素直なきもちで・・・ありがとう!

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ハンドルネーム :Kaigowearと申します。

個性の大切さ・・・今でこそ分かりますが・・・

2023-08-31 11:12:32 | 日記

今日で八月も終わりです

まだまだ、残暑は続きそうですが、暦の夏は過ぎていきますね・・・

       

       ※ 山口は回りを、低い山々に囲まれた筒の底のような盆地です。

         そんなせいで、青天の日はほとんどないのですが・・・

         ─ 今年の夏も昨年以上の暑さでした。山口県庁前の街路灯と青空 ─

さて、前回の続きのお話しです

 

   〇工房 〇〇 〇アトリエ 入社した頃のことです。

その年にデザイナーとして採用された人は3名でした・・・

偶然だとは思いますが、3名とも「川」のつく苗字

Y川S川・そして私 k川 の3名

      

        ※ ショップのネームプレート・・・構図、アングル、色彩で違って見えます・・・

Y川S川さん達は、デザイン科卒業なので、私より2つ年上でした。

 

新米デザイナーは、入社後はしばらくの間はデパートにある 〇〇 〇プレタポルテコーナー で、

お客様と、直接応対し、お客様の好みや、市場の流れをつかむための、経験をします。

そして、週一回はアトリエに行って、電話の応対の仕方、お茶の出し方‥等、先生の秘書さんや

チーフデザイナーから、特訓を受けます。

先生は、皇室の方の、主任デザイナーだったし、顧客さまには政治家の奥さまなど、著名な方が多くて

電話の応対とか、とても厳しかったです

       

       

       ※ 山口市内のお店の写真です。

         今でこそ、オシャレなお店も少しはありますが、私が十代の頃は

         地方と都会(東京がダントツかも❓❔)のオシャレ度の、温度差はすごくあった様な・・・

      

3川の新米デザイナーの内、k川なる私は日本橋高島屋の

”〇〇 〇プレタポルテコーナー”に配属されました。

          

因みに、あとの二人の川さんは

Y川さんは・・・即アトリエ勤務 (長身でスタイル抜群で、先生お気に入りのモデル

        小泉ひとみさんとサイズが同じで、ひとみさんの変わりにフィッティングが

        可能だったせいかもしれません❓)

s川さんは・・・京王デパートの”〇〇 〇プレタポルテコーナー”で、販売実習 でも、直ぐにアトリエ勤務

 

苦痛だった、高島屋での経験が、後々とても役にたったのですが・・・・

      

 

       

       

       ※ レイアウトの概念・・・特に勉強した訳ではありませんが、デパートの上から下を見て回り

       ステキな雰囲気を感じるレイアウトは❓

        いやいや通っていた、日本橋高島屋での経験が

       日々独学出来たように思います。

         

        当時は不愛想な私でした。

        「あなたが仏頂面で立っていると、お客様が逃げていかれるから、ディスプレーを上手くして!!」

        と、”〇〇 〇プレタポルテコーナー”のディスプレーを任されました。

       日本橋高島屋の上から下までの商品を借りて、トルソーやマネキンの側に商品を置いたディスプレーを

       張り切ってしてました。

       

でも、今思うと大変でした

若いから出来たのでしょうね~~

日本橋高島屋の時は、生田から日本橋まで一時間以上かかったし、

一ケ月に一度はデザイン画を提出しなくては、アトリエ勤務にならないし・・・

夜、デザイン画をコツコツと描いていました。

 

ある日、【装苑】のページをめくっていたら、

見たことのあるデザインが

前の方のページに、大好きだった当時の人気モデルが着て、掲載されていました・・・

もちろん、先生の作品として・・・

       それでも、嬉しかったな~~

そうこうしているうちに、やっとアトリエ勤務 一年以上かかりました  

 

    

       

ところが、想像以上に大変な  アトリエ勤務

 

朝8時半 の朝礼に 間に合うように出勤 

生田から、小田急線で明大前で井の頭線に乗り換えて渋谷(30分くらい?)

