2017.8.5(土)
夏らしい青空の下を歩いていると、南西諸島あたりに居座っている大型の台風のニュースが嘘のように思えるが、現実はそうではないんだな。
●● 原爆投下後の広島の街を
明日は広島の「原爆の日」。こんなニュースがあった。
映像や音を使った最新技術VRを使って、高校生が原爆投下後の広島のようすを語り継ごうとしている。
https://abematimes.com/posts/2753541
VRがこんなふうに使われて、風化していく歴史の事実をよみがえらせ保存していく。
すでに「知っている人」「経験した人」の数が少なくなっていて、いつかは誰の記憶にもなくなってしまう事実をこうやって残していくことの重要性。
遺体を描くことへの疑問や戸惑いも含めて、制作に携わっている高校生らの心に去来することすべてが、きっと原爆の記録の重要な部分を担っていくだろう。
●● 今年も「夏が来て僕等」
http://blog.goo.ne.jp/kakera1221/e/2342f88e350227a554da5b6e5d699ab3
母の施設からの帰り道、この歌のものとは異なるであろう「今風の給水塔」の脇を通りながら、イヤホンから聴こえるマーシーの声に、なんだかやっぱり切ない気持ちになる。
雑草がのびるなか、むっとする草いきれの向こうには、あの頃の私と弟の夏がある。
あの頃に戻ってやり直す気なんてないけれど、あの一日にだけ戻ってみるのはいいかもしれない・・・、そういう過去の日々がいくつかあるっていうのは悪くない。
ベランダでぼんやりしながら、そういう日々を思い出して数えてみる。その日の私のまわりにいた人たち、抱いた思い、起こったつまらないほど小さな出来事、空の色、空気の匂い・・・。
思い出を語り合える人はだんだん少なくなる。思い出は語らないとどんどん色あせていく。それはきっと事実。だからそれに対抗して、私は私の中で思い出を守るんだ・・・。
そんな青臭いことを言いたくなる季節なのです、夏というやつは。
01_夏が来て僕等
少ししたら削除します。
●● ダルビッシュ
ドジャースにトレード!
アメリカだよな~、メジャーだよな~。こんなふうに急に移籍が決まって、もう新しいチームで登板していたもの(見事なピッチングでした!)
レンジャースを離れるにあたって、こんな広告を出してご挨拶・・・。いいな。
https://full-count.jp/2017/08/04/post78527/
https://full-count.jp/2017/08/04/post78527/2/
それに対するファンの反応も優しい。彼がそれだけの働きをして足跡を残したということですね。
https://full-count.jp/2017/08/04/post78537/
●●「スピッツが僕たちに見せてくれた世界 第6回」
https://entertainmentstation.jp/99901?utm_source=antenna
私も迷うなあ、どの曲がいちばん好き?って聞かれたら。
兵庫さんのあげた「『ラズベリー』の『おかしいよと言われてもいい ただ君のヌードを ちゃんと見るまで 僕は死ねない』という、どうかしてるライン」は好きだなあ。本当に彼らしいフレーズだと、あの頃も今も思う。
ビジュアルにはそれほど・・・なんだけど、video『JAMBOREE 1』に収録されている「ラズベリー」のときのボーカルやメンバーのあの年齢でこその色っぽさはなかなかだ。
普段のライブではあまり見せないボーカルの笑顔は、「この歌をどんなふうに聴いてんだよ」と我々に投げかけているSっぽい笑顔ではないか、と。リリース当時はスルーしていたけれど、10年くらいたって見たときに、ああ、30代ではもう失われてしまう色気なんだな、と感じたっけ(もちろん30代には30代のものがあるんですけどね)。
「恋は夕暮れ」の歌詞の情緒と言葉のコラージュ、「青い車」の負の疾走感、ずっとあとになってわかった「サンシャイン」と「迷子の兵隊」の魅力・・・。ああ、全曲語れるなあ。
うちは、娘の誕生日が広島の原爆忌です。
娘の若葉のような青春も、72年前の同じ日の大きな犠牲の上にあるものなのだと、今年も平和記念式典の映像の前で目を閉じました。
学生の頃、留学生の友人(オーストラリア人)とヒロシマの話をしたことがあります。
そこで私は、あるアメリカ人学者が「広島の地に立って、最初に抱いたのは恥の感覚だった」と語ったことを話しました。
そのとき、私のことばに顔色の変わった友人から、アジアでの加害や、連合国軍の兵士も多数、捕虜になって亡くなっていることなど、日本軍の戦争犯罪について逆に指摘されて、私は何も答えることができませんでした。
自分が悔しいのか恥ずかしいのか、それすらもよく分かりませんでした。
毎年、この時期になると思い出すことです。
スピッツはテアトロンまであと少しですね。
まぶたの奥に広がる瀬戸内海のパノラマ。
あの凪いだ海や沈む夕日が、30年目のスピッツとそこに集まったファンの皆さんを祝福するようでありますように。
こんにちは。
台風の影響はいかがでしたか。各地を巻き込んで、のろのろと進んでいきますね。今も知り合いから連絡をもらったばかりです。
私も仕事仲間のアメリカ出身者と話したときの(ふだんはすべてOKというくらいスムーズに意思の疎通がお互いにできる人だったのですが)、目に見えない、そして越えられるのか?と絶望的になった会話を思い出します。
彼は10年前に母国に戻り、メールでのやりとりを続ける中、それでもつながりだけは保っています。
彼はの流ちょうな日本語と私のつたない英語での10年で、それでも彼の広島と私の真珠湾は、何ミリかだけ近づいているようにも思います。
でも置かれた位置によって、国によって、戦争の是非(そんなものはないんだけれど)はさまざまに解釈される。それは理論的なことより以上に「感情」なのかな、と思ったりします。
戦争はNO、ということだけをとりあえず根底に置いて、そしてその先を見ていくしかないんだけれど、それさえも難しい、いえ、それが難しいのかもしれませんね。
夏の青空が好きだからよけいに、いろいろ感じます。
お嬢さんの今年の夏が、かけがえのない思い出のつまった日々でありますように。
そしてもちろん、私たちにとっても・・・。