『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・長電話の向こうの女たち(下)/ATAKUSHI

2020年06月05日 18時11分52秒 | ■男と女のゐる風景

 

 ――時間・空間的に、どこまでも〝曖昧さ〟を残した around ……。それに対して、一切の〝曖昧さ〟を拒否する just……。

 何て素晴らしいんでしょう!   それに続く、about な感覚が抜けない around に対し、justice ……つまりは正義 に通じる公平公正だなんて。こういうのを〝秀逸〟な表現って言うのね。

  ……そうなると、アラ・フォー(around 40) では問題ありってことね? ……今だから言うわ。あたくし、ず~っとこの アラ・フォーって言い回しに抵抗があったの。だって、そうでしょ? around って要するに、そんじょそこら って意味だし、下手をすれば〝どうでもいい〟上に〝いい加減〟ってことでしょ? 

 第一 〝アラ〟って言い回しは〝粗〟に〝荒〟……何て〝雑〟なの。それになんたって〝あらっ? 〟って感じでしょ。真実味も落ち着きも、そして節度も感じられなくて。あたくしの〝感覚感性〟に、これっぽっちも馴染まないの。 ああ! やだ、やだ!

 それに比べて ジャスト・フォーティ ……just 40キリがいいことが 正義 そのものなのね。何でもないようだけど、これって、きっと凄いことを言ってるんだわ。

 それに、ここはやっぱり「ジャス・フォー」じゃなく、力強く「ジャスト・フォーティ 」って潔く言い切らなくちゃ! just ……まさしく でしょ? それに きっかり だし、正しい・公正 なのよ。絶対にこれ! あなたも、そう思うでしょ? 

 だから決めたの。あたくし、今日たった今から「アラ・フォー」を辞めて「ジャスト・フォーティ」に替えるわ

 

 え? 何?  『今の今も、まだ アラ・フォー のままなの?』……ってお尋ね? それこそ、あらって? 感じだわ。それって確認なさるってこと? それとも何か疑惑をお持ちになったとか? …… まあ、お忘れなのね。ほんのちょっと前に申し上げたばかりでしょ? 

 あたくしの アラ・フォー は、forever だって! 何だかあたくし、自分のことより、あなたの ageing が心配だわ!

 だから、しっかり憶えてくださらないと……。あたくしは、この瞬間から、forever  around 40 から forever just 40 ってことに。フォーエバ・ジャストフォーティ……。これこれ、! これよ! これしかないんだわ! 

 ね~え。 念のために、口に出しておっしゃってみて!  ことに forever forty に、美しく心地よい stress をかけながら、clear ……。

 

 見て! 見て! foreverforty を! 

 forty って、forever を始めから〝運命的に含み持って〟いたんだわ! 

  それに、たった今調べてわかったことがあるの。 forever  fore forty four の2通りの発音は、まったく同じなのよ! これって、とっても凄~いことだわ!

 念のために、pronunciation に注意しながら、もう1回 口に出しておっしゃって 

 

 ……ああ! 何て心地よく……forever just forty! って言葉が流れて行くんでしょうか!

 ほら、よく言うでしょ?  〝作為のない自然なものって、誰がどんなことをしても、無理なく流れて行くものだって……。あれと同じなのね。 素敵だわ! 今度は、あたくしもあなたと一緒に声を出して pronunciation してみようかしら?

 

 あれっ? ねえ? ちゃんと聞いてる? えっ? 何? 寝ちゃったの? 

   やだ! やだ! やだ~あ! こんないいところで……!

 

 

 


・長電話の向こうの女たち(中)/「around 40」or「just 40」

2020年05月27日 19時09分18秒 | ■男と女のゐる風景

 

 女性にとっての《不惑》(40歳)

 今回、Aさん、B嬢ともつい最近40歳すなわ「不惑(ふわく)」になったと語った。と言えば、彼女達が〝すんなり〟年齢を明かしたように聞こえるかもしれない。しかし〝電話の向こう〟の二人からは、どことなく《不惑女子》独特の〝複雑な精神世界〟が垣間見える気がした。

 具体的な記述は控えるとして、電話口での言葉の選択やためらいがちの言い回し、それに微妙な声の抑揚など、いつもとはちょっと違うように感じたのは、筆者の過剰反応だろうか。

 もちろん男性にとっても「不惑」は、他の「而立(じりつ):30歳」や「知名(ちめい):50歳」、さらに「耳順(じじゅん):60歳」等とは明らかに別次元の感慨と思惑を誘う。ということは、男性よりもいっそう年齢面のデリカシーを受けやすい(といわれる)女性には、想像以上の〝大きな壁〟が、立ちはだかっているのかもしれない。

 筆者が「女性二人だけの事例」でそう言えるのも、「二十代後半から三十代前半の女性達」の、《不惑》の〝通過点〟に数多く接して来たことによる。その対象となったのは資格試験の受験生であり、大半はインテリアコーディネーター(IC)関係だった。

            *   *   * 

 「アラフォー:around 40」

 ところで最後にAさんと会ったのは、一緒に「演劇」を観に行った3年半前だろうか。B嬢とはほぼ4年前に会ったきりであり、彼女に頼まれて「或る人を紹介したとき」以来のようだ。

 筆者は「アラフォー」すなわち「around 40」という「二人の女性」を、あらためて想い浮かべた。二人はともに、大人の女性の魅力を湛えた女性であり、それでいながらどこか〝少女っぽい初心(うぶ)な一面〟を感じさせてもいた。少なくとも最後に会ったとき、筆者にはそう見えた。

 そう想いながら筆者は、〝現在の二人の面影〟をフォルムし始めた。それとともに、彼女達のこれからの1年、2年、さらに5年、10年という時の流れを思いやったとき、何となく〝二人に会ってみたい〟と思った。

 その機会は〝来る〟のだろうか。〝来る〟とすれば〝何時(いつ)〟だろうか。そう思い遣ろうとしたものの、昨今の我が身の体調を鑑み、それ以上考えることを放棄した。5年いや3年先であれ、そのとき自分がこの世に留まっているとの確信が正直なところなかったからだ。

            *   *   *

 ジャストフォー:just 40」

 2時間ほど経っただろうか。頼まれた原稿チェックを続けながら、あらためてAさんとB嬢のことを思い描こうとした。そのとき、にわかに閃くものがあった。

 それは「アラフォー」すなわち「around 40」と言われる二人の女性が、少なくとも今この瞬間においては、〝ちょうど40歳〟すなわち「ジャストフォー:just 40ということだ。

 筆者は、思いも掛けずに発見した「just 40」という word を、声を出して何度も呟きながら、このことを今すぐにでも二人に伝えたいとの思いにかられた。だがすぐにその〝熱い思い〟を抑え、気を落ち着かせようとして「英和辞書」を手に取った。

 「around」に「just」――。2つの word の〝兼ね合い〟を考え、その持つ〝辞書的〟な意味や用法を確認し始めたとき、筆者はすっかり冷静さを取り戻していた。

            *   *   *

 時間・空間的に、どこまでも〝曖昧さ〟を残した around ……。それに対して、一切の〝曖昧さ〟を拒否する just ……。どこまでも about な感覚が抜けないaround に対し、justice に通じる公平公正かつキリのよい just。

 実は「just」が「justice:正義」に通じることを教えてくれたのは、かつて「米軍キャンプ」の通訳をしていた亡父であり、筆者が中学2年生のときだった。 

            

 元はと言えば、「アラフォー」が女性限定の「アラサー(アラウンド・サーティー):around 30」から始まったことは、どなたもご存じのことだろう。その根拠として、巻末に掲げた「👇参考記事」をごらんいただくと――、