渋谷から、徒歩でアトリエまで15分以上かな?代官山方向には・・・

 

8時半までには、新米は、掃除を終えてなければならなくて・・・

 

普段の日はそれで良かったのですが、

先生が皇居に出かけられる日は、それに加えて仮縫いの用意

ピンクッションに、シルクピンを放射状にめぃっぱい美しく指すのが私の役目

      

少しでも、放射状が一方方向に向いてなかったら、台風も地震も同時にやってくるのです

 

先生は、感情の起伏の激しい方だったので、

”サンドバック” の代用に、私を採用したのかと思うほど、

良く叱られましたね・・・

     考えてみても、同期生の二人はデザイン科を卒業して四年間学んでいたし、

     東京育ち。

     短大の被服科二年しか勉強してないし、田舎者の私です。

     比較するほうが、おかしいですよね❓  ❔

        

        ※ 個性の大切さ・・・今でこそ分かります。

         当時の私は、コンプレックスの塊・・・都会人に憧れて、必要以上に背伸びしてました 

アトリエ勤務の様子、もう少し残っていますが・・・またの機会に

 

最近の私のことです。

8月27日が甥の誕生日でした。

思い出の写真やプレゼントしてもらったものを加工しました。

       

       

 

 

 

 

 

       


『悲しき雨音』がラジオから

2023-08-24 11:09:14 | 日記

珍しく、短期間の投稿です・・・

前回の投稿から、数日で投稿です 

   理由は

   書く内容を忘れてしまいそうだから・・・

   それと、少し精神的に落ち着いてきたから❓❔ ・ でしょうか

     

      ※ 月一回検診して頂いている、歯科医院の中の絵や、飾ってあるお花です。

        廊下の壁に、ステキな絵が飾ってあります。

        でも、一度撮らせて頂くと、次回は違うもの・・・

        そんなことはないので・・・

        歯医者さんシリーズはおしまいでしょうね・・・

     

 

短大部二年(19才)の、十一月か師走の頃、就職か、デザイン科に進むか決めなくてはなりません。

当時は携帯電話もないし、手紙か固定電話(大家さんからの呼び出し電話) で、田舎の母親と相談したら

経済的な事情もあり、出来れば就職して欲しいと・・・

 

事務局前に、就職案内の張り紙があったのですが、

被服科と言っても、嫁入りの、釣書 のための短大卒には、

デザイナー募集の張り紙は、ほとんどありませんでした。

      

    ※ 田舎風の建物・・・ヨーロッパと日本、他の国の建物

               それぞりに個性があり、生活に密着した工夫がされているように、

               授業内容も、違ったのでしょうか❓

               ほとんどが、事務関係の職種だったような??

               何のための被服科だったのかな❔

               まだ、既製服も少なく、家庭でミシンをふむ母親の姿が普通だったのでしょうね

               やっぱり、花嫁修業の ”〇〇大学短大部” でした・・・

         

それでも、二・三社はありました。

二社願書を提出したと思います。

一社は、(当時はまだ珍しかった既製服でニットメーカー) ここは、年内に受けて、見事に不合格

もう一社は、年が明けてからの試験でした。

最初の 不合格 した会社に、人生で始めての不合格  の悲しみを、味あわせてもらい、

失望のどん底・・・

        

でも、卒業式までは数か月残っているし、

卒業後は就職が出来ないと、田舎に帰らなくてはいけないのは決定している

何のために、東京で二年間過ごさせてもらったのか

 

なんとか、このまま東京で、夢だったデザイナーになるには❓❔❔

        

        

まだ、成人にもなってないし、自力で生活も出来ない・・・

多分かなり悩んだのでしょうね~~

あまり、記憶にはないのですが・・・

      

    そうだ!!

気持ちを切り替えよう・・・と、

        

         ※ これは、最近、そうだ!!気持ちを切り替えよう・・・と、美容院に行った時の写真

           この、美容院に行くと、現実逃避できます。

           内装、美容師さんの技術、センスが良くて、引っ越して六件目にやっと出会えた美容室

           

当時母方の従兄が、『生田』にある大学の大学生で、知り合いのアパートが空いていると勧めてくれました。

とりあえず、『生田』に引っ越すと、気分も変わるかも

 

そのアパートの大家さんは、従兄の母親 (母の姉なので、私の伯母) の知り合いなので、

いろいろ厚遇してもらえる・・・その言葉にもつられて、即引っ越し

        

