が舞っている。
雪国の人から見たら、おかしいだろうけど、やっぱりちょっとテンション高くなりますね。
窓から見える景色も、いつもとどこか違うし。
音も静かだ。
(今日は春のような暖かい一日でした。上の文章はおととい書きだしたもんで)
『浮標』 (2011.2.9 at 吉祥寺シアター)
葛河思潮社(ココにHPあり。でも21時~9時の間しか入れないみたいです)の第一回公演。
作 三好十郎
演出 長塚圭史
出演 田中哲司/藤谷美紀/佐藤直子/大森南朋/安藤 聖
峯村リエ/江口のりこ/遠山悠介/長塚圭史
中村ゆり/山本剛史/深貝大輔
吉祥寺シアターは2回目。ココでも書いているが、小さな箱で手作り感のある空間。後列でも十分に、役者の表情や息遣いが聞こえるよう。デカイ劇場もいいけれど、こういうところの客席に腰を下ろすとき、ものすごく幸福な気持ちになる。あれはなんだろう・・・。
★“表向き”ではない休息(?)の時間のなかで
天才画家と言われていた男が結核を患う妻とともに暮らす千葉の海岸の街が舞台。時は日中戦争の頃。
妻の看病に執着するあまり、周囲からは偏狭な人物とまで思われている夫が、それでも健気な妻の気丈な言葉とお手伝いの女性の限りない優しさに支えられて暮らしている。
そこを訪れる妻の家族、世話になっている近所の住人、精神的な支えとなっている友人、画壇のわずらわしい諸々を運び込む仲間・・・、その彼らとの行き違いや共鳴や反目や慰めあい。そんな交流の中で揺れ動く男の魂の叫びや思想や迷い、そんな気持ちのうねりを、田中哲司の膨大なセリフが私たちを襲う。
気高い精神を垣間見せたり、弱い情けない様子をさらけだしたり、とらえがたい人物像ながら、妻への思い、自分の生き方を貫く強い心情は、舞台が進むにつれて私たちにもあきらかになっていく。
最後は当然妻の死で幕が下りる(こういう表現はおかしいけれど、それはもう予想通りの結末)。
「万葉集」を妻のために詠んで解釈しているときに妻が眠りそうになる。もう残された命が風前の灯だと主治医からきかされているから、妻をこちら側につなぎとめておこうと、必死で叫ぶ、叫ぶように「万葉集」を語る、「寝るな、起きろ」とどなる。
一瞬の無の時間のあとに暗転・・・。それがラスト。
いろいろに感じ方が異なると思うけれど、私には、夫婦の物語というより、あの特殊な時代を特殊な環境で生きざるを得なかった芸術家の魂の軌跡、というか、精神生活のあらまし、というか、そんなむき出しの様を見せつけられたように思う。
妻の看病をすることで(せざると得ないとも言えるけど)、その画家は芸術とか画壇とか、過酷で、ときにくだらない人間関係にも関わらなければならない、そういう自分にとっての“表向き”の闘いの場から逃げてこられたのかもしれない。やむなく・・・ではあるけれど。
妻の死後もとうぜん続いていく彼の本来の(という表現がおかしいね)王道から離れていられた、人生でいえば不可思議な“フリー”な時間であったかもしれない。
その彼から感じられるあきらめと斜に構えたアイロニーからは、ときに隠された安堵の思いさえ伝わってくるように思えた。
妻の死後、かれはどんなふうに“表向き”の顔を取り戻したのだろう。それとも戻らなかったのだろうか。
★砂の舞台
開演と同時に全出演者が舞台に並び、演出家+出演者である長塚氏の挨拶で始まる。
三好十郎という方の原作であり、舞台は日中戦争の頃であること、芝居は4時間の長丁場であること(ここでちょっとどよめきが)。
そのなかで、私たちはごく自然に、その頃に自らを戻して舞台の上の話の流れにのっかっていく、そんなプロローグ。
明るくなった舞台には真っ白な砂が多少の傾斜を伴って広がり、芝居はすべてそこで進行する。家の中であろうと、庭先であろうと、実際の砂浜であろうと。
舞台装置がないぶん、むしろスムーズに私たちも流されていく、話の進行に。そして、白い砂の光に浮き上がる妻の姿がときに気高く光る。
舞台の上手下手には数個の椅子がそれぞれきれいに配置され、芝居をしていない出演者がそこに衣装を着て座っている。ただ座っているのかと思っていたら、彼らはそれぞれにそこでも役を演じていることがわかる。
4時間はこういう芝居としてはかなり長い(途中、休憩が2回)が、あまり長さを感じさせなかったのは見事な演出だと思う。
膨大なセリフがすべて役者たちによって咀嚼されつくされていたかは疑問だが、それでもずっしりを響く言葉も多く、それは私としては評価したいな。
★お疲れさんです