 :【 アラフォーには「何歳から何歳まで」という正確な定義はありませんが、一般的には37歳から44歳までという認識の人が多いようです。(原文のまま。下線・太字は筆者。以下、同じ)

 とあり、「アラサー」については――、

 こちらもはっきりとした年齢の定義はありませんが、目安としては四捨五入して30歳になる年齢、つまり25~34歳までを指すケースが多いようです。】

 誤解のないよう、両記事の「太字部分」を今一度整理したい。

 ●「アラサー」  25歳から34歳まで……

 ●「アラフォー」 37歳から44歳まで…… 

 

  消えた? 35 & 36 years old                        

 不思議なことに、「アラサ―」にも「」アラフォー」にも属さない「整数」が、およそ2つあることにお気づきだろうか。国籍として言えば、「アラサ―国」にも「アラフォー国」にも国籍を持たない people が存在する

 筆者は「難民」となりかねないこの people の真相に迫るべく、得意の情報収集と調査分析の意欲を大いにそそられた。だが次の瞬間、筆者の思考は停止した。その理由は、「難民申請」の可能性を残した「35億の民」を敵に回しかねないとの思いが、一瞬頭をよぎったからだ。

 いやそれ以前に、さる筋からの pinpoint 攻撃の target にされるかもしれないとの報復の恐れに怯んだ。よってこの問題は今回「これにて一件落着」とし、今後は世論の動向を加味しつつ、論じる機会が与えられたそのときには、堂々かつ平和的に持論を展開したい。 (了)


 

読者各位

 goo blog の規定が変わり、これまでのような「👇クリック!」による閲覧ができなくなったサイトがあります。お手数ですが、各位において入力の上ご覧ください。(感性創房:管理人)

👇 参考記事 ※以下の文言を入力の上ごらんください。

◆アラサー、アラフォーとは何歳から?(ハッピーライフ)

  アラフォー女性の特徴&魅力的になる方法

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


・長電話の向こうの女たち(上)

2020年05月20日 14時31分06秒 | ■男と女のゐる風景

 二人の女性との長電話

 ついこの十日ほどの間に、二人の女性との〝長電話〟を体験した。いずれも女性からのコールであり、電話を受けた瞬間、コロナ禍による〝対面接触不足の影響〟かと思った。だが結果として、コロナウイルスに関する生活の変化や関連のニュースについては、ことさら語ることもなく、無論、時間を持て余してのものでもなかった。

            

 その一人Aさん」は、筆者が「宅地建物取引士」の受験指導講師を務めた学校の事務担当だった。現在はフリーランスの webデザイナーとして、サイト・デザインをはじめ、グラフィック・デザインやイラスト制作を手掛けている。

 そのサイトを拝見したところ、独自の感性に基づくイラスト作品やイベントのポスター、それに企業・団体等の案内パンフレットやチラシ等を「croudworks※注①)」によって見ることができた。 ※注①croudworksとは、フリーランス・副業・在宅向けのお仕事検索アプリ。いつでもどこでも自由に仕事の検索やメッセージのやりとりができる。

 数年前、彼女を「演劇」に誘ったことがあり、それ以来の近況報告の交換となった。彼女の子息(ひとりっ子)も、今や中学3年生という。初めて会った頃、小学4年の少年は「建築家」になりたいと語っていた。そのため筆者は、手持ちの安藤忠雄氏設計による「建築写真集」を、いつの日にかプレゼントするつもりでいたのだが。しかし、現在はパソコン関係の仕事をめざしているようだ。

 話題は際限もなく広がって行った。筆者は、この数年ほとんどテレビを観なくなったことを手始めに、ついにはそのテレビを押入れに蔵い込んだことをまず語った。その理由の一つに、民放女子アナの身なりや身のこなし、それに品位や知性等が、筆者の許容限度を超えていたことなどについて、結構ディテールに拘(こだ)わって喋った。

 また「敬語」の用法について、かなり力を入れて語ったように記憶している。今や「美化語」が正式に体系化され、また「丁寧語」とは別に、「謙譲語」から分岐した「丁重語」があることなど。

 そして、その他の話題については、これまで誰にも話さなかったことを、まるで〝最後の弁明〟でもするかのように語り、気がつけば何と3時間以上喋ったことになる。電話を終えたとき、日付が変わっていた。筆者の人生における堂々たる〝第2位〟の〝長電話の記録〟となった。   

            *   *   *

 

 〝コロナ禍〟影響の底深さ

 一方Bさん」(というより「B嬢」)は、筆者がインテリアコーディネーターIC)の受験指導をしたsingle。5年前にヘッドハントされた九州の某社住宅建築設計・施工・販売において、IC業務のかたわら営業事務、それに他社より依頼を受けた「建売ストック」の営業支援をしているという。

 業界的に見ても、昨秋完成の各社「建売物件」は、完売予定の3月末(旧年度の締め)までにその多くが捌けなかったようだ。ことに〝頼み〟の「弥生3月」が、まさしく〝コロナ禍上昇軌道〟の真っただ中にあったため、深刻さの度合いはいっそう厳しかったのだろう。何処(いずこ)も、今まさに同じ〝茨の道〟を辿っている。

 そのためB嬢との電話は、いきおい《売れ残り建売物件》に対する「即戦的販売」の how to 物の感を呈した。筆者の舌は次第に滑らかになり、さながらかって実施した「不動産仲介の営業実践セミナー」よろしく、気が付けば約2時間のほとんどを一方的に喋っていた

 そのため、ほぼ1年ぶりに電話をして来たB嬢からは、特有の〝アラフォー・ジョーク〟は一切聞かれなかった。彼女は途中から完全に「聞き役」に徹し、一旦電話を切って memo を用意したほどだった。

            

 コロナ問題がなければ、おそらく『物件と一緒に〝私〟を引き取ってくれる方を……』くらいの呟きは聞かれたに違いない。だが今や〝さういふ〟段階は、遥か彼方へ追いやられたと言ってよい。

 〝コロナ禍〟によって販売活動もままならず、まさしく〝強制シャットダウン〟寸前の状況にあると語るB嬢――。口調はいつもと変りない〝乙女チックな甘い声〟ではあっても、どこか自若とした雰囲気が感じられた。そのため筆者もスマホを左手に持ち替え、思いついたことを右手で走り書きし始めてもいた。

 何といっても、深刻な現実は「社員やパート」の何人かを、今まさに自宅待機やリストラの対象にしつつあるという。筆者は「電話で話した内容」を中心に、後日きちんと「メール」することを伝えて電話を切ろうとした。

 すると彼女は、『先生……』といって一呼吸おいたあと、申し訳なさそうに、しかし、はっきりとした声で、

 『先生もお仕事でしょうから、メールを送ってくださるときに、報酬のご請求をお願いできますか。社長には、私から正式にお話ししますので……。』

 一気に淀みなく言い切ったその〝ひとこと〟に、彼女の会社がおかれた深刻さと彼女の〝覚悟〟とが、〝電流〟のように筆者の総身を駆け巡った。 [続く] 

 


・玉虫色とマキアージュ:下

2011年12月14日 21時00分00秒 | ■男と女のゐる風景

 

 男性と異なり、多くの「女性」は「昆虫採集」など経験していないに違いない。それゆえ「玉虫」を見る機会もなかったのだろう。その結果、「玉虫色の解決」といった慣用句にもなじみが薄いのかも……。

 この「推論」は、結果として「m嬢」を擁護するものだが、筆者の真の狙いは「S君」の説得にあった。断定的な彼の「通説?」とやらに、筆者流の「少数説?」をぶつけてみたかったのだ。

