あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
関連アイテムや書籍の読書記録も紹介中

東舞鶴湾

2007-09-04 23:46:04 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
心斎橋そごうで開店した「三省堂書店」さんへ行って来ました。以前も記しましたが、大阪にはなかったのですよ。
私の中では、「三省堂=加納さんと根来さん→<合田シリーズ>」という乱暴な図式が出来上がっていますので、ちょっとした疑似体験が味わえるのが、嬉しいのです。

雑誌コーナーで 「AERA」(2007年9月10日号) の高村薫さんのエッセイ連載「平成雑記帳」を立ち読み。今回のテーマは株式や為替にまつわるお金の話。「財テク」の単語に、懐かしいなあ・・・なんて思ったりして。その頃は学生だったので、そのものに縁はありませんでしたが。

そして忘れちゃいけない、文芸誌の売場も確認。「新潮」2007年9月号(つまり8月に発売されたもの)が、3冊(!)もありましたよ。未購入の方、買っておきましょうか?(笑)

***

日本推理作家協会編 『マイ・ベスト・ミステリー3』 (文春文庫)が発売されましたが、立ち読みでもよろしいので、せめて新保博久さんの作者紹介だけでもお読み下さいませ。日本推理作家協会・編 『推理作家になりたくて  マイベストミステリー 第三巻』 (文藝春秋)の作者紹介に加筆されていまして、

    『太陽を曳く馬』で合田を本格的に復活させている。

の一文に、「きゃ~ん♪」と(口の形と心の中で)叫んだのは私だけではないはず。
いや、一年も前から復活しているのは、もちろん分かっていますけどね。でも、改めて活字にされた形で見ると、何だか嬉しいじゃありません?
(ついでというのも失礼だけど、続けて「加納さんも復活してるのよ~」と心中で叫んだのも私だけではなかろう)

***

さて、地どりですが。
「東舞鶴湾」は、あちこちの場所で撮影したので、まとめてアップ。



引揚記念公園から撮影した、「舞鶴クレインブリッジ」。







上記2枚も、引揚記念公園から撮影。




赤れんが博物館から赤れんが倉庫群へ向かう時に撮影したもの。海上自衛隊の船二隻。メンテナンス中?

撮影し忘れたのですが、この辺りには小型船やクルーザーがたくさん浮かんでいました。

「いりーな号って、どれくらいの大きさかなあ?」

と船を眺めながら、ああでもない、こうでもないと意見を交わす私たち。




まもなく東舞鶴港の侘しい灯火が見えてくる。  (旧版『神の火』p323、新版『神の火』(下巻) 文庫p292)

これは次に向かう五老岳の展望台から撮影した、東舞鶴湾全景。それでも入りきれていませんね。


以上から推測すると、『黄金を抱いて翔べ』で、北川兄、野田っち、並びに瀕死の幸田さんを乗せた船は、「西舞鶴湾」から出港したのではないでしょうか。
「東舞鶴湾」は、海上自衛隊の存在が大きく、監視の目も光っていますからね。見逃すはずがない。
地図と実際の場所を見ずに「(幸田さんたちを乗せた船を)見逃してくれてありがとう」・・・などという、無知で不遜なことを以前、記したことがありますが、「ごめんなさい」と謝ります。


赤れんが博物館、赤れんが倉庫群

2007-09-02 23:58:21 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典



続いては、私のわがままで赤れんが博物館へ。「れんが」をテーマにした、世界で唯一の博物館。なかなか見応えあり、面白かったです。
記録が残るという意味では、墨で書かれたものが後代に最も残っているものですが、建造物では、れんがが残るものなのですね~。世界四大文明の全てで、れんがが出土されているのですから。(展示されてありました)




展示物は赤れんがにまつわるものばかり。ですが、その中でも高村作品に関連があるものもありましたよ。
加納さんの前の職場、旧法務省の赤れんがの建物の写真もありましたし、『リヴィエラを撃て』にも登場するキングスクロス駅やスコットランドヤードの写真もあり、色めき立ちました(笑) そうか、これらの建物も赤れんがが使用されているのか~!

