『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

◎常に兵法の道を離れず/宮本武蔵:下-2(最終章)

2012年01月29日 15時51分40秒 | ■人物小論

武蔵、十三歳の初勝負

 

武蔵自身の言葉(地の巻)による初めての「勝負」は13歳のときだった。有馬喜兵衛という兵法者に打ち勝ったとあり、16歳で但馬国秋山という兵法者に勝ち、21歳で京の都に上っている。

 

京都においては、吉川英治原作でも知られているように、有名な「吉岡一門」の清十郎、伝七郎、又七郎等と闘い、「一乗寺の決闘」では、その門弟数十人と闘っている。その後、諸国を巡って各地の兵法者と行き会ったようだ。

結局、彼は生涯に六十余たびもの勝負をし、一度も敗れることはなかったことになる。

 

この六十余たびの勝負は、いずれも13歳から29歳までの間のもの。そのため、29歳とされる佐々木小次郎との「巌流島の決闘」は、最後に近いと想われる。

だが残念なことに、武蔵はそのことを明言していない。それどころか、この「決闘そのもの」についても触れてはいない。何とも不可解な話だ。

 

ともあれ、「最後の勝負」から三十余年。武蔵は実際に真剣を交えての勝負をしなかったようだが、試合形式のものは何度か行っている。つまり「剣の技」を磨くことは、ひとときも怠たることはなかった。『五輪書』や『兵法三十五箇条』にも、その姿勢がうかがえる。 

 

            ☆   ☆   ☆

 

ストイシズムの極致

 

  れんぼ(恋慕)の道、思ひよるこころなし。

 

この一箇条は、死の七日前に書かれた二十一箇条から成る『独行道(どっこうどう)』に出て来る。何ものにも囚われまいとする武蔵の哲学は、こと恋愛についても剣には不要のもの、いや障害になるものとして否定している。

『独行道』にはその他にも、随所に以下のような文言が見える――。

 

……いずれの道にも、別れを悲しまず。

 

……身の楽しみをたくまず。

 

……一生の間、欲心思わず。

 

……物毎にすき(数奇)好むことなし。

 

 

いわば、究極の「ストイシズム」と言ってよいのかもしれない。

そのような「実像の武蔵」が、NHK大河ドラマの『武蔵 MUSASHI』において、巌流島の決闘の後、「お通と所帯を持って剣から離れた」となっていた。

 

いかに「ドラマ」とはいえ、真正「武蔵フアン」としては容認しがたいことだ。

 

そもそも、吉川英治原作における「お通」なる登場人物は、あくまでも吉川氏の創作によるものであり、原作では武蔵といくたびもの「すれ違い」を演じている。

いわば、日本的「メロドラマ」の原型と言えるのかもしれない。「お通」はまさに、この「すれ違いの悲劇のヒロイン」として、国民的な支持を得たのだった。

 

剣一筋に生きる「武蔵」の心の底に「お通」があり、その「お通」の視線の彼方に「武蔵」がいた……というのが吉川英治の「武蔵」と「お通」のイメージだった。

 

読者はそこに、淑たる「お通」の清麗な「恋心」に惹かれるとともに、その視線に見守られた武蔵の孤独さと、一途な剣への思いをいっそう強く感じさせられたのであろう。 

それはまた日々失われて行く、「日本の男女の原風景」とも言うべき、「淡く切ない恋の郷愁」に通じるものではなかっただろうか。
         
  なお『独行道は、次の一条で結ばれている。

  常に兵法の道を離れず。  (了)

 

     

            ★★★ 超○○系?! ★★★  

 

――あたくし、想うの。いくら剣一筋の武蔵さんでも、好きな女性の一人や二人いらしたのでは? 

そう考える方が自然だと想いません? だから……

 

 れんぼ(恋慕)の道、思ひよるこころなし。

 

……なんて、ああ、やだ、やだ。それは確かに、「恋慕の心」など持たなかったとおっしゃったかもしれないわ。

……でも、だからといって、それは武蔵さんの「実際の恋愛経験」を否定するものではないと思うの。

 あたくし、何となく感じるわ。ひょっとしたら武蔵さんって、哀しい「片思い」や身を引き裂かれるような「悲恋」を体験した方ではないかって。

 それとも、彼って……言って、いいかしら? 

 ……超草食系……?! 