 筆者は、以上の「推論」の「男性バージョン」を考えようとしていた。すなわち、「女性」の誰もが経験しているもので、しかし「男性」のほとんどがあまり経験しそうにないもの……、

 ……とくれば、「エステ、化粧品、ブランド物のバッグ」のいずれかだろう。そう想い至ったとき、脳裏に『マキアージュ』という言葉がすっと浮かんだ。だがそれが何であるのか、この時点では見当もつかなかった。ただ直感的に、この言葉が「筆者のようなアラカン親爺」には絶対に関係のないものであること、つまりは「女性」のための「何か」であることはほぼ確信できた。筆者は自分の「想像力」を試すために、しばらく考えてみることにした。

 『マキアージュ』……。フランス語っぽい語感と、女性的な優しい「マ行」の響きからからして、まず「エステ」が消えた。次に「ブランド物のバッグ」という線も、案外すんなりと消えた。だが「ファッション・ブランド」かもしれないとの疑念が新たに起こった。

 つまりは、「化粧品」か「ファッション・ブランド」のいずれかということに。そこで絞り込んで考えあぐねた末、筆者は海外の「化粧品ブランド」という結論に達した。無論、インターネットで調べた結果は違っていたわけだが……。

    ☆  ☆  ☆   

 数日後の授業の折り、筆者は『マキアージュ』についてS君とm嬢に試してみた。筆者同様、S君は『マキアージュ』を知らなかった。だがm嬢は、『ああ、それは資生堂の……』といささかの淀みもなくすらすらと言葉が出ていた。予想していた以上の回答ぶりだった。

 わが意を得たりと誇らしげな筆者は、「男性しか知り得ない世界」があるのと同様、「女性しか知り得ない世界」があることをS君に対して「証明」できたことが嬉しかった。

      ☆

 それにしても今回、「資生堂」のホームページを見て、その「ブランド」の多さに驚いた。総てが「化粧品」かどうかは判らないが、とにかく多彩だ。

 ……アヒリダ、エメルジェ、エリクシール、クインテス、ギムリンド、サプレックス、ジェレイド、セレンシア、セラムノワール、タフィーナ、ディグニータ、ディベール、ドリーミオ、ドルックス、ホワイシス、マシェリ、レシェンテ……。

 まだまだこの何倍もあるようだ。『OMINA(をみな)』達の “あくなき美” の追求と、それをマーケティング&マーチャンダイジングする企業のしたたかさ……。

 ……なんてなことを考えながら『資生堂』のホームページの「マキアージュ」のコーナーを眺めていると、次の一節に出会った――、

  7つの色と光を混ぜ合わせ、美しいオーラをまとう

  心まで美をまとう、7色のドレスアップタイム

  「7つの色と光を混ぜ合わせて、美しいオーラを身にまとう……」。しかも、「その7色の美の光を心までまといながら……ドレスアップを……」

 ん? これはもしかして「玉虫」にも言えるではないか。そうか! 「玉虫」は「マキアージュ」だったのか! 筆者はとたんに嬉しくなった。何と言っても、「玉虫」は英語では「jewel beetle」という。まさに「宝石のカブトムシ」なのだ。

 筆者は「玉虫堂」のコピーライターとなって、この「jewel beetle(玉虫)」のキャッチフレーズを勝手に作り始めた。

 

  ブリリアントカットの光をまとう翅(はね)の耀き……

  その虹色のオーラに抱かれたjewel beetle

  朝日の爽やかさの中に飛翔しながら、

  プレミアムな心をお届けするjewelyなよそおいの翅

  ……その薄さは美しさ!(ん? このフレーズパクリ? どこかで聞いたことがあるような……) 

  But しか~し! いける! いける! Oh!  玉虫よ! 玉虫色よ!  

 

    ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★  Atakushi ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 

 ――ね~え。資生堂の「コーポレイト・スローガン」って素敵よ。 

 『一瞬も 一生も 美しく』……あたくしも、ほんとにそうありたいわ。

 ……え? 何? いま何ておっしゃったの? よく聞こえなかったわ。 

 ん? “一瞬も 一生も……………玉虫色!?” 

       


・玉虫色とマキアージュ:上

2011年12月10日 15時23分55秒 | ■男と女のゐる風景

 

 つい十日ほど前のこと――。筆者を含む男性3人、女性1人の4人で『角打ち』をしていた。筆者以外の2人の男性は、「不惑」になったばかりの40代。女性は「フレッシュ・アラサー」というところだろうか。いずれも筆者の「宅建関係養成講座」の生徒諸君だ。

 筆者の話の中に、『玉虫色……』という言葉が出たとき、筆者の隣にいた「S君」がすぐにその言葉を受けて話をつないだ。ところがそれを聞いていた「フレッシュ・アラサー」の「m嬢」が、怪訝な表情で筆者とS君の顔をうかがうように尋ねた。

 ――『玉虫色』って何ですか?

 次の瞬間、筆者はどのように説明すべきか、超猛スピードで思考態勢に入った。しかし、S君は即座に――、

 ――『玉虫色の解決……』とか言うでしょ。あれですよ。

 だが彼女はきょとんとしている。筆者の世代の女性ならまだしも、この“若さ”ではおそらく「玉虫」など見たこともないのだろう(※事実、彼女は見たことがなかった)。

 「玉虫」を見たことがなければ、当然、「玉虫色」などわかるはずがない。つまり、イメージなどできない……そう想った筆者は、彼女を擁護する気持で彼女とS君にゆっくりと語りかけた。

 ――僕ら男性と異なり、女性は「昆虫採集」の経験がないでしょ? それで「玉虫」など見たこともないと想います。何と言っても、彼女はまだ“若い”し……。

 そしてそのあと――、『「玉虫色云々」と言う表現に直面するほど、人生経験も豊かではないでしょうから……』と続けようとしたとき、S君が――、

 ――“若い”と言っても、僕と“たった9歳しか違わない”んですよ。それに見たことがないと言っても、「玉虫色の……」と言う表現はよく使われていますから。

 「不惑40歳氏」が、「フレッシュ・アラサー嬢」を、『たった9歳しか違わない』とする「論理」。そして自信に充ちてそう言い切る彼の「口調」と「表情」。いかにもS君らしい。何処に行くにも「小六法」を持ち歩くという法学部出身の彼。「持論」を、あたかも「多数説」のように言い切るところが可愛い。彼女はと言えば、依然、きょとんとした表情のままだった。

    ☆

 みんなと別れた後、福岡までの1時間余の電車の中――。筆者は少しずつ酔いが醒め始めていた。それにつれて、『玉虫色』と、それをめぐるS君とm嬢二人の表情がありありと甦って来た。

 それにしても、謹厳実直なS君――。頭を剃れば、明らかに禅寺の「青年僧」のような雰囲気を持っている。「間違ったこと」など、とてもできそうにない純朴一途といったところだろうか。

 一方、自由奔放にあるがままの感覚感性で生きているm嬢。何事も気にすることなくマイペースで伸び伸びとこなしている。この二人の組合せに立ち会っていると、実にユニークな場面に出くわす。傍観者としては、もってこいの「2キャラクター」だ。

    ☆   ☆   ☆

 帰宅後、筆者はすぐに次のようなメールをm嬢に送った。電車の中でずっと気になっていたからだ――。

 【女性は昆虫採集などほとんど経験したことがないでしょうね。ですから判らないと思います。男性は、誰しも一度や二度は経験しているから知っています。

 「玉虫色」とは、この虫の翅(はね)の色をさしています。緑と青と紫と赤を基調としたきらびやかな色の翅です。そのため僕は子供の頃、『虹の虫』と呼んでいたほどです。戸外の「光」や室内の「あかり」との反射具合で、「明るい緑」や「赤みががった緑」や「青」に見えたり、「青紫」や「赤紫」さらにはその他の色と、実に様々な「見え方」をする「翅の色」です。

