5.『女の一生』
平淑江(文学座)さんの“持ち役”
日本の演劇界を永くリードして来た劇団『文学座』――。無論、今日においてもその地位は不動と言える。今回、ひょんなことから「会員チケット」が筆者に廻って来た。
この『女の一生』のヒロインは、故杉村春子さんの “持ち役” だった。現在は、平淑江(たいらよしえ)さんが演じている。さすがにプロの役者陣であり、演出だ。「音響効果」や「照明」も申し分ない。むしろ「台詞」の “声の音量” はもう少しあったらと思ったほど。だが、ゆっくりした舞台進行のため、しっかり把握することができた。
少し “声を荒げた” 場面が二度ほどあったろうか。無論、無理も無駄もない “的確で効果的な声” であり、“言葉” だった。つまり、それだけ “自然体の会話” に近い「台詞回し」ということになる。そのため「観客」は、「舞台上の登場人物」と同じ気持ちで 、“舞台が物語る時代状況や人間関係の変化” に、抵抗なく入って行けたようだ。
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“をんな” を演じ分ける “声” と “所作”
この「舞台」が表現しようとした “時代” ――。それは、明治38(1905)年正月から、明治42年春、大正4(1915)年夏の夜、昭和3(1928)年仲秋の午後、そして昭和20年(1945)2月の節分、さらに終戦後の同年10月の夜へと進んで行く。つまり「ヒロイン」は、「40年余」の人生を舞台上で生きたことになる。
“さすが” と思ったのは、主演の「平淑恵」さんの “声” だった。「堤家」に拾われた際のヒロイン〈娘・布引けい〉は、年齢的には「二十歳前後」だったのだろう。現在、平さんはちょうど「還暦」を迎えたばかり(1954年10月生まれ)。
その「彼女」が演じた〈娘・けい〉の何とも “愛らしい” こと。特にその “弾んだ声の初々しさ” に驚いた。「別の若い女優」が演じているのかと思ったほどだ。とても還暦とは思えなかった。まさに、“役者の声は、舞台における最高の音楽” の優れたお手本と言える。
しかし、もっと驚いたことがある。それは、ヒロイン〈けい〉が結婚して〈堤けい〉となり、“舞台の時代” が進む中で、平さんが見事にその “年相応の変容” を表現したからだ。
それは、無論 “声” だけではなかった。着物の着こなしから、歩き方、座り方、湯茶の接遇、手や指先の仕草にいたる一連の “所作” によって、 “女としての慎み深さ” や “巧みに歳を重ねた雰囲気” を演じ切っていた。何と言っても、洗練された着物の “着こなし” に強く惹かれた。
その中で、確実に “娘” から “妻” そして “母”、さらに “「家」を守るために、実業に精を出さざるをえなかった女” へと変貌を遂げていた。最後は、秘かに想いを寄せていた夫の弟と、敗戦後の焼跡の中で再会する。
座敷の様子や衣装の変化に加え、そのときどきの “歳を重ねた” 〈けい〉という “女” を、平さんは、その「声」や「所作」によって巧みに演じ分けていた。代表的劇団のベテラン役者と言ってしまえばそれまでだが、凄いの一語に尽きる。
筆者の「座席」が、一般的な「学生演劇」のように、役者の眼や口元の表情が見えるほど近ければ、 “その一瞬、一瞬” をもっと鮮やかに感じ取れただろうに。……それにしても、恐れいりました。
今回の「福岡公演」の実現には、平淑江主演の『女の一生』を観たいという、福岡の「演劇ファン」が働きかけたというのも頷ける。筆者も、彼女が出演していた時代劇シリーズは観ていた。昔も今も優れた「映画」や「テレビ」は、名優と言われる「舞台役者」が支えている。
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筆者はこの十年ほど、平淑江さんが出演した映画やTVドラマは観ていない。それなのに、こうして原稿を綴っている今も、その “声” が甦って来る。気品のある清澄な声であり、芯のある強さの響きの中にも、独特の “をんな” の甘さや柔らかさを持っている。
JAZZ調で、「As time goes by(時の過ぎゆくままに)」や「Fascination(魅惑のワルツ)」を歌ってくれたら……と、つい余計なことが頭をよぎった。