 

 ★ ◎2020年12月4日 午前 加筆修正 花雅美 秀理

 

 

 

 

 

 

 


◎二刀流の真髄/宮本武蔵:下-1

2012年01月25日 11時13分41秒 | ■人物小論

 一命を捨てる時は、道具(刀や槍)を残さず役に立てる

 武蔵は「地の巻」の中で、次のように語っている――。

 

 一流の道、初心のものにおいて、太刀・刀両手に持ちて道を仕習ふ事、実の所也。道具を役に立てず、腰に納めて死すること、本位にあるべからず

 

 「道具」とは、刀、鑓(槍)、長刀(なぎなた)、弓等すべての武具をさしている。武蔵が「生きた時代」(1584~1645)を考えるとき、以上のことは自ずから納得できる。織田信長の死は、武蔵が生まれる2年前の1582年(武蔵がこの年に生まれたとする説あり)。

 武蔵が父・新免無二とともに黒田如水(東軍)に従って参戦した「関ヶ原の戦い」は1600年。ご承知のように、この戦いは実質一日でケリがついたものの、この戦いに至るまでの不穏な情勢やその後の動きは、依然、戦国争乱の雰囲気を保ち続けていた。

 また「大坂の役」(「大坂冬の陣(1614年)」、「夏の陣(1615年)」)には、水野勝成の客将として徳川方に参陣している。さらに後年、「島原の乱」(1635年)においては、鎮圧側(幕府側)の中津城主・小笠原長次の後見として出陣した。 

            

 そのような時代であればこそ、「武士」としての本分と家名のため、そして何よりも主君のために、「武士として持てるすべのもの」を駆使して闘わなければならなかった

 『葉隠』のように、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」など、「死」を美的な本義とする考えなど、武蔵には到底容認できないものだった。

 「一人でも多くの敵を切り捨てること」こそ武士の本分であり、まさしく「武士の一分」でもあったのだ。そのため、「負け戦」と断じての「自害」など、無論、寸分も思惟の及ばない世界ということになる。

 つまり「武蔵の剣」は、とかく「形式美」に流れがちな後世の多くの剣術流派と異なる。それは、ただひたすら「切る斬る)」すなわち「勝つ」ための闘い方であり、いかにして「負けない」すなわち「命を落とさないため」の用法に徹したかが判る。

 武蔵にとって、「武士」とは腰に「大小二刀」すなわち「太刀(大刀)」と「小刀(脇差)」を帯び、一命を捨てるときには、武器を残さず役に立てるべき存在である。

 そのためにも、両手を最大限に使いきる必要があり、必然、「二刀流」が導き出された。

二刀流」なればこそ、前後左右の複数の敵とも戦いうるものであり、また手綱(たづな)を掴みながら、馬上から太刀を振り下ろすこともできる。ゆえに、普段より「両刀」(大刀と脇差)を自由自在に扱う訓練が不可欠だった。

     

           ☆

 

「二刀流」の攻撃・防御の強み

 

筆者は「剣道」や「剣」の心得はまったくない。しかし、子供の頃に「チャンバラ」の経験をお持ちの男性諸兄は、以下について容易に理解できるはずだ。

 

つまり、両手に「大・小二刀」を持って「中段」に構えた姿は、多くの敵を相手にする場合もっとも適している。

ことに二つの刀が、互いに角度180度を保っているとき、「大・小二刀」の先端から先端までを直径とする直線とその直線の軌跡たる円形の範囲は、容易に「敵の踏み込みを許さない範囲」と言える。 

 

しかも、「大・小二刀」が示す「角度」は、いつでも容易に180度から135度、そして90度と変幻自在に変えることができる。

 

それは、「両手」で「大刀一刀」を握りしめた場合と比べるとき、その「防御の範囲」が格段に広いことが判る。と同時に、「次の攻撃体勢」へ移るための「動作」のバリエーションにしても、「両手一刀」に比べて遥かに複雑であり、それだけ相手に読みとられにくいことが判る。

もっともこれはあくまでも筆者の個人的な「理論」でしかないのだが……。

 

確かに、「両手」で「大刀」を握り、「上段」に構えた姿はもっとも攻撃的かもしれない。だがこの構えは「下段」と「中段」に大きな「隙」を作ることにもなる。

もっとも、一見「隙」と見えるこの構えこそ、相手方を打つ気に誘う方法と言われるものではあるが。

 

武蔵の「二刀流」は、「一対一」の闘い(だけ)を想定したものではなく、「一対複数」というきわめて「戦場実戦的」な闘い方であったことがわかる。

 

しかもその真髄は、「斬られないような防御体勢のうちに、いかにして斬りつける機会をうかがうか」というものであった。

このように、「合理主義的な実戦論」であればこそ、欧米ことに米国などの経営者達に、根強い人気があるのかもしれない。 
  

 

★ ◎2020年12月4日 午前 加筆修正 花雅美 秀理


・元始に神天地を創造りたまへり

2012年01月01日 12時16分46秒 | ◇聖書・キリスト教

 