 つまり、「見方」によっては、「いろいろな色」に見えるところから、物事の判断や調停等において、「どのようにも受け取られるようなあいまいな表現」を「玉虫色の表現」とか、「玉虫色の解決」さらには「玉虫色の判断」というようになったものです。いかにも「曖昧さ」を美徳とする日本人好みの表現ですね。

 今日、「玉虫」という昆虫を見かけることがなくなったので、この「玉虫色の……」という表現も次第に使われなくなったものと考えられます。だからあなたが知らなくとも、何ら恥じることなどないのです。S氏が言ったことは気にすることはありません。】

 ……と、送信し終えたとき、筆者の中に電撃的に閃くものがあった。

 ≪これは何が何でもブログネタにしよう! いや、きっとできる。うまくいけば、連載もイケル!≫ (続く)

 


・片づけの神様(下):“挙句” のはてに

2011年04月21日 02時58分12秒 | ■男と女のゐる風景

 お気づきのように、「エンジェルC」は≪そのひと≫を指し、仲間内では『姉御(あねご)』と呼ばれている。「アラフォー世代」を代表する “才色兼備” であることは、誰もが認めるところだ。

 しかし、彼女よりグンと年長の筆者は、愛と親しみを込めて『U子さん』と呼ぶ。
 
 さて第三の句はどう返したものだろうか……。

 反射的に、『……もちろん、エンジェルC嬢をお願いします』と浮かんだ。だが “もちろん” はまずい。いかにもC嬢に迎合したという響きだ。

 ここは抑えて、『では……エンジェルC嬢でもお願いしましょうか』と言うのは……。しかし、“変に持って回った” この言い方はさらにまずい。単に “さりげなさを装っている” だけではないか。
 
 さりとて、『貴社お奨めのエンジェルであればどなたでも……』などは “敵前逃亡” とみなされるだろう。こういう「アルコール・ゼロパーセントビール」のようなことを “返そう” ものなら、『姉御』は「下足番」の「佐助」にこう命じるに違いない――。

 

 『ほら、佐助秀理師匠はお帰りだとさ。草履を出しておやり。

 ……なにぐずぐずしてんだよ。さっさとおしよ! 早く帰りたいとおっしゃってるんだから……』

 てな具合に、とっとと “一座” から放り出されるだろう。

 いっそのこと、ここは “沈黙” を保って相手の出方を見ると言うのは……。
 だが……と不安が募った。いきなり『エンジェルC嬢』いや「姉御」が派遣されて来ないとも限らないのだ。

 『お客様からのお返事はありませんでしたが、日ごろのご愛顧にお応えし、特別感謝サービスとしてまいりました』 

   ……とか何とか言いながら、ドアの前に立っていたりして……。

 美女の来訪は大歓迎だが、それでは “こちらから首を差し出す” ようなもの。“発句” の作者として、それだけは意地でも避けねばなるまい。

 とはいえ――、
 
 『エンジェルC嬢にお伝えください。ご厚意は心より感謝申し上げます。しかしながら、貴方様のそのお心遣いの愛の魔法により、奇跡的に片付きましたので……』

 などは「最悪コース」となりかねない。下手をしたら『姉御』は、“落胆” と “憐み” を込めながら「下足番」にこう漏らすだろう――。



 『佐助、聞いたかい? 秀理師匠は、“引退” なさるんだと。

 ……もうちょっとやれるかと思ったんだけどねえ……』 

 勝手に引退させられてはかなわない。師匠いや筆者は、強引に脳味噌をかきまわしながら悶々と悩み続けた。だが『第三の句』の何と遠いことか。

 気がつけば、『脇句』をつけられて以来 “小一時間”、こちらからは “一文字” たりとも返信していないことに気付いた。

 これが焦らずにいられようか。もう『第三の句』などと気取っている場合ではなかった。ぐずぐずできない。いつなんどき次の “一撃” が飛んでくるかもしれないのだ。そうなれば、「ハードル」はさらに上がるに決まっている。

 だが焦れば焦るほど、事態はよからぬ方向へと傾く。何と! 携帯電話のバッテリーが切れたのだ! 慌てて充電器を差し込みながらも、その一秒、二秒を惜しまなければならなかった。

 そして、やっと言葉がまとまりかけ、当座の充電が出来たと思ったまさにその時、着信のメロディが元気よく鳴った。

 『本日の業務はすべて終了いたしました。明日の業務は、午前9時より午後5時までとなっております。お急ぎのお客様は……』

 “やられた!” と思っているところへ、絶妙なタイミングで “追加の一撃” を食らった。



 『今後、弊社はどのようなお客様のご要望にもお応えできるエンジェルの採用と教育に努めたいと存じます。ことにひときわニーズの高い “美人でグラマーでタフなエンジェル” につきましては……。今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。 ――エンジェル・ワークス』   

 これは “とどめの一撃” となった。筆者は “ようやく”……というか “かろうじて” 次の一行を打った。

 As time goes by.
 
 そして、その1分後、次の「一節」を『挙句』とする腹を決めた。

 BIG WHITE FLAG! (了)

  


・片づけの神様(上):エンジェル派遣会社

2011年04月18日 20時46分23秒 | ■男と女のゐる風景

 先月3月の30日と31日の両日、「引越し」を敢行した。今回は、荷物の「仕分け」から「箱詰め」までを一人でやり終えた。初めからそうするつもりであったため、誰にも言わなかった。だがほぼ2週間を要した。

 しかし、引越先での「荷解き」と「片づけ」を “たった一人で” というのは限界に来ていた。単調な作業と蓄積疲労のために何度も「片づけ」を放棄し、いつ果てるともない荷物の山の中で読書に耽った。というより、半ば不貞腐れての “職場放棄” が真相だろう。

 そのため、“退屈しのぎ” に「一通のメール」を “ある女性” に送った。

 『急募!“片づけの神様”。できれば“美人でグラマーでタフな方”。当方、一人黙々と片づけ中!』

 さて、どういう「ボキャブラリー」の “作品” が返ってくるだろうか……。
 

 20分ほど経過し、メール着信音が鳴った。観ると――、

 『弊社へのご依頼ありがとうございます。しかし、残念ながらお客様のご希望に100%お応えできるスタッフはおりません。一応該当者は2名おりますが、一人は “美人でグラマーではあるものの、タフさに欠けるエンジェルA”、もう一人は “美人でもグラマーでもないものの、タフさには定評のあるエンジェルB”。どちらをお望みでしょうか?』

 なるほど……。

 だが、おやっ? と思った。筆者が予想していた “作品の傾向” から離れていたからだ。“お目当ての彼女” であれば、おそらく――、

 『 “片づけの神様” なんかいるわけないでしょ!』とか、
 『トイレの神様にでも頼んでみたら……』といった感じの “作品” のはずだった。機嫌が悪いときなら、
 『暇な年寄りの相手をする暇なんぞねえつうの!』といったところだろうか。
 
 さて、さて。どういう “心境の変化” だろうか? 
 だが次の瞬間、筆者の全身に鳥肌が立つほどの驚愕が走った。

 筆者にはすぐに “作者” が判った。“あのような戯れ” に “かくなる切り返し” で応じうる女性は、他に考えられなかった。

  何と筆者は、事もあろうに一番送ってはいけない≪ひと≫に送ってしまったのだ。つまり「送信先」は、“お目当ての彼女” ではなかった。

 この “落とし前” をどうつけるべきか。問題のメールを受信した≪そのひと≫の表情を想い浮かべながら、見事というほかない『切り返しのメッセージ』に改めて目を通した。“さすが” である。心の中で讃嘆のエールを送りながらも、懸命に “対処法” を模索し始めていた。
 
