電気通信視察団の数奇な経験談 その7 モロッコ編(2)
関東電友会名誉顧問 桑原 守二
[モロッコという国]
出発前、外務省中近東アフリカ局を訪問してモロッコでの行程を説明したとき、フェリーで入国した後すべて陸路で3都市を訪問すると言うと、重家局長はやや驚かれた風であった。3年ほど前に高速道路が開通し所要時間は半分以下に縮まったとはいえ、タンジールから首都ラバトまで3時間半、ラバトからカサブランカまでは途中衛星地上局に立ち寄って4時間、カサブランカからマラケッシュまで往復7時間とバスの旅が続き、団員達に疲労の色が見られた。しかし、アフリカ大陸は勿論、イスラムの世界も始めてという団員が多く、公式行事の合間に挟まれた観光に好奇心を十分満足させたようだ。
ラバトの町並みの美しさは、これがアフリカとは信じ難いようであった。特に、新市街はフランス保護領であった時代に都市計画が作られ、縦横に走る広い道路にはアベニューとかブルバールなどの名前が付されている(これはカサブランカやマラケッシュでも同様であった)。日本大使館も立派で、60人の視察団を収容できる部屋があった。
そこで佐藤駐モロッコ大使からの講演を頂いた。以下は大使から伺った話である。
「モロッコの国土面積は日本の1.2倍だが人口は2800万である。住民は65%がベルベル人、30%がアラブ人で、その他にユダヤ人が推定5000人居る。立憲君主国で、国王は政教の長である。国王は国民の尊敬を集め、また軍も国王に忠誠を誓っているのが国を安定にしている。国民の99%はイスラム教徒である。
邦人観光客は、2000年には2万4000千人となり、10年前の2倍に増えたが、全観光客250万の1%に満たない。フランス人が圧倒的に多く、ドイツ、イタリア、スペインなどがそれに続き、アメリカ人は日本人を若干上回る程度である。
インシュアラという言葉は自分の意思に欠け、責任感がないようなニュアンスを与える。ハッサムⅡ世の葬儀に高円宮が参列した際にも、宿舎が決まるまでに一晩かかった。ビジネスをするのにもイライラするであろうが、余裕を持って対応することが必要だ。今回の視察を機に、日本企業もモロッコに対しての関心を高めて欲しい。」
65%がベルベル人だと聞いて驚いた。イスラム即アラブ人と言えないのはトルコ、マレーシア等を訪問して承知をしていたが、ベルベル人とは聞いたことがない。大使は「北西アフリカの白人系先住民です」と注釈を付けてくれた。
帰国後に百科事典で調べると、「おもにモロッコからアルジェリアに住み、ローマ人が土着民をバルバルス(野蛮人)と呼んだのに由来するといわれる。ハム語族に属するベルベル語を話す人間を意味する」とある。モロッコで同行したガイドは「ベルベル人はアラブ人より色が白い。私の父はアラブ人、母はベルベル人です」と言っていた。
ラバトの日本大使館の前で 左より足立邦彦氏、佐藤大使、筆者、辻明氏