出来上がっているこの世の仕組みを変えたり、止めたりすることは簡単ではない。否、尋常でなく困難である。
出来上がっている仕組みのその中で、人は複雑に利害を絡めて生きているからだ。省庁の天下りや社会保険庁の不正などは無くなるはずがないのだ。正義漢ぶった非難中傷をそれが大衆の嫉妬だと彼らは知っているし、我々も気付いている。
役人になりたければなればいいのである。なれもしなかった者がなれたら自分もするであろうことを、なれずに出来ないばかりに嫉妬しているのである。そんな正義感など甘い汁でも少し吸わせればなし崩しに消えてゆくのである。人間の本性を考えてみるがいい。自らの心の深奥を見つめてみるがいい。
人間社会の仕組みは利権を生み出し、その利益の配分に人は与るのである。そして利権を得たものが利益を配分することによって受益者の支持を得のさばってゆくのだ。それは階層的になるのである。そして指弾されることがあっても恐怖が無ければ人はのらりくらりと何とでも言い逃れをしようとするものだ。そして出来てしまうのだ。
故に、時として必然の如くテロが起きるのである。暴力による世直しが起こるのである。それによって作り上げられる次の体制もまた、続けば同じく澱む。同じことが繰り返されるのである。高々100年続いていることを永遠に続くと考える方が可笑しい。
人の世は、同じ体制が100年も続けば流れと同じくその血は澱むのである。澱んだ血は肉を切って外へ出すのである。仕組みを壊すことは何であれ一種の革命である。作り上げた時の労力の度合いと壊す時の悲惨は比例する。それは命の量即ち血の量なのだ。
革命は絶対的に血を欲する。そして革命の質は流した血の量に比例するのだ。それは善悪理非で論ずるものではないのである。