 もちろん≪そのひと≫は、筆者からの「メール」が、本来、他へ行くはずであったことなど百も承知だ。

 といって、そのことをストレートに返信するほど “無粋” ではなかった。彼女は明らかに連句のような心得で筆者の発句脇句をつけたのだ。……となれば第三の句を付け返すしかない。
 はてさてどう応じるべきか……と悩みに悩んでいるところへ――、

 『追加候補をご案内いたします。彼女は “美人でもグラマーでもなければ、タフでもありません”。しかし、本人より “お客様宅への派遣を” とのたっての要望が入っております。さきほどご紹介いたしましたAB二人に、このエンジェルCを加えた三者よりお選びください』

 何と破調の脇句パート2だ。これによって第三の句のレベルはグンと上げられたことになる。それは、『今さら “謝罪” や “弁明” なんて野暮なことはなしですよ』と釘を刺されたに等しかった。

 かくしてアラカンの「不貞腐れ親爺」は、膨大な荷物とゴミの山の中で座り直し、この最強の連衆と向き合う覚悟を決めた。(続く)

       ★  ★  ★  ★  ★

 

 ★連句(れんく):俳諧(はいかい)用語。十七音節(五・七・五)の長句と十四音節(七・七)の短句を、一定の規則に従って交互に付け連ねる様式の詩文芸。

 第一句(長句)を発句(ほっく)または立句(たてく)、第二句(短句)を脇句(わきく)、第三句(長句)を第三の句といい、この三句を一括して三つ物(みつもの)とよぶ。第二句以下を発句に対して付句(つけく)、第四句以下を三つ物と区別して平句(ひらく)、最終の句(短句)を挙句(あげく)(揚句)という。[出典:Yahoo百科大辞典(日本大百科全書:小学館)]

 ★連衆(れんじゅ。れんじゅう):連歌・連句の会席に出て詠み合う人々。[Yahoo辞書(大辞泉)]

 ※いずれも「原文」のままとしています(筆者註)。



 


・結婚当初の約束―高崎からの手紙

2011年04月12日 07時06分03秒 | ■男と女のゐる風景
 
 十数年ほど前のことになる。私は不動産業のコンサルタントのかたわら、建築関係の資格試験受験生を教えていた。本業の合間のレッスンのため、次第に「マンツーマン」で教えるケースが多くなっていた。

 三十歳前のKさんもそのような一人であり、彼女は離婚したばかりだった。専業主婦のため、離婚が決まったとき『三歳の子を抱えて、どうやって食べて行こうか』という現実に頭が真っ白になったという。相談の結果、「キッチンスペシャリスト」をめざすことになり、三歳の娘を母親に預けてのレッスンとなった。

 三回目か四回目に、私は彼女を「住宅設備機器メーカー」の「ショールーム」に案内した。ここは「システムキッチン」をメインとした九州でも有数のショールームであり、住宅設備機器の勉強には持って来いの教室と言ってよかった。バスユニット、洗面化粧台、便器それに照明器具等があり、床材や屋根材も揃っていた。インテリアコーディネーターや建築士志望の生徒にも、一度は必ず連れて来る所だった。

 ひととおりシステムキッチンを見終えた後、「リビングルーム」を模した照明器具の部屋に来た。ちょうどそこに、夫婦と小さな兄妹の一家が入って来た。照明器具を仰ぎ見る夫婦の横で、二人の幼児がはしゃいでいる。穏やかで優しそうなご主人、麗しく上品な奥さん、いかにもその両親の愛情に育まれたという男の子と女の子。「ホームドラマ」の一場面のような“微笑ましい家庭”が目の前にあった。
 
 夫婦は見るからに仲睦まじく、理想の夫婦ともいえる会話の雰囲気が感じられた。そのため、私はしばらく夫婦と二人の子供に気を取られてしまった。

 はっと気づいてKさんを見た。彼女は“レッスン中の生徒”として熱心に照明器具を眺め、気づいたことをしきりにノートに書き込んでいた。いや、そのことに集中しようとしているかのように私には見えた。


「男の子と女の子の兄妹っていいですね」
 帰りの車の中で、助手席のKさんが呟くように口を開いた。まっすぐ前を向いたまま、どこか吹っ切れたような雰囲気があった。

「わたくしも別れた夫も一人っ子でしたから、結婚したとき、子供は二人以上……って約束したんです」
 私は、自分が四人の兄弟姉妹であること、兄と二人の妹がいること。そして子供は、娘三人と息子が一人いることを、Kさんの反応をうかがいながら少しずつ足して行った。彼女の表情が和らぎ、“まあ”とか“すてき”と言った、これまでの彼女からは聴くことのなかった「感嘆詞」が混じり始めた。

「兄弟姉妹が多いというのは、夫婦のためというより、子供達のためですよね」
 Kさんはそう言いながら、穏やかな表情で運転席の私の方を向いた。

             ☆  ☆  ☆

 それから半月ほどが経過した。いつもの通りレッスンを終えたとき、Kさんが話し始めた。
「実は別れた夫ともう一度話をすることになり、群馬の高崎に行くことにしました。しばらく一緒に住むことになると思います」
 高崎はご主人の実家であり、“別れた理由”は、この“高崎行き”に納得できなかったからという。

「でも三日後、ここでレッスンを受けているかもしれません」
 微笑みながらも、彼女の眼差しは真剣だった。

「ということは、今日が最後のレッスンですね」
「それはまだ何とも……」 
 しかし私には、直観的に今日が最後になるような気がした。またそうなって欲しいという気持が強く湧いてもいた。

 私は、次回以降に予定していたレッスンの「資料」をすべて彼女に渡し、「問題集」をプレゼントした。それに、急遽作成したA4判の「卒業証書」を加えた。
「では今日が卒業式ということにします。……万一、再入校という場合は、いつでもお迎えしますから」
 Kさんは、少しおどけた表情でうやうやしく「卒業証書」受け取った。だがすぐに彼女の目から涙が溢れ、しばらく俯いたままだった。 
 

 それから一週間、二週間と経過したものの、Kさんからは何の音沙汰もなかった。そして一か月、二か月と経過し、ほぼ三か月が過ぎた頃、Kさんからの手紙を受け取った。

 連絡の遅れを詫びる文面のあとに、高崎の街やそこでの慌ただしい生活の様子が描かれていた。慣れない土地のため、自分も娘もしばらく調子を崩したものの、今はすっかり元気を取り戻したこと。だが「キッチンスペシャリスト」の勉強は、なかなかはかどらないという。そして「追伸」の欄に、たった一行こう書いてあった。

 『結婚当初に、夫と交わした“約束”を果たすことができそうです』


◎ディスカウント・ショップ:下

2010年11月20日 20時04分31秒 | ■男と女のゐる風景

 
 ブログの原稿(前回)については、ちゃんとN嬢に目を通してもらうことになった。  

 折しも、彼女は「経営レポート」作成(不動産関係)の指導を受けるため、筆者のもとに来ていた。彼女の「レポート原稿」を筆者がチェックし、筆者の「ブログ原稿」を彼女がチェックするという、なんとも不可思議な場面となった。

 だが彼女の原稿をチェックする筆者の「静けさ」に比べ、筆者の原稿をチェックする彼女には「勢い」があった。いささかの躊躇もなく「赤ペン」を入れて行く。気になってのぞいたとき、まず缶入りコーラとウーロン茶の「59円」が「29円」に訂正されていた。

