隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

再び「死刑」について

2006年04月19日 22時51分42秒 | プチエッセイ
■議論を続けることが大切?

 昨日の記事で「死刑」について書いてみたが、あれから少し考えた(昨日は、日テレの番組「スッキリ!」に怒って終わってしまったし)。
 裁判というのは、何を目的にしているんだろう。もちろん罪を犯した人間を法のもとに裁き罪を償わせるため、ということなんだろうけど。
 刑の重さについてテレビでキャスターやコメンテイターが意見を言うのを聞くことがよくある。例えば「死刑」が求刑されていて判決が「無期懲役」だったとして、「これでは遺族は報われませんね」「遺族は納得しないでしょう」というようなコメントをよく耳にする。心情的にはよくわかるけれど、でも裁判や判決が「遺族の気持ちを納得させること」というのは、ちょっとおかしいし危険だ。でも、そういう感情論で終わってしまうことが案外多い。
 「死刑」についても、きちんと問いかければ、それぞれの思いや考えや疑問があるだろう。国によってももちろんだけれど、アメリカのように州によって採用されているところもあるしそうでない州もある。それほど難しいし微妙な問題なのだ。
 こういう論議が冷静に続けられる国というのは(日本がそうだとは言えないけれど)、成熟した国民で構成される成熟した国家、と言えるのかもしれない。郵政民営化などとは意味合いも重みも異なるのだから、ゆっくり考えていけばいい。そんな気がしてきた。自分も含めて日本人って、論理的思考回路が未発達だから、あまり賢い民族とはいえないし。
 それでも、のんびり議論している間にも、凶悪な犯罪は起こるだろうし、刑も執行されるかもしれない。そのなかにもし冤罪があったら、と思うと、それも怖いが。
 とにかくかっこよく「ジャーナリスト」だと名のる皆さん(ん?って首をかしげたくなるような人も多いけど、それを語ると、また無意味に熱くなっちゃうし)、犠牲者や遺族の方々への同情や優しい気持ちを大切にしながらも、あくまで冷静な、私たちを納得させるような報道をしてください、特にテレビのキャスター、コメンテイターへ。


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