         ※1969年頃の小田急線 ”生田駅” 何もなかった・・・閑散とした街でした。

          駅から、高台に歩いて、十二・三分の場所でした。

アパートは、六畳と、一畳位の板の間に流し台

そこで、始めて好きな時間に使える台所とトイレ・・・

(トイレは共同でしたが、もう一間の住人はほとんど本宅で過ごしていたため、私一人のアパートのようでした。)

自由に使えるトイレは有難いし、

好きな時間にお湯を沸かせる。

インスタントコーヒーも飲める

       ※ コーヒー豆なんて見たこともなかったと思います。

         喫茶店には行ったことはあっても、豆は知らない・・・

         コーヒーと言えば、ネエッカフェ

         写真は、コーヒー豆専用店の内装

         ステキなので、撮らせてもらいました。

          

 

       

 

          

そして、年が明けてもう一社の面接試験

そこは、渋谷から代官山方向に歩いて、12~13分

鉢山町にある、ステキなアトリエでした。

確か、スケッチブックにデザイン画を数枚描いて持参するのも条件でした。

履歴書と、スケッチブック、そして自作のワンピースを着て面接に行きました。

 

       ※ ↓の写真は卒業制作のワンピース (ウールジョーゼットだったかな?

          ローウエストで、シルクサテンのサッシュベルト)

         このパターン利用して、白黒のプリント(当時は素材名を知らなかったけれども、エターミン素材)

         薄い淡いピンク色のフリンジ付きのストールをサッシュベルト風に巻いて行った記憶があります。

         成人式にも、同じスタイルで出席したので、その写真は残っているから・・・

       

   〇工房 〇〇 〇アトリエ

なんて、ステキなアトリエ

          ※実際とは違いますが、二階にある接客室は、こんな雰囲気でした。

           壁面はすべて鏡張り・・写真の暖炉部分が鏡のような接客室で・・・

         

そんな場所は始めて・・・

ドキドキしながら、面接を受けました。

何を聞かれたか、何と答えたか❓❔

全く覚えてないけれども、最後に先生が

「君の色彩感覚が、僕は好きだな  と、言われた事だけは

今でも、はっきりと覚えています。

    そして、結果は後日と・・・

       

      

結果が出るまでに、私は成人式に出席するために

田舎に帰りました。

    すると、あろうことか❓❔

妹が、急性盲腸炎になって、緊急手術

      

当時は成人の日は、1月15日でした。

久しぶりに会った、同級生と成人式に出席したものの、

就職先は決まってないし、下手をすると、またここ (田舎の山口) で生活しなくてはいけない

こんな時、成人の日を迎え、

しかも、母は妹の手術に付き添って、お祝いどころではない・・・

   わがままな性格が爆発

   私:「なんで、こんな時に盲腸炎になるの

   妹:「そう言っても、好きで盲腸炎になった訳ではないのに・・・」

   母:「そういね~~好きでこの日に盲腸炎になった訳ではないのに・・・

      お姉ちゃんなのに、なんてことを言うの 」と、叱られて、また生田に帰る私。

その時、ラジオから、カスケーズの『悲しき雨音』は、流れていました。

『悲しき雨音』を聞くと、当時のことを思い出します。

    

     ※ 行動も必ず映っているものですね・・・

      効果的に良くなる場合もあるし、逆の場合もある・・・

      そのころは、そんなことは全く考えもしませんでした。

生田に帰って、しばらく経ったある日

学校の事務局から、呼び出され

「k川さん、良かったね  〇工房 〇〇 〇アトリエ から、採用の知らせがあったよ

 

 

   ※ あれから、半世紀経った今・・・現在の私

     地球環境も大きく変化し、私も大きく変わりました・・・

   

次回は、〇工房 〇〇 〇アトリエ での、仕事内容に続きます。

ここまで、お付き合いいただきありがとうございました

 

 

 

 


始めての二日酔い

2023-08-20 12:18:47 | 日記

何日続いているのかしら

   口から出てくることばは・・・

  「暑いですね・・・

      そして、ニュース番組のアナウンサーの番組最後の挨拶

「みなさま、高温が続きます。水分補給して、エアコンなどを使用して、熱中症対策してお過ごしください」

決まり文句ですね 

 

でも、異常気象と言われている最近の気候

何だか普通になりそうな気がします・・・私的には   

          