 『59円なんて……』と、半ば呆れ顔で筆者を見つめながら曰く。『59円なんて、ちっとも安くありません! 29円だったのでは?……』 え!と驚いて聞き返す筆者。何と「29円」を「59円」と見間違えていたのだ。しかもその「59円」をめちゃくちゃ安いと感じていた甘さ……。

            ☆

 それからきょうまでのほぼ1週間、毎日何本もの「ディスカウント・アドバイス」が、「写メール」付きで入って来る。まず筆者がブログアップした原稿に対してのものが来た。

 ≪29円のウーロン茶は27円!≫

 ……となっている。「写真」は「価格の真実」を如実に伝えていた。「29円」のコーラの横に「27円」のウーロン茶が写っている。両者を並列させるため、カメラアングルとトリミングにこだわったようだ。

 ウーロン茶を手前に、コーラをその奥に配置した「斜め遠近法」が憎い。「学習能力に乏しい」演劇好きの弟子には、やはりこのくらいの演出が必要との師匠の覚悟だろうか。

 ≪テレビもエコポイントにより、駆け込み需要が増えるからでしょうか。10月より高くなっています≫ 

 ……なるほど。「PRICE」なるものも、のほほんと同じ「数値」に安住せず、たえず上がったり下がったり、宥(なだ)めたり賺(すか)したり……と忙しそうだ。

 ≪新米1590円でした。無洗米でも1790円≫ 

 ……しかし、判断材料を持たない「乏しい学習体験者」には、安いのかどうか判断がつかない。 

 ≪1週間で(価格)状況は変わるわ。ディスカウント店は他店の価格を調べているので、書いてある価格から値引きして販売するの!≫ 

 ……なるほど、これは判る。一応、電気製品で「学習」して来た。だが「DS(ディスカウント・ショップ)」でもそういうことがあるとは、やはり今回の「学習の成果」だ。

            

 ……1週間で価格が変わる……。ふと頭をよぎるものがあった。つい半月前、ある不動産業者が、「自社物件」の価格について、『150は落さないかんでしょうな』と語ったことを思い出した。

 翻訳すれば「150万円の値引きはやむをえない」と言っている。

 一本のタバコが煙と消える間に決定された「1,500,000円」のプライスダウン

 かたや「1円」そして「2円」の「ディスカウント・プライス」。“苦笑いの溜息” が150万円の「値引き」に変わる間に、チラシの「1円」に一喜一憂する “健気な女性たち”……。

 この “世界” いや “世界観の違い” をどう考えるべきだろうか。
 どちらの “世界” にも “身の置き所” がなさそうな「アラカンの弟子」……。その五体を持て余しながら、「師匠」への「返信メール」を力なく綴った。

 ≪ついていけそうにもない。落ちこぼれるだろうね。「学習能力の乏しい」この親父は。さっきも反省していたよ。今日(日曜)のチラシを条件反射的に処分したことを。でもあとで(チラシを)広げてみよう……≫

 ……≪あとで広げてみよう≫と殊勝に綴ったものの、どれだけ「学習実行能力」があることやら。だが絶対に「師匠」からの「確認メール」が来ると踏んだ弟子は、「チラシ」と向き合う決心を固めた。

  そして廃棄処分のチラシの束を回収しに行った。だが肝心のスーパーのチラシが1枚もない。おやっと? と思っているところへ師匠からのメールが来た。 

 《スーパーのチラシは木曜か金曜に見ましょう。土曜でもいいのですが日曜はあまり入っていないかも。

 ……ああ。それに日替わりで安くなるのもあるし、タイムセールがあるってことも……》 (了)

 

   ◎2020年12月11日午後 加筆修正 花雅美 秀理


◎ディスカウント・ショップ:上

2010年11月15日 17時59分28秒 | ■男と女のゐる風景

 

 《……Mストアの67円の納豆を買うため、今から自転車で行きま~す。普段は77円なのよォ~!》

 つい数日前の朝、「携帯メール」が届いた。送り主は私の「建築塾」塾生OGのN嬢。アラフォオーの彼女はシングルであり、つい最近、住宅メーカーとしては全国有数の「住宅建設会社」を辞めていた。

 自ら「プー太郎」という彼女。緊縮財政を発動中のようだ。何処に行くにも、すぐに車で移動する彼女がチャリとは……。すぐにはその情景が思い浮かばなかった。

 そのため、「ビンボーな筆者」にも歩調を合せよとのメッセージだろうか……。このところ、“その筋のメールや電話” が来る。

 ……『スーパーの折込みチラシは見ていますか?』。筆者は仕事柄、分譲マンションや一戸建、それに仲介業者のチラシには目を通す。だが「スーパーのチラシ」など、まともに見たこともなかった。

            ★

 つい先日、勉強のため彼女と一緒に「住宅フェア」へ行った。その帰り、“夜の海” でも見ようかということになった。走り始めてすぐ、彼女から “確認” のための質問が飛んだ。

  『スーパーの折込みチラシ、見てます?』。 

 ……筆者は首を横に振った。次の瞬間、助手席から彼女は敢然と言い放った。『今からディスカウントショップ(DS)に行きましょう!』。すぐさま近くの「DS」行きを命じられた。ロマンチックムードは瞬時に吹っ飛び、筆者は慌てて車をUターンさせた。

            ☆

 …………安い……とにかく安い。DSショップの入口に積み上げられた「29円」の缶入りウーロン茶やコーラに、まず驚かされた。自宅近くのスーパーで求める同じ商品の味噌や醤油も、とにかく安い。「DSショップ」は初めてではなかったが、これまで(の人生において)、何回行っただろうか。

 次に「5kgの県産米」の値段を見て衝撃が走った、全く同じ「米」が、自宅近くのスーパーよりほぼ500円も安いのだ。しかもその「米」の横に並んだ同じ「米」の袋には「新米」のシールが貼ってあり、こちらの価格は、筆者がスーパーで買ったものとほぼ同じ値段だった。

  つまり、筆者が買ったものは「古米」であり、おなじ銘柄の同じ「古米」が、このDSではほぼ500円安いというわけだ。信じられないほどの価格差に驚きながら、自己の無知と対応の甘さに “愕然” とした。そこへN師匠曰く。

 ――“精米” した日付もちゃんと見なくちゃ。

 安い、安いと半ば興奮気味に買い込むため、籠はたちまち一杯になった。レジにおいて師匠曰く。


 ――これ、わたしの「ポイントカード」につけてもいいですか? でも惜しいわ。昨日だったら、ポイント3倍だったのに……。

 

            ★

 「勉強」のためにと、別のスーパーに連れて行かれた。あれこれ籠に入れようとするたびに、厳しい眼差しの師匠の声が飛ぶ。

 『だめ……それは、金曜日が安いの……』『……これは○○○店の方が安いから……』『……あの底値は○○円なの!……今日買っちゃだめよ……』。それはもう、説教される子供同然だった。
 
 2店で結構な金額となり、その分かなり節約できた。少なくとも20%安く買えたのでは……と頭の片隅で計算しながら、お礼の意味を込めて師匠に言った。

 『お陰で今日はかなり得をしたね。ありがとう。コーヒーくらいおごろうかな……』。 

 だが、間髪いれず入れず、師匠から叱責の言葉が返って来た。

 ――そんなことをしたら、何にもならないでしょ!