彼女の出演する「映画」や「TVドラマ」を、急に観たいと思った。
6.『天使は瞳を閉じて』
今回「8人」もの〈天使〉役を揃え、見応えのある「天使」集団の楽しさを見事に演じ切っていた。たった一人の男子の〈子天使〉を除けば、あとは「加藤真梨」嬢の〈天使1〉と「瀬戸愛乃」嬢の〈天使2〉に、5人の〈女の子天使〉。
白い衣装に髪飾りの「花冠」が、彼女達の “キュートな仕草や動き” と相まって、品位を湛えた、しかも “ほのかなおんな” を感じさせる素敵な「天使」を創り出していた。
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音響は、ときに役者の “言葉や声” の魅力を」奪う
だが惜しいことに、“音響” に課題が残った。“不用意な音楽・足音・叫び声” が気になった。最大の難点は、全般的に “音量(ボリューム)” が大きすぎたことにある。
中でも、開演前の「バスドラム」の効いた音楽は、明らかに “耳障り” だった。しかもそれが「日本語の歌詞入り」ときては、いっそうその思いを強くした。これから “舞台演劇の最高の音楽” とも言える “役者の声(台詞)” が始まると言うのに……。
そのため、“どのような愛らしい天使が出て来るのだろうか” といった “ワクワクドキドキ感” を一瞬にして奪ってしまった。
「天使」達が登場した後も、“耳障りな音響(音楽・音量)” に加え、 “足音や階段の昇降音” が気になって仕方がなかった。 「天使」本来の “キュートな動きや仕草” の魅力を半減させたことは否めない。
同部の「卒業公演」の『わが星』も、「文化祭」の『奇妙旅行』も、いずれも素晴らしい「舞台」だった。しかし、やはりこの “音響” 問題が、せっかくの感動を減殺したように思えてならない。
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それはともかく、今回の印象深い「役者」としては、まず前述の「加藤」嬢と「瀬戸」嬢の二人。
その他には、〈マスター〉役の「荻迫由依」嬢が強く印象に残った。地味な役ながら、口調が穏やかでゆっくりした台詞回しのため、言葉がクリアだった。そのためとても聴きやすく、好感度の高い説得力のある「シーン」を創り出していた。
「元天使」という「役回り」も幸いしたのかもしれない。また、彼女の台詞のときには、不要な音がなかったような気もする。
ともあれ、“大きな声で叫ぶように早口” で喋るよりも、“普通の声で静かにゆっくり” 喋る方が、時間が経過すればするほど、印象深く残るものだ。
同部の、これからの研鑚と感動的な舞台の創造に期待したい。さしあたっては、「卒業公演」ということになるのだろうか。万難を排して観に行きたい。
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「ミュージカル」や「音楽劇」ではない普通の「舞台」において、「音楽」や「音量(ボリューム)」は、ただひとえに「役者」を活かすために存在する。それらは、「役者の台詞回し」を、すなわち「役者」の “言葉や声” を魅力的かつ効果的にするための補助手段にすぎない。
逆な言い方をするなら、「役者」の “演技” や “台詞回し” の魅力を損なうものは、総て排除しなければならない。
「舞台」から「音楽」や「効果音」を取り去っても、さらには「舞台美術」や「小道具」や「衣装」や「照明」を取り去っても、「役者」が存在する限り「舞台」は成立する。
……「舞台演劇」における “絶対不変の原理” とも言えるこの意味を、演劇に携わる人々とともに、今ここで再確認したいと思う。
7.『ゆめゆめこのじ』
この「舞台」については、年が明けてから論じてみたい。
期待に違わず、素晴らしい「舞台」だった。“総てにおいて行き届いて” おり、 “無理や無駄の限りなく少ない、安定した舞台美術・衣装・照明・効果音響” だった。いつもながら、「西南学院大学演劇部」ならではの “繊細な感性にもとづく「部」としての総合力” を堪能させてもらった。
それが結果として、役者個々の “能力と魅力を最高度に引き出した” ……そういう「舞台」だった。
何はともあれ、この「舞台」は今年「2014年」の筆者の “観劇納め” に相応しいものだった。(了)