“その坐禅”は、その日最後の一つか二つ前の「坐禅」ではなかったでしょうか。というのも外はすでに暗く、また空腹感も一切なかったからです。おそらく“その坐禅”は、「薬石(夕食)」から少し時間をおいたものでしょう。心身ともに安定し、また穏やかな気持ちでした。
脚や足の痺れも気にならず、私は心地よく落ち着いていたことを記憶しています。「夜」というのに全身の疲れも眠気もなく、つい何時間か前に倒れそうになったことが嘘のようでした。“時間”のことも“日常生活”のことも少しも気にならず、“坐禅に没頭する”だけでした。まさにそのために、福岡から時間と費用をかけて来たのですから……。
薄暗い僧堂に「鐘」が鳴りました。正式な坐禅の開始を告げる「本鈴」です。私はいつもと違って心身ともにとてもリラックスした状態でした。というのも、「本鈴」による正式な坐禅開始となっても、すぐには全身がなじめないのが常だからです。
そのため、「予鈴」から「本鈴」までの数分間が短く感じられ、もう2、3分「準備時間」が欲しいと思うことが何度かありました。
それが今回は、ごく自然に「本鈴」すなわち“正式な坐禅”へと“入って”行けたのです。私は照明が乏しい中、“半眼”のまま「半間」(約90cm)ほど先の「単」の縁を見つめていました。静かに、「数息観(すうそくかん)」(※註1)という坐禅独特の呼吸法を繰り返しながら、“只管打坐(しかんたざ)”(※註2)の世界を辿り始めていたのです……。
ところが、なぜか周りに落ち着きがないような気がしました。薄暗い僧堂とはいえ、“半眼”のために左右の“気配”を感じることができるのです。
明らかに「単」を下りる人の動きがあり、それも一人や二人ではなさそうです。何が起きたのだろう? 火事などの緊急避難ではなそうだし……。それにしても、なぜ坐禅をしないで「単」を下りるのだろうか?
……と思っているところへ、ふいに肩を叩かれました――。
――いい“坐相(ざそう)”(※註3)でしたね。
坐禅をしなければいけない人が、なぜ立ちあがって声をかけるのだろうか。私は自分が置かれている立場を理解し得ないまま、声の主である若き雲水の笑顔を眺めているだけでした。
――なかなかでしたよ。
その言葉を頭の中で反芻しながらも、私は何が起きているのかまだよく呑みこめなかったのです。しかし、坐禅仲間が全員「控室」に戻ったことを聴かされたとき、私はようやく状況を呑み込むことができたのです。
そうです――。私が「本鈴」と思った鐘は、実は「終鈴」の鐘でした。
つまり私は「予鈴」とともに「単」に上がり、そこで坐禅のための足を組んだり、身体を前後左右に揺り動かす動作だけと思っていたところ、「その後40分間」しっかりと「坐禅」を続けていたというわけです。「本鈴」が耳に入らないまま、40分もの時間を“ほんの数分”にしか感じなかったということでしょう。
信じがたい不思議な“時間の感覚”であり、これまで体験したことのないものです。
私はほぼ半年前に初めて永平寺を訪れて以降、事務所で座禅をするようになっていました。「坐る」ことにはある程度慣れていたのは確かです。それでもこのような体験は、後にも先にもこのときだけでした。
ともあれ、私にとっての“その40分間の坐禅”は、“他のものが一切入り込む余地のない濃密な時間”でした。
このときの「摂心」から戻った数日後、私は再び、道元の『自己をならふといふは、自己を忘るるなり』の“あの一節”を想い浮かべていました。(続く)
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※註1:坐禅時の独特の呼吸法です。この「呼吸法」は今でも時々行っています。あくまでも私の個人的な感想ですが、自然に姿勢がよくなると同時に、「精神統一」にもなるようです。
※註2:「只管」は「ひたすら」、「打坐」は「坐わる」という意味です。道元的に言えば、あれこれ思い惑うことなく、とにかく“ひたすら坐禅しなさい”ということです。
※註3:「坐禅をしているときの坐っている姿」のことを言います。若い雲水の方でも、みなさんが一目置くよう方は「坐相」が堂々としています。背筋はスッと伸び、ピクリとも動きません。凛とした中にも、穏やかな美しさが感じられます。そういう方は「一チュウ」の40分が終わっても、そのまま一人黙々と坐禅を続けていました。