 今年1月、或る「新年会」の福引で「5kgの米」(※註)を引き当てたことを想い出しながら、わが身の「学習能力」の乏しさに再び “愕然” とするばかりだった。

  だが筆者の「学習能力の乏しさ」は、実はこんなレベルではなかった。       

 
  ◎2020年12月11日午後 加筆修正 花雅美 秀理


・化粧の哲学―(下4)《最終回》

2010年03月07日 08時42分40秒 | ■男と女のゐる風景

 

 「野多目(のため)」という交差点が目の前に迫って来た。筆者は右折レーンに入り、「202号線」と別れなければならなかった。ひょっとしたら彼女も同じように右折を……と秘かに期待したのも束の間、彼女はそのまま真っ直ぐ筆者の横を走り去って行った。

 見ず知らず……どころか、顔を合わせることも、言葉を交わすこともなかった女性。わずか20分足らずの間、偶然、走行する車が前後したにすぎなかった。しかも、“最接近した信号停止”のときですら、彼女との距離は10m以上は離れていたはずだ。それなのに「恋人」と別れて来たかのような“喪失感”が残っているのはなぜだろうか。

 ともあれそれ以降、筆者の“運転マナー”が格段に向上したのは言うまでもない。いや“マナー”というよりも“心構え”……いやいや、“精神”と言うべきかもしれない。

 そこで特に感じるようになったことは、男性運転者の“ゆとり”や“品位”の欠如だった。せっかく一定の車間距離を保って走っていても、すぐに割り込んで来る。右左折の際に、慎重に直進車や歩行者を待っていると、クラクションを鳴らして急かそうとする。何とも落ち着きがなく、気忙(きぜわ)しい。それに加えて、「肘出し片手ハンドル」、「吸殻の灰落とし」や「ポイ捨て」など。すべて男性運転者だ。恥ずかしいというより、哀しい気持にさせられる。

 それに比べて女性運転者は……。男性に比べて、何となく“ゆったりしたリズム”が感じられる。「モーグル競技」の実況アナウンサーが、『男女とも同じコースを滑り、男女のタイム差は5秒……』と言っていたのを想い出した。

 この『5秒という性差』に、一つのヒントがあるような気がする。スピードを競う場合は別として、少なくとも男性よりも“スピードを抑える”ということが、女性の意識や行動の始まりに大きな影響を与えているのではないだろうか。それは“生命を宿し、それをより安全に生み育てなければならない”という、“母性(母体)本能”から来ているのは言うまでもない。

 そういう「一つの結論」に達したとき、A嬢の言う『男性はお化粧をしないので可哀想だと思いますよ』という言葉が、ストンと胸の中に降りて来た。女性にとって、『化粧(化粧道具や化粧行為)』は生物学的な“本能”から来るものであり、スポーツにおける『男女のスピード差=性差』は、そのささやかな証明の一つと言える。

 無論、スピードの問題だけではない。女性は男性に比べ、その肉体も精神もきわめてデリケートであり、しかもそのデリカシーのバリエーションは、天文学的な数値を示すのだろう。
 
 その日の、いや一瞬一瞬の自分というものを確かめる習性が、本能的に備わっているようだ。そのときどきの季節や曜日や時間帯の中で、太陽の輝きぐあいや空の色、雨の降るさまや風のそよぎの微妙な変化を本能的に感じながら、刻々と変化していく自分の体調や気分を調整するために、たえず身だしなみや『化粧(化粧道具や化粧行為)』のチェックをしているのだろう。
 そのためにも、むやみに“急いではならない”のであり、また“他の生命”を脅(おびや)かしてもいけないのだ。

 問題は、女性たちの『化粧(化粧道具や化粧行為)のチェック』すなわち“化粧の哲学”に匹敵するものを、男性は持っているのかということだ。

 答えは“否”と言わなければならない。少なくとも今の筆者には思い浮かばない。だが、この答えは、これからの「オマケ」としてとっておくのも悪くない……。 (了)

      ★   ★   ★

 ――うちのかみさんを車に乗っけると、必ず化粧を始めるんですよ。あっしはあれが嫌で嫌で……。そのうえ、こう命令するんです。『急ブレーキを踏むようなことだけは絶対に止めてね!』。
 でも、これからはちっとは眼をつぶってやることにしやしょうかね。……しかし、旦那。「電車の中の化粧」だけは止めてもらわねえと。あれだけはどうにも許せねえ!

      ★   ★   ★

 ――ねえ? ひとつお聞きしたいの。車の運転をしていたというその女性……『比較的若い』ってことですけど……。言葉の正確さを心がけるあなたにしてはとても曖昧じゃありません? “比較的”とおっしゃるからには、「比較の対象となる方」でもいらしたのかなと思って……。


・化粧の哲学―(下3)

2010年02月28日 03時50分57秒 | ■男と女のゐる風景

 

 素直にそう納得できたのは、彼女の表情や仕草が“自然体”であり、筆者から“見られている”ことなど“微塵”も感じさせなかったからだ。
 というより、手鏡と対峙しているその瞬間の彼女にとって、彼女と手鏡以外何一つ存在するものはない……。そういう“確然たる女の想い”のようなものが伝わって来たからかもしれない。

        *   *   *


 ――私たち(女)には、“いつも肌身離さず持ち歩いている手鏡”があります。何かあるたびにそれをのぞき、刻々と変化してやまない自分を事あるごとに見つめ、確かめようとしているのです。

 お化粧をするのは、いつも、いつまでも綺麗でありたい……、いえ、もっともっと綺麗になりたい……綺麗に見られたい……という気持があるのは確かです。そしてそれが、愛する人(男性)のためになることも事実です。しかしそれは、男性のみなさんの“一方的な期待”であり、私たち自身のための化粧行為が、たまたま“結果”としてそうなったにすぎません。

 私たち女にとって、“お化粧をする”ということは、“女であり続けようとする創造の連続”と言ってよいでしょう。それは、本能でも見栄でも、また衝動でも誇りでもありません。簡単に言い表すことができないほど、肉体や意識を離れたところから自然に湧き起こって来るように思います。本当のところは、私たちにもわからないほど深淵で豊かな呼びかけなのかもしれません。

       *   *   *

 筆者が感じた彼女の“内なる声”は、そこで途切れた。信号が青になっていたからだ。“先導車”としてゆっくりと車をスタートさせながら、バックミラーをのぞいた。彼女は先ほど同様、筆者の後ろからゆっくりとついて来た。

 だが先ほどの再スタートのときとは、微妙に筆者の気持が異なっていた。その違いは、“優しい運転”を心掛けているという筆者の“自負”が消えたことにあった。“彼女のお化粧や身だしなみのために”という……。
 車がスピードを増す中、彼女の“内なる声”が再び響き始めた。

 ――“優しい運転”ができましたね。その気持を忘れないでください。もうやめましょうね。スピード違反に黄色信号での突っ込み。急発進や急停止。それに無理な追い抜きや割り込みなど……。“急ぐこと”しか考えないなんて“愚かな魂”の“悪しき習性”としか言いようがありません。そのような「ドライビング・テクニック」を“かっこいい”とお考えの男性が何と多いことでしょう……。

 ……それに比べて、車の中での女性のお化粧や身だしなみのチェック。彼女にかぎらず、そして車の中にかぎらず、女性たちは何と多くの“急ぐことから遠い”意識と行為の中で自分を表現しているのだろうか。そしてまた、周りの人々に対する“優しい時間”を創り出しているのだろうか。“化粧行為という名の哲学”によって。日々、そして時々刻々とその哲学を深めながら……。(続く)


・化粧の哲学―(下2)

2010年02月21日 01時59分28秒 | ■男と女のゐる風景


 車を運転する人には判ると思う。「後続車」の人物や動きがよく見えるということを。といっても、「バックミラー」に映った運転席や助手席に限定されるが……。ことに天気の良い日は車内が明るいため、ヘアスタイルや顔立ちは無論のこと、身体つきや服装まで見えるものだ。仕草や動きによっては、“人となり”を感じさせることもある。
    
