『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

◎『眼横鼻直』(がんのうびちょく)―禅語2

2010年01月06日 22時27分28秒 | ■禅・仏教

 道元禅師の想い

 文字どおり、“眼は横に、鼻は縦に(直に)” と読み、眼と鼻の “有り様(ありよう)” をそのまま表現している。意味は、“当たり前のことを、当たり前としてそのまま素直に受け止める” というもの。

 この言葉は、中国での修行を終えて帰国した道元禅師(『一休の頓知問答』参照)が、その成果について語ったものとして知られている。

 入宗した道元は、生涯の師である如浄(にょじょう)のもとで四年の修行を積んだ。だが彼が学び取ったものとは、つまるところ、“二つの眼は横に並んでついており、鼻はまっすぐ縦についている” ということであったと。

   つまりは、そのことこそが “仏法の真髄” であるとする。

 そのため、“経典など何一つ持ち帰ることなく、手ぶらで母郷(母国)に還って来た” と述べている。道元は、このことを、『空手還郷』(「くうしゅげんきょう」又は「くうしゅかんごう」) と表現した。

 実際に道元が、一巻の経典も持ち帰らなかったかどうか、残念ながらそこまでは知らない。だがその真偽のほどなど、どうでもよいのかもしれない。

 なぜなら、“当たり前すぎるほど” のことを、かくも “愚直なまでに平易” に言いきったことこそ、「禅語」あるいは「公案」的には、計りしれないほどの意味を持っているからだ。

 第一に、道元が『眼横鼻直』と気づいたその瞬間、彼は“大悟した” のであり、道元一流の言い方をすれば、“身心脱落(しんじんだつらく)” したことになる。

 第二に、洋の東西を問わず、人間存在の “表象” ともいえる「眼鼻」を、これほどまでに単純明解に言いきった哲人を私は知らない。

 大悟の域の高僧すら遥かに及ばない“透徹した眼力” であり、的確に言葉を選び抜いた道元の “霊性” には “ただならぬもの” が感じられる。語ることさえ憚られるほどであり、これ以上の言葉は控えるべきかもしれない……。


             ★★★ ささっと…… ★★★

 ――ではわたくしが代わりに……。

 ねえ? この『眼横鼻直』って言葉。横にすっと糸を引くような「切れ長」の「眼」をイメージしていないかしら? また鼻はまっすぐ、すっと高い方がいいってニュアンスがあるみたい。「縦」の字を避けて「直」の字を使ったところに、その気持ちが出ているように思うの。

 それに前回の『喫茶去』にしても、わたくし的には、お茶を飲んだら「さっと立ち去る」という意味が断然好き。

 ……『新年会』でも『賀詞交歓会』でも、およそ「宴会」と名の付くものは、終わったら潔く……二次会、三次会とやらには、いささかも執着することなく……、さっと……、さっさと……帰る。

 余計なことは、言わない……そしてしない……。ねえ? あなたもそう思うでしょ? ねっ! 

 えっ? 聞いてる? ね~え。 ……やだあ~。 眠っちゃったの? 

 こういうときだけは、さっと……ささっとって……わけなのね。

 やだ、やだ。あたくしも、ささっと帰ろう…………。

 

  ◎2020年11月30日 夜 加筆修正 花雅美 秀理


◎元日や手を洗ひをる夕ごころ/芥川龍之介

2010年01月01日 16時41分11秒 | ■俳句・短歌・詩

    

