2010年3月15日 (月)
■国民的スターに…、ですねえ
一アーティストだった福山雅治さんは、もう完璧な「国民的スター」になってしまったということだな。2週間ぶりにNHK「龍馬伝」を見て感慨深く思った次第。 福山ファンではない私でも、それは納得できる。
世代を超えて、「龍馬=福山」現象は浸透しそう。キムタクを越えた?(笑)
それにしても、龍馬という人が暗殺されずに明治まで生きていたら、どういう生き方をしたんだろう。
あの時代、攘夷だ! 開国だ! 尊王だ! 公武合体だ!という「派」の流れが交差したり平行線で進んだりしていたわけだから、龍馬のような存在は現実には「薄い」イメージだったのかもしれない。
龍馬、岩崎弥太郎はもちろんだけど、歴史的に明らかな武市半平太の行動と人となりがどのように描かれていくのか、それが楽しみ。
■「ひなたぼっこ」おばあちゃんのその後
すみません、どうでもいいことですが…。
ココでご紹介したおばあちゃんのその後。
もう新たな展開はないかと思われたのですが、その後、おばあちゃんのランチをそっと見守る日本ザルが現れました。
また、孫?かと思われる都会風な幼い男の子も…。おばあちゃんの脇で足を投げ出してくつろいでおりました。
また、おばあちゃんは誰かの結婚式?に出席したようで、おばあちゃんにはちょっと派手かなと思われる薄紫の訪問着が掛けられた脇で、引き出物?のカステラ?と食べていました。お疲れさま。その夜はさすがにソムリエは現れず、ひとりで静かに夕食をとっていましたが。
さてさて、今夜はまたまたソムリエ付きの夕食…。
春らしいきれいな壁紙を手に入れたのですが、ひなたぼっこのおばあちゃんの動向が気になり、差し替えられずにいるワタシです。
すみません、こんな話題で。
■「戸がない」って…
さてさて、ココで、スピッツの名盤とされているアルバム「名前をつけてやる」を削除しそうな人としてご紹介した人物。
あれ以後、「名前~」に再チャレンジした噂も、削除した噂も聞かないのですが。
この2カ月余りは「ビートルズ月間」として過ごしていたらしい。
で、久しぶり語ってくれたスピッツ話に抱腹絶倒してしまったので、ここでご披露。
以下、「何なの、コイツ!」と思われるファンの方もいらっしゃるかもしれないけど、あくまでこの人物、内心は「スピッツ、おそるべし」と評価しているはずなので、念のため。
誰もが名曲として疑わない「夜を駆ける」(これを誰かと一晩中語り合いたい欲求にときどき襲われるワタシ)。歌いだしの「研がない強がり 嘘で塗りかためた部屋」の部分。「強がり」に「研がない」という形容をするあたりに草野のものすごさがあると思うんだけど、この人物はどうしても「戸がない」とイメージされちゃうらしい。で、「嘘で塗りかためた戸がない部屋」って…。
「なんか、すごい部屋に住んでるよなあ」って。
私の周囲では隠れファンが結構多い「放浪かもめはどこまでも」のサビの部分。「ほ~ろ~か~もめは」のところ、ずっと「お~ろ~かものは」(愚か者)だと思っていたらしい。
これは、ま、ちょっとおもしろいけど。でも曲のタイトルなんだけどね。
そして、「ロビンソン>」にいたっては2つも…。
「河原の道を」のところ。自転車で河原のゴロゴロしたところを走るのは無理だから、これは「変わらぬ道」だと判断してたらしい(この人物、歌詞カードなんで見ないからね)。
そして究極は「終わらない歌 ばらまいて」のところ。ま、ここは私も当時、「ばらまいて」が「ばらまりて」って聴こえて、歌詞カードを確認した記憶があるんだけど。
で、この人物、「終わらない歌 ばらまいて」を「大海原 巻いて」と聴いて、「宇宙も登場しちゃうし、すげースケールの歌だ」と感嘆したとか。教えてあげたら、「なんだ、歌をばらまいてたのか」だって。
ほかにも、「8823」の歌いだし「さよならできるか 隣り近所の心」で、ついつい「引越しの歌」ってイメージが浮かんじゃうとか、「トンガリ」は、「サイボーグ」や「猫目のビーム」から「ガンダム」や「ウルトラマン」や、世代的に「鉄人28号」(笑)が浮かんできちゃうとか。
結論としての「聴いてて飽きない」はたぶんこの人の最高の褒め言葉なんですけど。
■「人脈記」
「朝日新聞」夕刊の連載。「釜ヶ崎有情」。
人としての自分の傲慢さ、無神経さを突きつけられるような思いで、毎回読んでいる。
自分の根っこにあるものはそう簡単には変えられないけど、見方やとらえ方や、ほんのちょっとの優しさくらいは、どうにかできそうに思えたり。
錯覚だったら、ちょっと悲しいけど。
花粉が激しく飛んでいるようです。
今日会った仕事仲間は、「今年は軽いっていう予想だったのに~。ひどいよ」と泣いていました。どうなんでしょうか。
花粉歴(笑)「?十年」の私は、もう大分楽になって、今のところ「OK」な状態です。