 『元始(はじめ)に神天地を創造(つくり)たまへり。地は定形(かたち)なく、むなしくして、黒暗淵(やみわだ)の面(おもて)にあり、神の霊水の面(おもて)を覆(おお)ひたりき。神「光あれ」と言たまひければ光ありき。神光を善しと観たまへり。神光と暗(やみ)を分かちたまへり。神光を昼と名づけ、暗(やみ)を夜と名づけたまへり。夕(ゆう)あり朝(あさ)ありき。これ首(はじめ)の日なり。』 [日本聖書協会編:1971]

       ★

 『旧約聖書』の「創世記」冒頭の一節です。ご存じの方もいらっしゃることでしょう。この箇所は、神の「七日間」の「天地創造」の「業」の「第一目」を語ったものです。映画『天地創造』の冒頭にも描かれているように、「創造主」たる「」の存在と「その業」とが、これほど見事に表現された箇所はそう多くはありません。

 それにしても、この「文語体」の表現――。心地よく格調高いものであり、個人的にも大好きです。ちなみにこの「日本聖書協会」編の「聖書」は、大学4年生のときに或る方にいただいたものです。私は高校がプロテスタント系の「ミッションスクール」であったため、無論、自分専用の「聖書」は持っていました。しかし、大学入学の上京の際に、福岡の実家に置いて来ました。

 それでも贈呈されたこの「聖書」は、40数年経った今日も持ち続けています。大学時代からの書籍・雑誌の中で今でも手元に残っているものは、岩波文庫や新書本を除けば、わずかに10数冊でしょうか。数少ない「愛読書」の一つです。

 ところで最近の「聖書」は、どの宗派のものもそのほとんどが「口語体」です。これはこれで悪くはないのですが、「文語体」に刻まれた独特の言葉のリズムや響き、そして語調に流れる余韻や余情はとうてい「口語体」の比ではありません。

 せっかくですから、以下に冒頭と同じ一節の「英文」(ジェームズ王訳米国版)をご紹介しましょう。難しくはありません。冒頭一節の「対訳」としてごらんください。これもまたリズミカルであり、心地よい響きとイマジネーション、そしてクリエイティビティを感じさせるものです。

 ★

1 In the beginning God created the heaven and the earth. 
2 And the earth was without form, and void; and darkness was upon the face of the deep. And the Spirit of God moved upon the face of the waters.
3 And God said, Let there be light: and there was light. 4And God saw the light, that it was good: and God divided the light from the darkness. 5And God called the light Day, and the darkness he called Night. And the evening and the morning were the first day.【King James Version, American Edition:KJVAE】
 
    ★

 さて、もう一度冒頭の「一節」をごらんください。「創造主(=)」は、まず≪定形のない地≫と≪黒暗淵(やみわだ)≫と≪≫を創造されたことが判ります。混沌とした深淵の中に、暗黒の大宇宙空間が果てしなく広がりゆくのでしょう。その一方、大地の元ともいえる地上らしきものの存在が確認されます。「形も色彩も定まることのない沈黙の宙空」の中に……。

 そこで「神」は≪光あれ!≫と、自らのさらなる強い「創造の意思」を継続します。私はこの「くだり」に接するたびに、「神」の「イマジネーション」や「クリエイティビティ」の力強さを感じるとともに、「創造力」の無限大のエネルギーを痛感させられます。この部分をゆっくり一字一字拾いながら読み進むとき、自分の中にも力が充ち溢れて来るような気がしてなりません。人間の「イマジネーション」の深化の可能性に、ささやかな歓びを感じる瞬間です。

 それにしても、「人間智」と「時空」を遥かに超えた宙空世界の「イマジネーション」と「クリエイティビティ」――。その広がりと深さに圧倒されるばかりです。

 

               ★★★ 業……… ★★★   

 ――ほんとに素晴らしいわ。あなたがおっしゃるように、一語一語、じっくり噛みしめながらイメージを膨らませて行くのね。そうすると無限の宇宙が深く静かに果てしなく広がって……ああ、ほんと。見えるようだわ。

 でも、あたくし…… 「創造主」でいらっしゃる「神様」にひとこと申し上げたいことがあるの。あたくしのとっても「身近な方」のことで……。

 その方って、あれこれイメージしていろいろなものを作ってくださるの。ほんとにありがたいわ。お料理だって、ちょっとした大工仕事だって、とっても器用な方なの。

 だから……とにかく、何事も最後まで「中途半端」になさらず、まずは「完成」させてくださいますようにってお祈りしたいの。

 ……それにもうひとつ。その「創造の業」が終わった後は、きちんと「あと片づけ」という「」にも徹していただきますようにって……。

        ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 

 新しき年、2012年のはじまりに際して。

 本年も「本ブログ」をよろしくご愛顧のほどお願いいたします。

 各位のご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 花雅美 秀理