30人くらいだったかな・・・

企画室には大きなステレオが置いてあり、好きなレコードを持って行って

仕事中、ずっとレコードなりっぱなし・・・

お蔭で、いろんな新しい音楽を吸収出来出来ました

ほとんど洋楽ですが・・・

      

      

 でも、独立する人達も大勢いましたね・・・    

 “トラ”で有名な、(もう古いかな❔❓) あの会社もそうだし

後に、就職してブランドを持たせて頂いた、

人生で一番輝かせて頂いた、会社の社長も・・・(株) 34の独立者❕

 

     

 

 

     

そんな20代を、デザイナーとして

明けても暮れても、洋服の事ばかり考えて過ごしました

でも、求めている服の世界とは、どこか違う

いつも、そう感じながら仕事してましたね・・・

 

そんなある日、妹が海外で買ってきた、イタリアの、本家本元 の “マックスマーラ” のコート”

     すごい衝撃 ❣❣❣

妹は、キャビンアテンダント (当時は、スチュワーデスと言っていましたが・・・) をしていました。

その、“マックスマーラ” のコート” が、これです。

 

        

    『これだ❕❣』こういう服を、作りかかった・・・

シンプルで、機能的・・・しかもオシャレ・・・素材がとても生きているし、

長く着ても、着こなし方で雰囲気が変わる

しかも、年齢にも、社会的な立場にも関係ない服・・・

 

 

日本のアパレルでは、まだまだこんなに洗練された服はあまり見かけなかったのです。

服のイメージは、年齢で縦割りしていました。

 

その後、DCブランド が、ファッション界を風靡し始めたのです。

      

 

どの会社に行けば、作りたい服を作れるのかしら❔❓

どこにそんな会社あるのかしら❔❓

       

あろうはずはないのです・・・

だから、DCブランドを立ち上げた人達は

みんな手弁当で作りたい服を作り始めたのに・・・(当時はそんな事すら、分からない無知な私)

 

世間を知らない私は、

そんな会社を求めて、30代はいろんな会社を渡り歩きました。

       

     ※ いろんな茶碗があります・・・これは、飯茶碗用・湯呑用など決まっているかもしれませんが、

      どんなシチュエーションに使っても、いいのでは❔❓

         

        ※ クロスオーバー・・・音楽だけでなく、普段使っているものを上手くカッコよく使う

          日本人は、あまり良く言わないし、上手でもないですね❔❓

 

        

 

光 (作りたい服)を 求めて、東京の街を市場調査していた20代後半~30代前半です。

履歴書の欄には、会社の経歴を書ききれない位でした

職歴は、デザイナーで変わりませんでしたが・・・

 

 

        最近の私・・・当時必死に考えていたことを思い出しながら

               まんざら間違っていなかったかもね❔と・・・

               もう少し遅く産まれていたら❓とも・・・

              服は年齢でも、性別でも、社会的立場でもなく、着る人の

              雰囲気にあったものでいいのだと、つくずく思います。

              流行に関係なく、取り入れていいのです❣❕

 

          

 

       


日の出の勢い❣❣❣

2023-10-09 12:24:02 | 日記

毎日、いろんな場面で

   「暑いですね~~ 」を連発していた日々も

いつの間にか、落ち着いてきました。

       

        ※ 10月10日(体育の日)・・・頭の中にインプットされていたのに・・・

         1964年(昭和34年) の東京オリンピックの開催日を記念して、この日が

         体育の日となったのですね・・・

         一年の中で、この日前後が天候的にも晴れの日が多く、気温も運動するのに適しているとか・・・

         今年に比べて、この頃はもっと肌寒かったように記憶しています・・・

         そして、平和だったし、空を見上げていた・・・そんな記憶があります。 

爽やかな秋晴れの日々がしばらく続いて欲しいものです

 

      

    前回の続き・・・です!

病気の母に励まされて、東京に帰ってきた私です。

   結局、母は、手術して癌を摘出も出来ず、自宅療養になりました。

   そして、妹も大学のために上京。

実家では、父と、病気の母の二人の生活になりました。

二人が、どんな思いで日々を過ごしていたのか・・・・・

知るよしもないけれども・・・

二人とも、毎日、辛かったのでは   

   今思い出すと、本当に心から、申し訳ない気持ちでいっぱいです・・・

        

     

       ※ うっすらと、明るい光が見える  

       そうではなく、退院後は自然に任せるまま (病院の治療は全く受けずに)

       食事療法とかで、微かな希望をもっていた母です。

                            しかしながら・・・

       少年 占い師が言っていたように、秋風がふく、中秋の名月の頃、早すぎる生涯を終えました。

       痛み止めがあれば、あんなに苦しむこともなかったでしょうに・・・

 

        

       駆けつけた私に、「お父さんを、たのむね・・・」といいながら・・・

       

