勘太郎爺奮闘記

滞在合計26ケ国、21年の海外生活が終りました
振り返りながら 日々の生活も綴ります

1989年中国の旅 その2

2017-12-11 | 建物・風景

1989年4月の建国門外大街(天安門広場に向かう通り)は、上記写真のように、まだ平穏だった。

武漢から北京に戻って来た時は、5月中旬で、会社からは天安門広場には近づくなとお達しが出ていた。

 

幸い、北京郊外はまだ観光ができる状態だったので、朝早く、タクシーを借り切って、「明の十三陵」と「万里の長城」に出かけてみた。

 

西北郊外へ50km、天寿山麓にひらける盆地に、明朝の13人の皇帝の墳墓、建築群の明の十三陵がある。

とりわけ、16世紀から17世紀に渡り統治した第14代万暦帝と2人の皇后が眠る定陵は,1957年に計画的に発掘された。

万暦帝は10歳で即位し、明代における在位期間が最長の皇帝である。48年の長きに及んだが、贅を尽くし財をむさぼった、歴史上に名を残す暗愚の君主であったと言われている。

21歳の時から自分の墓つくりに熱中し、6年の歳月と国家財政の2年分の銀を費やし完成したと言われている。陵内は地下20mと深く、真っ白に磨かれた巨石造りで、天井も高く壮麗な地下宮殿です。この壮麗な地下宮殿・墓室は参観でき、出土した数々の遺物も付属の定陵博物館に展示されている。

 

 

 

定陵の陵碑(万暦帝の廟号・神宗の字が見られる)・定陵の明楼

 

 

 

定陵・地下宮殿:大理石の王座の前の大甕は灯明用の油が入れられていたとか。

 

 

北京郊外の見所としては八達嶺にある、秦の始皇帝の遺跡として有名な万里の長城があります。

ここが、今日、万里の長城の遺構では最もよく残っている所とされている。

八達嶺は北京から北西へ約80kmの所に位置する。この付近の長城は明代に修復されており、高さ8m、幅6mのがっしりした煉瓦造りです。数百mおきに烽火台、守備兵の詰め所、火薬等貯蔵用の望楼が配置されています。

 

 

万里の長城(八達嶺)

 

参考: 万里の長城(八達嶺)、定陵の衛星写真がGOOGLE MAPSで見れます

八達嶺:Pointer  40°21'17.55", 116° 0'24.79"

 

定陵:Pointer  40°17'28.54", 116°12'43.26"

 

 

 

 

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