        ※  コロナで中止されていた、各地のいろんな夏の行事・・・山口の提灯祭り

           

        ※ 山口のこじんまりとした、ショッピングセンターで偶然見かけた、チャイナ服の女性

          ステキな女性だったので、お声がけして、写真を撮らせてもらいました。

          この後、この女性 (チャイナ服の似合う人コンテスト・・・ミセスマンダリンコンテスト) 出場し、

           西日本でグランプリ獲得されました。次は、全国大会にのぞまれます・・・

 

前置きが長くなりました・・・

前回の日当たりの悪い、四畳半の下宿生活のエピソード

そう・・・10代後半の頃の続きです。

良かったら、読んでください

      

          ※生けてある花も、ドライフラワーのような??

その頃の私は、授業には出席しても、自分で出席カードに名前を書いて、

即、教室退出して

新宿の街、渋谷の街、あちこちに出かけて洋服をみては、

「ステキ いつか、私も作る

そう思いながら、下宿に帰る日々・・・日課というのでしょうか❓

        ※ 最近のディスプレー

          当時は、ねかしのディスプレーは? あまり見かけなかったような気がします。

      

      ※未だに、ブティックの服や内装等々、見るのが大好きです。

        残念ながら、感動するお店は、近くにはあまりないですが、このお店は好きで

        ちょくちょく、見せてもらっています。

     

 

    

        

下宿している家には

同い年位の、大家さんの息子さん、男子学生二人いました。

お風呂がないので、

二人の息子さん、お勝手口のコンクリートの部分で、

台所の水道から シャワーホースをつないで、シャワーを毎日使っていたのです。

その間は、台所が使えなくってね~~

普通の人の時間帯は、ほぼ一緒なので、

夕食後の食器洗いとか、お茶を沸かしたいとか

いろいろ制限がありました・・・

そして、トイレ

何だか、オロオロ😰しながら、使っていましたね・・・

 

    

    ※自分が美しいと感じたもの・・・何かで残しておく(メモとか、写真で・・・)

      とても大切ですね・・・

 

でも、息子さんたち音楽好き

よく、”サイモンとガーファンクル” のLPアルバム聴いていました・・・

スピーカーが良いのか❓❔ 耳ざわりが良くて・・・

私も一緒に別の部屋で、「良い曲だな~」と聴いていました。

おかげで、良い音へのこだわりが芽生えた❓❔

そんな気がします・・・

     

     ※服だけでなく、造形的に美しいものは、最近は写真で残しています。

そんな感じで短大の二年間は、あっという間に過ぎました。

普通だったら恋愛話もある年齢の頃

私は東京の街歩き・ラジオの深夜放送の二年間でした

      でも、笑える話 がありました。

当時大学同士のダンスパーティーが盛んでして・・・

何度か参加したのですが・・・・

いつも 【壁の🌸】

       

チークタイムに声が掛からない

珍しい女子学生でしたね・・・

    そんな私だから、自分からお声がけしたのですが・・・

    見事に、NG

こういう時は、やけ酒を、飲むものだ

何故か、そう思いました。

    でも・・・

お酒なんて知らない当時の私・・・

”赤玉ポートワイン” (昔こういう銘柄の甘いワインがあったのです。) を、買ってきて、

口当たりがよいので、ひとり一晩で、一本開けました

二日酔いって、始めての経験をしましたよ

親の事を考えると、なんて親不孝な娘でしょう   

パートをしながら、仕送りしてもらっているのに、

片思いで失恋して、二日酔いしているなんて・・・

やっぱり、

まじめに、デザイナーになることだけを考えよう 

短大部が二年終わってからのこと、考えなくては・・・

そんな時期になったのです。

   しかし、現実は

ぼんやり考えながら、まだまだ夢みる乙女 (?田舎娘の方が的確❓❔) のままの私だったような

    

 

     

    ※ 当時は、ファッションを学ぶにはパリだ  なんて、思いもしなくて、

     『デザイン科にあと二年間行きたいな~~ もっと、勉強しないと、デザイナーにはなれないな?

      でも、妹が控えているから、無理だな 

     と、夢からさめた時は思い悩んでいました。

        

 

     ※あれから、何年後❓❔ あっという間の私です・・・