 それはおそらく、「後続車」のフロントという“限定された視界”を、走る車のバックミラーという“限定されたサイズ”の中で捉えるため、“コンセントレーション”が高められるからではないだろうか。しかもそれが、互いに走行中という“緊張感”の中で行われるのだ。いやが上にも“直感的な観察力”が、“瞬時”に且(か)つ“的確”に働くのかもしれない。

 だが反対に、「後の車」から「前の車」の運転席や助手席はよく見えない。男女の別や年齢層が何とか判明できる程度だろうか。とはいえ、「女性」であることはさまざまなサインからよくわかる。上体を伸び上ってバックミラーを覗いたり、髪に手を触れたり、顔をマッサージするような仕草が多い。……ということが、これ以降の観察の結果判明した。

       ★

 ……次の信号停止は、案外早くやってきた。しかも、停車時間が長い信号だ。心地よいほどのタイミングで、狙い通りにごく自然に車のスピードを落とし始めた。まるで彼女の「先導車」になったような気分で丁寧にブレーキを踏み分けながら、心の中で『やったー!』と叫びたいほどだった。とはいえ、肝心なことはこれからだった。

 たった今、筆者の車が停止した。「バックミラー」越しの「後続車」も、今まさに停止した。何ともいえない緊張と期待とを感じながら、あらためて「バックミラー」をのぞいた。女性は、身体にフィットしたセーターを着ている。撫で肩であることも、少しぽっちゃりとした感じもよく伝わって来た。

 彼女は、少し見上げるようにバックミラーをのぞいた。額の前の髪を分けている。とても自然で、しなやかな動きであり、その仕草から次に手鏡を取り出す動作はとてもスムーズだった。

 先ほど同様、小指で唇をなぞるようにしている。唇がよほど気になっているのだろうか。そう思ったとき、彼女は口紅を取り出し、二三度軽く引いたようだ。そして再び小指で軽くなぞるようにしたかと思うと、それを何かで拭いている。その一つ一つの動作はとても真剣であり、無駄な仕草や動きが少しもなかった。何よりも、そのどれもが、彼女にとって必然性があり、とても意味あるものに思われた。

 ……ああ。これなのか……。『男性はお化粧をしないので可哀想だと思いますよ』というのは……。
 それはほんの一瞬のモノローグだった。だが、はっきりと、そして自然にそう納得することができた。(続く)

 


・化粧の哲学―(下1)

2010年02月15日 21時49分55秒 | ■男と女のゐる風景

 実はこの「202号線」という道路――。

 自宅を出てすぐに「油山(あぶらやま)観光道路」という幹線道路に入り、3.5km行くとこの『202号線』にぶつかる。よく訪れる某社までは、この『202号線』を約5km走って「385号線」に入り、さらに2.6Km行かなければならない。

 日曜日のこの日は、私用と仕事を兼ねて某社に立ち寄るつもりだった。
 バックミラーに眼が行ったのは、無論、その“信号停止”のときが初めてではない。運転者の義務として、自車の“前後”の車に注意を払うのは当然であり、後続ドライバーが“女性”ということは早い段階で認識していた。だがそれ以上、注意を払う必要がなかったにすぎない。どうやら彼女は、「油山観光道路」からの後続車のようだ。

 温かい冬晴れの日曜日。時刻は午前10時ちょっと。平日と異なり、車はほとんど見かけない。そのため緊張感もなく、ゆったりとした気分で運転を続けている。
 
 それに加えて“小休止”のような“信号停止”の時間……。その想いが頭を掠めたそのとき、バックミラー越しの彼女が、頭の後ろに両手をやった……と思った次の瞬間、束ねていた髪を振りほどいた。それはまるでスローモーションのようにふわりとした感じを与えた。髪は長く黒々としており、彼女は頭を左右に振りながら、何度か手櫛で髪を整えているように見えた。その一連の動作は、テレビに出て来る何かのCMを思わせた。

 彼女は、髪をほどく前よりも溌剌と映った。それでも、おもむろに手鏡を取り出す仕草に成熟した女性の落ち着きが感じられた。俯き加減に手鏡をのぞき、顔全体をチェックしているのだろうか……。ひと呼吸おき、唇に小指を当てて“口紅を整える(?)”仕草をしたかと思うと、その同じ小指を“眉を掃く(?)”ように持っていった。しなやかで艶のある流麗な仕草だった。一瞬にして、その動きに魅了された。

 ……交差している道路の信号が黄色に変わった。だが手鏡に見入っている彼女に、気づいた気配はない。やがて正面の信号が青になった。筆者はバックミラー越しに彼女を見ながら、ゆっくりと車をスタートさせた。『……慌てなくてもいいんですよ』……心の中でそう呟いていた。

 彼女は焦る様子もなく手鏡を閉じ、やっと車をスタートさせた。想いが通じたような気がして、ちょっぴり幸せな気分になった。信号停車時間は、1分足らずだったろうか。

 再び走り始めた筆者の頭の中は、もはや次のことしかなかった。彼女が後続車でいるこの「202号線」上で、いかにして次の“信号停止”状態を作り出すか……。遥か先に点在するいくつかの信号を視界に捉えながら、一刻も早く、しかしごく自然に“信号停止”にかかるための走行を、懸命に描き始めていた。(続く)

 


・化粧の哲学―(中)

2010年02月09日 21時45分47秒 | ■男と女のゐる風景

 

 ……『敵(かな)わないと思った』のは、筆者には、「化粧」に関する意志や経験が、これまでもこれからも完璧にゼロであるということにあった。つまり、「化粧の効用や知識」について、語るべきものを何も持っていないのであり、端(はな)から“論戦”の余地などなかったからだ。

 『男性はお化粧をしないので可哀想……』

 この一言は、永年、露も疑うことのなかった、『女性はお化粧をしなければならないので気の毒……』に対する“驚愕”の“アンチテーゼ”となり、筆者に“コペルニクス的転回”を迫るものとなった。

 A嬢がその言葉の後どのような論を展開したのか、まったく憶えていない。それもそのはず、筆者の頭の中は次のことでいっぱいだったのだ。

 “なぜ化粧をしない男は可哀想なのか”。その根拠は? そしてそのことを“普遍的な原理”でもあるかのように言い切った彼女の“確信”いや“自信”は、いったいどこから来るのだろうか……と。

               * * * * * * *

 女性たちが、いつまでも若く美しくありたい、またそのように見られたいという願望を、「化粧(化粧道具や化粧行為)」に託そうとしていることは容易に理解できる。またそのことにささやかな“満足感や幸福感”を抱いていることも想像の範囲といえる。

 だが、その程度の理解や想像では、“なぜ化粧をしない男は可哀想なのか”という、彼女の“確信”いや“自信”にはとても行き着かないのだ。そしてこのことは、長く筆者を“呪縛”するものとなっていた。

 だが最近、或る“発見”いや“気づき”を境に、この“呪縛”が解かれつつあるように思う。それは今年の初め、高速道路下を並行する「202号線」を走っているときに訪れた。

 この道路は「外環状線」と言われ、市街地を走る一般道とは異なっている。信号はあるものの“準高速ともいえる一本道”のような道路であり、信号に引っ掛かることは少ない。結構スピードは出せるものの、本来の「高速道路」をとばすときのような張り詰めたものはない。車本来のスピードと連続走行とを堪能することができる、数少ない道路といえる。それだけに、1キロ前後に1回程度の「信号停止」は、適度の寛ぎと安らぎとをもたらした。

 ……そう感じたとき、何気なくバックミラーに眼が行った。後続車のドライバーが映り、そこに比較的若い女性の姿があった。そして、まさにここから“化粧の哲学”の本質ともいうべきシーンの数々を、筆者は目の当りにする。(続く)