昨日、8月12日がJAL123便、御巣鷹山墜落事故の命日でした。
五百人以上の犠牲になられた方々、恐怖の中亡くなられた方々・・・合掌
私は、この日になると思い出すことがあります。
私の母は早く亡くなりましたが、母の八人兄弟姉妹はとても仲がよく、
お盆になるとみんな実家に集まる慣わしでした。
35年前の8月12日も、母とすぐ上の伯母を除いた兄弟姉妹が
ご先祖のお参りのために実家に集まって、食事をしながら思い出話に華が咲いていたらしいです。
すると、テレビの画面のテロップ
JALの墜落情報
みんな、びっくり・・・当時、私の妹はJALのスチワーデス
(今は、キャビンアテンダントというらしいですが・・・)をしていました。
「Nちゃん大丈夫かね~~」
当然思います。私も一瞬ドキッとしましたから・・・
すぐ、妹に電話しました。
妹すぐ電話口で・・・
「私は、オフだったから・・・でも、お姉ちゃん、私は国際線だって忘れた?
でも、大変なことになって・・・同期とか心配 」って言っていました。
その頃、亡き母の実家では
皆さんそれぞれ心配されていたら、突然電話のベルの音
伯母は、恐る恐る電話に出たそうです。
実は、数少ない生存者の、K上K子さんのことで、叔父に電話でした。
当時、叔父はK上K子さんの学校の校長だったのです。
K子さんご家族一緒で、確かおばあ様がお留守番だった様です。
それで、即叔父は自宅に帰り、救助されたk子さんをお迎えに行きました。
その様子がテレビに報道された時、
「あっ、お母さんがなんでテレビ画面に・・・ 」と、びっくりしました。
お盆のせいだか、何だか、夢のようでした・・・一瞬ですが母が還ってきたって・・・
それは、叔父がk子さんと一緒の映像だったのですが、
それくらい亡母とよく似ていたのです。
そのことを、8月12日になると、思い出します。
それ以来、動いている、亡母を見ていませんが・・・
昨日は、お墓参りしてきました。
家についたら、ものすごいゲリラ豪雨
もう少し遅かったら、多分豪雨を避けられなかったと思います。
きっと、ご先祖様、亡母、養母が見守ってくれたのだと思う一日でした。
ちょっと、古いけれども、出来た当時は
オシャレでステキだったろうな~~と思えるレストランの画像
余計な ”おまけ”