膨大なセリフをかなりの重さで表現してくれた田中哲司氏に拍手。ときに、そこはもうちょっと押さえていいんじゃない?と思うこともあったが、それはひょっとして私の趣味の問題かも。妻の死を恐れ、その先の自分が見えてこないという激白では胸が痛くなった。
(田中さん、「外交官・黒田康作」、見てますよ)
三好十郎がどの程度の看病をしたのかは不明だが、彼自身の妻も結核で療養し、若くして亡くなったという。それを知らずに芝居を観られてよかったのかもしれない。
妻を演じた藤谷美紀。何本も舞台を観ているけれど、今回は本当に透きとおるほどにきれいだった。この妻は、はかないけれど、芯の強い知的なかわいい女性、という感じかな。
寝たままの演技で消化不良だったかもしれないけれど、十分な魅力が伝わってきた。アンコールで、夫の対角線の舞台後方に立ってのお辞儀が、なんだかよかったな。
ベテラン佐藤直子のお手伝いの女性が私としては出色だった。耳が多少不自由という設定だけれど、それをうまく利用して、聞こえないふりで相手を傷つけなかったり、あるいは聞こえないふりで理不尽なことを受け入れない巧妙さを見せる。その人物を巧みにふくらませて、夫と妻の単調な暮らしにリズムを添える感じを心地よく見せてくれた。感動でした。
いつもながら峯村リエは私のツボを刺激する。いつもメリハリが利いている感じが好きだ。今回も情が深いのか、単なる軽薄なのかわからない(たぶん軽薄・・・)妻の母親役を華やかに演じてくれた。
そのほか、注目の大森南朋、どうもよくわからない演技をするんだけど妙にはまることがある(笑)江口のりこ(ココになんだかいい感じのインタビューあり)らの出演。
・・・ところで、ココで小夜さんが「次回の『ボクらの時代』も、小泉今日子と永瀬正敏ですよ」と教えてくれたのに、昨夜携帯のアラームをセットし忘れたうえ、寝たのが4時近くて、起きたら8時。
見逃しました。残念・・・。
小夜さん、せっかく教えてくださったのに・・・ごめんなさい。
ハイ、西島さん、好きです(好きな人がたくさんで恥ずかしいのですが)。
「サヨナライツカ」は小説のみで映画は見ていません。
「メゾンドヒミコ」ではオダギリジョーとのツーショットにドキドキしていました(ミーハーですね。でもこの映画はよかったです)。
あの目がいいです。死んだような目と言ったらファンの方に怒られるかな。
コメントありがとうございます。
「ボクらの時代」のお話、うれしく読みました。
古田さんのちょっと不気味な?演技もクセになるとはまりますよね。
永瀬・小泉にも時間が流れたということなんでしょうね。
雰囲気が伝わってきて、ありがとうございました(でも見たかったなあ)。
芝居は好みで当たり外れがありますが、なんとなく観る前の気持ちが好きです(ライブもそうですけど)。
チケットが高いので、オールスターっぽい大劇場の演目は避けてますけど。これも好みかもしれませんね。
北海道は憧れの地です!
10年くらいの間毎夏、北海道をテントを積んで回った思い出があります。冬も何回か。
住んでみたいナンバーワンなのですが、これって、外部の人間がただ単純に妄想をふくらませているだけなんでしょうけど。
今日は暖かです。
小夜さん、ありがとうございました。
数年そちらに住んだ時は暑さに負けていました。だから冬は寒くて嫌いだったのに今では冬の方が好きになってしまって。
都会に住んでいると舞台観られて羨ましいです。よく行かれるんですか?
田中さんも個性的ですよね。大森さんも最近は色々出ていますし。藤谷さんは昔見たことがあるんですが細くて綺麗でした。
興味深く読ませてもらいました。
ボクらの時代は観られるとラッキーな番組なので気にしないで下さいね。
古田さんが携帯を持っていない話からアナログ時代から今の話なんかしてました。で、古田さん「40代はお得な世代」と。白黒からカラー、留守電、ファミコン、大人になってからの携帯など出てきた時代を知っているからって。
あとは死が身近になってきたとか、キョンキョンが前にも言っていたのですが「40代は折り返し、来た道を戻ればいいだけ」など。
で、夫婦生活が少し見えましたよ。永瀬さんは30代はピリピリしていて役が抜け切れず家に帰ってきていたようです。キョンキョンは今回共演して「変わったな、大人になったな」と思ったようです。
かけらさん、西島さん好きなんですね。
いいですよね。最近はドラマも結構出ていますし、そして普段はホワンとして可愛らしいし。
「サヨナライツカ」観ましたか?イメージと合わない身体には本当に驚かされましたが(笑)
それでは おやすみなさい。