このブログにたくさんのコメントを書いてくれていた、
蛭くんこと、蛭田浩洲君。
膵臓癌により、平成20年9月9日永眠しました。
享年36歳でした。
彼は私の従兄弟にあたる関係で、
小さい頃、母の実家で良く遊んだものです。
年が近いので、カブトムシやクワガタを採ったり、
小川で遊んだり・・・・
私の母方の親族は、非常に感受性が強いところがあって、
彼も例外ではなく、大学時代の人間関係に深く傷つき、
生き馬の目を抜くような、この社会に順応することが難しく、
以来、心の病と闘い続けてきました。
そして・・・、昨年の11月に癌が発見。
手術をしたものの、自分の癌が摘出不能であったことを知った。
しかし、彼は、自分の死と正面から向かい合った。
生前、自分の墓を選ぶ程の覚悟をもっていた。
彼は勇気あるサムライでした。
最後の最後まで、その場所で踏みとどまり、戦い続けました。
その「勇気」は、彼の心を傷つけた、彼自身の強い感受性と表裏一体であったこと。
それも不思議なご縁を感じます。
闘い続けた36年だったことでしょう。
本当にお疲れ様。
ゆっくりお休み下さい。
蛭くんこと、蛭田浩洲君。
膵臓癌により、平成20年9月9日永眠しました。
享年36歳でした。
彼は私の従兄弟にあたる関係で、
小さい頃、母の実家で良く遊んだものです。
年が近いので、カブトムシやクワガタを採ったり、
小川で遊んだり・・・・
私の母方の親族は、非常に感受性が強いところがあって、
彼も例外ではなく、大学時代の人間関係に深く傷つき、
生き馬の目を抜くような、この社会に順応することが難しく、
以来、心の病と闘い続けてきました。
そして・・・、昨年の11月に癌が発見。
手術をしたものの、自分の癌が摘出不能であったことを知った。
しかし、彼は、自分の死と正面から向かい合った。
生前、自分の墓を選ぶ程の覚悟をもっていた。
彼は勇気あるサムライでした。
最後の最後まで、その場所で踏みとどまり、戦い続けました。
その「勇気」は、彼の心を傷つけた、彼自身の強い感受性と表裏一体であったこと。
それも不思議なご縁を感じます。
闘い続けた36年だったことでしょう。
本当にお疲れ様。
ゆっくりお休み下さい。