◎教誨師の活動を描くヒューマンドラマ
◎重いテーマだが、重層的なストーリーが退屈させない
教誨師とは、死刑囚や受刑者に対し宗教教誨活動をするボランティアの宗教家のことで、ワタシも個人的に牧師の教誨師を知っている。また、そのつながりから本業で教誨師の全国大会にも関係したことがある。
さらに広島には刑務所も拘置所もあるし、通勤途上に位置する後者には死刑囚も収監されている。
なので、この映画はティザーを手にしたときから非常に気になっていた。(塀の内側で教誨師にお世話になったわけではないのは、良識ある社会人として申し添えておきます。)
主人公の大杉漣が扮するのは牧師の教誨師、佐伯。(こう書くと牧師だけと思われそうですが、教誨活動は宗派を超えて行われるので、僧侶や神職、神父ほかの教誨師もいます。)彼の6人の死刑囚への教誨活動が描かれる。
6人は17人を殺した若者、ヤクザの組長、関西弁のおばちゃん、無口な男、家族思いの父親、ホームレスの老人で、各人への教誨が断片的に描かれていく。
6人は死刑囚なので、もちろん罪状は情状酌量の余地がない殺人なのだが、全く個性の違う各人がどのような事件を起こしたのかは教誨を通して少しずつ明らかになっていく。同時進行で主人公佐伯の生い立ちも語られるという重層的な構造で、ストーリーに退屈することがない。(ただフィクションなので、本当にこういった死刑囚がいるかどうかは知らない。)
舞台はほぼ教誨室だけで、物語も会話を通して進行する。各人の犯罪は再現ドラマにはならないし、本当のことを言っているかどうかすら分からない。(その辺の教誨師の微妙な立場もさりげなく描かれる。)
やがて1名の死刑執行が決定し、佐伯も同席を求められる・・・。
登場人物のうち、一番感情移入するのは、もちろん主人公の佐伯に対してだが、死刑囚との受け答えがワタシの想定とは全く異なり、なるほど自分の普段の会話を強く省みることになった。言うまでもなく、ワタシなら相手を理ずくめで説得し、押し切ろうとしているところだろう。
また、当然のことだが、死刑囚と死刑制度のあり方や神の存在、宗教観などについても深く考えさせられるし、教誨師という役割の苦悩もヒリヒリするほど感じられる。(もちろん、映画の中で答えは提示されない。)
ドラマとは言え、この後、5人の死刑囚がどのような人生をたどるのか気になるところだが、大杉 漣の逝去でそれも分からなくなってしまった。
日程上、この映画が新春第一弾となったが、ちょうど普段より神仏に接する時期でもあり、今年一年の課題を与えられたという点では逆の意味で新春にふさわしい映画となった。
決して娯楽映画ではないが、拙文を最後まで読まれた方はチャンスがあればぜひ観てください。
題名:教誨師 監督:佐向 大 出演:大杉 漣、玉置 玲央、烏丸 せつこ、光石 研 |
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