みなさま、お大事に。
■国民的スターに…、ですねえ
一アーティストだった福山雅治さんは、もう完璧な「国民的スター」になってしまったということだな。2週間ぶりにNHK「龍馬伝」を見て感慨深く思った次第。 福山ファンではない私でも、それは納得できる。
世代を超えて、「龍馬=福山」現象は浸透しそう。キムタクを越えた?(笑)
それにしても、龍馬という人が暗殺されずに明治まで生きていたら、どういう生き方をしたんだろう。
あの時代、攘夷だ! 開国だ! 尊王だ! 公武合体だ!という「派」の流れが交差したり平行線で進んだりしていたわけだから、龍馬のような存在は現実には「薄い」イメージだったのかもしれない。
龍馬、岩崎弥太郎はもちろんだけど、歴史的に明らかな武市半平太の行動と人となりがどのように描かれていくのか、それが楽しみ。
■「ひなたぼっこ」おばあちゃんのその後
すみません、どうでもいいことですが…。
ココでご紹介したおばあちゃんのその後。
もう新たな展開はないかと思われたのですが、その後、おばあちゃんのランチをそっと見守る日本ザルが現れました。
また、孫?かと思われる都会風な幼い男の子も…。おばあちゃんの脇で足を投げ出してくつろいでおりました。
また、おばあちゃんは誰かの結婚式?に出席したようで、おばあちゃんにはちょっと派手かなと思われる薄紫の訪問着が掛けられた脇で、引き出物?のカステラ?と食べていました。お疲れさま。その夜はさすがにソムリエは現れず、ひとりで静かに夕食をとっていましたが。
さてさて、今夜はまたまたソムリエ付きの夕食…。
春らしいきれいな壁紙を手に入れたのですが、ひなたぼっこのおばあちゃんの動向が気になり、差し替えられずにいるワタシです。
すみません、こんな話題で。
■「戸がない」って…
さてさて、ココで、スピッツの名盤とされているアルバム「名前をつけてやる」を削除しそうな人としてご紹介した人物。
あれ以後、「名前~」に再チャレンジした噂も、削除した噂も聞かないのですが。
この2カ月余りは「ビートルズ月間」として過ごしていたらしい。
で、久しぶり語ってくれたスピッツ話に抱腹絶倒してしまったので、ここでご披露。
以下、「何なの、コイツ!」と思われるファンの方もいらっしゃるかもしれないけど、あくまでこの人物、内心は「スピッツ、おそるべし」と評価しているはずなので、念のため。
誰もが名曲として疑わない「夜を駆ける」(これを誰かと一晩中語り合いたい欲求にときどき襲われるワタシ)。歌いだしの「研がない強がり 嘘で塗りかためた部屋」の部分。「強がり」に「研がない」という形容をするあたりに草野のものすごさがあると思うんだけど、この人物はどうしても「戸がない」とイメージされちゃうらしい。で、「嘘で塗りかためた戸がない部屋」って…。
「なんか、すごい部屋に住んでるよなあ」って。
私の周囲では隠れファンが結構多い「放浪かもめはどこまでも」のサビの部分。「ほ~ろ~か~もめは」のところ、ずっと「お~ろ~かものは」(愚か者)だと思っていたらしい。
これは、ま、ちょっとおもしろいけど。でも曲のタイトルなんだけどね。
そして、「ロビンソン>」にいたっては2つも…。
「河原の道を」のところ。自転車で河原のゴロゴロしたところを走るのは無理だから、これは「変わらぬ道」だと判断してたらしい(この人物、歌詞カードなんで見ないからね)。
そして究極は「終わらない歌 ばらまいて」のところ。ま、ここは私も当時、「ばらまいて」が「ばらまりて」って聴こえて、歌詞カードを確認した記憶があるんだけど。
で、この人物、「終わらない歌 ばらまいて」を「大海原 巻いて」と聴いて、「宇宙も登場しちゃうし、すげースケールの歌だ」と感嘆したとか。教えてあげたら、「なんだ、歌をばらまいてたのか」だって。
ほかにも、「8823」の歌いだし「さよならできるか 隣り近所の心」で、ついつい「引越しの歌」ってイメージが浮かんじゃうとか、「トンガリ」は、「サイボーグ」や「猫目のビーム」から「ガンダム」や「ウルトラマン」や、世代的に「鉄人28号」(笑)が浮かんできちゃうとか。
結論としての「聴いてて飽きない」はたぶんこの人の最高の褒め言葉なんですけど。
■「人脈記」
「朝日新聞」夕刊の連載。「釜ヶ崎有情」。
人としての自分の傲慢さ、無神経さを突きつけられるような思いで、毎回読んでいる。
自分の根っこにあるものはそう簡単には変えられないけど、見方やとらえ方や、ほんのちょっとの優しさくらいは、どうにかできそうに思えたり。
錯覚だったら、ちょっと悲しいけど。
花粉が激しく飛んでいるようです。
今日会った仕事仲間は、「今年は軽いっていう予想だったのに~。ひどいよ」と泣いていました。どうなんでしょうか。
花粉歴(笑)「?十年」の私は、もう大分楽になって、今のところ「OK」な状態です。
みなさま、お大事に。