武蔵、十三歳の初勝負
武蔵自身の言葉(地の巻)による初めての「勝負」は13歳のときだった。有馬喜兵衛という兵法者に打ち勝ったとあり、16歳で但馬国秋山という兵法者に勝ち、21歳で京の都に上っている。
京都においては、吉川英治原作でも知られているように、有名な「吉岡一門」の清十郎、伝七郎、又七郎等と闘い、「一乗寺の決闘」では、その門弟数十人と闘っている。その後、諸国を巡って各地の兵法者と行き会ったようだ。
結局、彼は生涯に六十余たびもの勝負をし、一度も敗れることはなかったことになる。
この六十余たびの勝負は、いずれも13歳から29歳までの間のもの。そのため、29歳とされる佐々木小次郎との「巌流島の決闘」は、最後に近いと想われる。
だが残念なことに、武蔵はそのことを明言していない。それどころか、この「決闘そのもの」についても触れてはいない。何とも不可解な話だ。
ともあれ、「最後の勝負」から三十余年。武蔵は実際に真剣を交えての勝負をしなかったようだが、試合形式のものは何度か行っている。つまり「剣の技」を磨くことは、ひとときも怠たることはなかった。『五輪書』や『兵法三十五箇条』にも、その姿勢がうかがえる。
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ストイシズムの極致
れんぼ(恋慕)の道、思ひよるこころなし。
この一箇条は、死の七日前に書かれた二十一箇条から成る『独行道(どっこうどう)』に出て来る。何ものにも囚われまいとする武蔵の哲学は、こと恋愛についても剣には不要のもの、いや障害になるものとして否定している。
『独行道』にはその他にも、随所に以下のような文言が見える――。
……いずれの道にも、別れを悲しまず。
……身の楽しみをたくまず。
……一生の間、欲心思わず。
……物毎にすき(数奇)好むことなし。
いわば、究極の「ストイシズム」と言ってよいのかもしれない。
そのような「実像の武蔵」が、NHK大河ドラマの『武蔵 MUSASHI』において、巌流島の決闘の後、「お通と所帯を持って剣から離れた」となっていた。
いかに「ドラマ」とはいえ、真正「武蔵フアン」としては容認しがたいことだ。
そもそも、吉川英治原作における「お通」なる登場人物は、あくまでも吉川氏の創作によるものであり、原作では武蔵といくたびもの「すれ違い」を演じている。
いわば、日本的「メロドラマ」の原型と言えるのかもしれない。「お通」はまさに、この「すれ違いの悲劇のヒロイン」として、国民的な支持を得たのだった。
剣一筋に生きる「武蔵」の心の底に「お通」があり、その「お通」の視線の彼方に「武蔵」がいた……というのが吉川英治の「武蔵」と「お通」のイメージだった。
読者はそこに、淑たる「お通」の清麗な「恋心」に惹かれるとともに、その視線に見守られた武蔵の孤独さと、一途な剣への思いをいっそう強く感じさせられたのであろう。
それはまた日々失われて行く、「日本の男女の原風景」とも言うべき、「淡く切ない恋の郷愁」に通じるものではなかっただろうか。
なお『独行道』は、次の一条で結ばれている。
常に兵法の道を離れず。 (了)
★★★ 超○○系?! ★★★
――あたくし、想うの。いくら剣一筋の武蔵さんでも、好きな女性の一人や二人いらしたのでは?
そう考える方が自然だと想いません? だから……
れんぼ(恋慕)の道、思ひよるこころなし。
……なんて、ああ、やだ、やだ。それは確かに、「恋慕の心」など持たなかったとおっしゃったかもしれないわ。
……でも、だからといって、それは武蔵さんの「実際の恋愛経験」を否定するものではないと思うの。
あたくし、何となく感じるわ。ひょっとしたら武蔵さんって、哀しい「片思い」や身を引き裂かれるような「悲恋」を体験した方ではないかって。
それとも、彼って……言って、いいかしら?
……超草食系……?!
★ ◎2020年12月4日 午前 加筆修正 花雅美 秀理