       ※ 老いも経験することなく、母は旅立ちました。

         「お父さんをたのむね・・・」と、私に言い残したことば が、最後でした。

         不平不満も言わず、娘二人の成長を楽しみに生きていた、シックな色合いが好きで、オシャレな母でした。

 

母の病気が発覚し、入院し、手遅れで手術も出来ず、退院し自宅療養の頃は・・・

  (株) 3 4に、入社したばかりの私でした。

 

既製服業界のことは何も知らず、知り合いもいないし、

ただただ、服が好き❕❕というだけで、

いつかは❓を夢にみながら、日々を送っていたように思います。

 

その頃の、(株) 34では・・・

デザイナーの仕事は、МDから生地を渡されて、その生地にあったデザインをおこし、

MDに見てもらい、OKのサインを貰って、そのデザインのパターンを、各自自分でおこすシステムです。

 

生地を渡してもらわない事には、先に進めないのです・・・

       

          (株)34の、М・М課には、МDの下に数人のデザイナーとパタンナーがいて、

            МDのお気に入りの人たちが、仕事らしい仕事ができました。

            私は無愛想だったせいか、同郷のよしみで入社させて頂いたのに、現物化が決定されている

            生地は、ほとんど渡されませんでしたね

           

生地も、契約済みの生地と、とりあえずサンプルを作ってから、良かったら発注しよう

MDが思う生地の2種でした。

でも、年間の売り上げ予算が決まっているわけですから・・・

良かったら発注しようの生地の枠はわずか ・・・・・

新米デザイナーには、良かったら発注しようの、生地がたまに渡されるだけ

  おめでたいのか❓

  のんびりしているのか❓

全く気にしてなかった・・・私です。

    それでも、都内のいろんなお店を見ながら、『なるほど・・・』『こういうデザインもいな~~

いつも、デザインイメージはいつも膨らませていました・・・

お店も服だけではなく、いろんなステキなお店をリサーチするのが、とても楽しかったなあ~~

      

でも、人を大切にする会社 の (株) 3 4 です。

時間はかかりましたが、(株) 3 4 に在職中、パターンメイキング は、かなりマスターできました。

       

ちなみに、パターンメイキングは、大きく分けて二通りあります。

   

ありがたい事に、お給料を頂きながら、

会社に対して貢献することもなく、二通りのパターンメイキングを修得出来ました。

     

     ※ 同じ場所・・・二通りのイメージで表現しました。

     

前回書いた、大野順之助先生はどちらかというと、“ドレーピング法”

人を大切にする、(株) 34の社長は“ドラフティング法” で、指導いただきました。

  パターンメイキングは、最初はあっても、終わりはないのです

 

そして、デザイナーとして認められるようになるには、

自力で頑張るしかありません。

  それでも、たまには・・・

МDから、生地を渡され、「kちゃん!この素材 (生地のことで、業界ではこう呼んでいました) で、

カッコいいデザインをしてみてよ・・・」

  ◆テレビも持ってないし、趣味はお店を見て歩くこと◆

頭の中の引き出しからいろんなイメージを引っ張り出して、デザインします

    

     ※ この頃は、パリ・シャネル風・・・そんな時代でした。

       私はシヤープなサンローランが好きで・・・

       食費を削っても、サンローランの、スーツは無理でも、単品アイテムを買いたかった

 

よく出来て、現物化されて、売れた時は、本当に嬉しかった・・・

新幹線の中とか、街で私のデザインした服を着ている人に会うと (ごくごく、たまですが・・・)

お礼を言いたくなりました

 

(株) 34をはじめ、当時のアパレル業界は日の出の勢い

  サンデカグループ という既製服業界でグループを作り

  情報交換とかしていたみたいです・・・

  新米の私は全く知りませんが・・・

サンデカグループが結束された頃は、婦人服はよく売れたそうです。

  ――女性が、家庭でミシンを踏んで、服を作る ――

そんな時代から、少しずつ、服作りが変化していた時代だと思います。

 

       💛 💛 💛

先輩たちは、年一回、決算時期には、決算賞与が頂けて、なんと金額は・・・

   札束が立つ 金額だったそうです。

残念ながら・・・私が入社した頃は、少し遅かった

  でも、

いろんな経験が出来た、正に人を大切にする会社 (株) 34なくしては、仕事人生を

語ることはできません

次回は、(株) 34 での、いろんなエピソードを書きたいと思います。

当時に、アパレル業界のひとコマになるかと思います

 

       ※ 最近見つけた、山口のパン屋さん

         内装も外観もオシャレでした。

         地方は、ポッ と、そんなステキなお店があります。

        

     

     

    ※ いつもオシャレなお店を覘いていた東京生活ですが・・・

      山口もポッと、数件あります。

      詳しくは知りませんが、建築、内装を手掛けている方は、県内の数か所を手掛けている方で

      他にも数個所あるらしい・・・行ってみたいと思っていますが・・・