元日や手を洗ひをる夕ごころ  芥川龍之介

 
  『澄江堂(ちょうこうどう)』の号を持つ芥川龍之介。数こそ少ないが、詩や短歌、それに俳句にも優れた作品を残している。

 こと俳句については『我鬼(がき)』の俳号を持ち、生涯に千余句をものにしたといわれ、厳選した七十七句を『澄江堂句集』として編纂した。掲出の句はその中の一句。

              ★  ★  ★

 あれほど待ちわびていた新しい年の始まりは静かに訪れ、何ごともなく “とき” を刻んでいく。元旦の清新な “朝の気” も、日の移ろいとともに薄らぎ始める。

 年始の客もひと段落ついたのだろうか。夕刻から夜にかけての、元旦独特の「手持無沙汰のひととき」を、作者は断ちたいと思ったのかもしれない。

 厠へ立つつもりも、特に手を洗いたいと思ったわけでもなさそうだ。新しい作品の構想に思いを馳せ、あるいは書きかけの原稿に呻吟していたのだろうか。

 気を取り直すように何気なく立ち上がり、無意識のうちに廊下伝いに庭に出ていた。

 庭先から臨む、暮色を帯び始めた元日の空――。

 ……どこか憂愁を帯びている……と作者の眼には映ったのかも知れない。朝方には、神々しいまでに煌めく光に満ちていたというのに。廊下に佇みながら、作者は元日の半日を、そしてこれから始まる新たな一年を計ろうとしていたのだろうか。

  何気なく廊下の隅の「手水場」(ちょうずば)に歩み寄り、柄杓に掬った水を手にかけ始める。そのとき、作者独特の感性は、夕暮れの “けはい” に言い知れぬ何かを感じ取ったようだ。常に作者の中に棲みつく “将来への不安” と、“作家としての不安定さ” を今また想い起こしながら……。

                 ★

 “病的なまでに繊細な感性の持ち主” と言われた芥川龍之介。

 その “人となり” をうかがわせる秀句であり、芥川の句の中でも私が一番好きな句だ。

 私が俳句を始めた二十代後半からこのかた、『元日』と言えばかならずこの句が頭に浮かぶようになった。というよりこの数年、年が押し詰まる頃になると、妙にこの句が気になり始める。

 それはこの句の世界が、“元日” だけを詠んでいるのではないことに気づいたからかもしれない。

 “元日の夕暮れ” という “いっとき” を語りながらも、その実、作者は自分のこれまでの人生、そしてこれからの人生という “来し方ゆくすえ” を併せて詠みこもうとしたように思えてならない。

 元日という気持を胸に、“今年こそは” とささやかな闘志を秘めてはみても、わずか一日で自分が変わるわけでも、また劇的な何かが起きるわけでもない。三百六十五分の一日の “ときの流れ” という厳然たる事実だけが、正月二日の夜明けとともに確かめられるにすぎない。

 人は、たえず何らかの “ときの区切り” を求めている。それだけに、これはと思う “ときの区切り” が、あまりにもあっけなく静かに、意味なく過ぎ去っていくことに、寂しさと焦りと、そして一抹の恐れを抱くのかもしれない。

 「作者」のみならず、そして「元日」のみならず、この “夕ごころ” が意味する “いっとき” は深い。

             ★ ★ ★ ★ ★

 

 ★お詫びと訂正

 このたび、従来の記述について若干の訂正を施しております。

 それは、「芥川龍之介」の生涯における「制作句数」について、従来、「六百句足らず」との表現をしていました。

 しかし、この数値はどうやらノートを取った際の私の勘違いでした。このたび整理中の段ボール中より、行方不明となっていた『芥川龍之介全句集―我鬼全句』(永田書房:編輯/村山故郷参考):昭和51年3月15日発行)を発見しました。

 それによれば、いわゆる「有季定型」の「俳句」数は、957句です。しかし、編輯者の村山氏の記述によれば、同類・同想句・改作句の作品があるため、それらの「重複句」を除くと若干実数は減るとのこと。

 以上の他、「無季俳句:22句」に「自由律俳句:35句」があり、先の「957句」を加えた「1,014句」が、芥川の生涯制作句数と言えるのかも知れません。

 さらに以上に、若干の「連句」や「付け句」などもあるようですが、村山氏は今回の句数には数えていません。

 なお、本ブログ「タイトル」の最初に「印」が付いているものは、「加筆修正」を施した証左です。他の記事についても、順次この作業を進めてまいりたいと思います。

 以上、訂正かたがたお詫びし、ご報告申し上げます。 

  ◎2020年12月11日午前 花雅美 秀理

 ※参考

村山 故郷(むらやま こきょう)/1909.6.19~1986.8.1.京都市下京区出身。国学院大学国文科卒。「夏目漱石門下(芥川龍之介もその一人)」の「内田百閒(うちだひゃっけん)」に師事。「石田破郷(いしだはきょう)」主宰の俳誌「鶴」同人。俳誌「嵯峨野」を主宰。