赤れんが博物館から約5分くらいの距離で、赤れんが倉庫群に辿り着きます。




北吸という地区で旧海軍のレンガ倉庫を見て歩き、  (『李歐』 文庫p212)




私も一彰のようにうろうろと歩きました。
現在もこの赤れんが倉庫の何棟かは、博物館や企業の倉庫としても使用されています。




この赤れんが倉庫群は、映画のロケでも使用されているそうです。ここ数年の有名どころでは、「バルトの楽園」 「男たちの大和/YAMATO」があるそうです。







こちらは自衛隊に関係しているためか、立ち入り禁止区域に。残念ながら、フェンス越しからの撮影。一番奥の蔦が絡んでいる赤れんがの建物の雰囲気がいいのになあ~。


参考HP   赤れんが博物館  赤れんが博物館/京都府舞鶴市  舞鶴市立赤れんが博物館  北吸赤煉瓦建造物群


北吸地区

2007-09-02 23:16:39 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
お昼ごはんはタクシーの運転手さん並びにタクシー会社の方に調べていただいて、「東舞鶴で肉じゃがが食べられるお店」に連れて行ってもらいました。お盆なので、お店が営業しているかどうかが私たちでは分からなかったので、助かりました♪
舞鶴は「肉じゃが発祥の地」なのですよ。
三人で肉じゃがを分け、私は親子丼をいただきました。ええ、今度は正真正銘の鶏肉と卵の親子丼ですよ、合田さん。

食後、お店の従業員さんに「現在位置」を尋ねて(それが分からないと、どこへ向かって歩けばいいのかも分からない!)、次の地どり場所へ向かいます。
そのお店から東舞鶴の商店街を10分以上歩いたところに、目的地はありました。




ただ、真っ直ぐに漕ぎ続けていくと、数分で市内を通り抜けてしまい、市の西の外れの北吸地区に出てしまった。  (新版『神の火』(下巻) 文庫p292)

その北吸地区の象徴、「北吸トンネル」です。
なかなか良い雰囲気、レトロな風情がよろしいですね。




通り抜けて約10メートルのところで、振り返って撮影。




真ん中辺りを過ぎたところを、同じく振り返って撮影。




通り抜けました。




トンネルの上部は竹林。
トンネルは、徒歩はもちろん自転車でも通れます。写真の人影は、自転車を漕いでいたおっちゃん。きっと島田先生も・・・。


舞鶴引揚記念館、引揚記念公園

2007-09-01 00:00:06 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典



午後いっぱいは引揚記念館で展示写真を一枚一枚見て過ごした。  (『李歐』p212)

東舞鶴駅からはタクシーで、舞鶴引揚記念館へ向かいました。終戦記念日の一日前ということでもないでしょうけれど、たくさんの人が見学されておりました。




下調べをしている時は気づかなかったのですが、一彰が見学に訪れた1970年代には、「引揚記念館」は完成されておりません。1988年(昭和63年)なんですよ。「引揚記念公園」は、1970年(昭和45年)に設けられています。
でもね・・・。

また、自分の母や守山耕三が、自分の年頃に見ていた時代の風景はこんなものだったのかという漠然とした感慨もあった。  (『李歐』p212)

という文章から、得るものも大きいと思いました。これは、ぜひ見るべきだと思います。
個人的には、江口彰彦さんのルーツのヒントになるべきようなことも、ここにあるのではないかと感じました。




一彰は、記念館の外の公園で、二枚五百円の怪しげな触れ込みの写真屋に記念写真を撮ってもらった。  (『李歐』p212)

「引揚記念公園」。残念ながら(?)、そういう人はおりませんでした。ちょっと小高い丘を登ると、そこにいたのは、建築工事か補修工事をしているおっちゃんたちばかり。ちょうどお昼時で休憩中だったらしくて、写真撮影するのに気を遣いました。




このようなモニュメントがあちこちにありました。丘へ続く道の両端にも、記念植樹がたくさんありました。



参考HP   引揚記念館/京都府舞鶴市   舞鶴引揚記念館  引揚記念公園も見ることが出来ます。


西舞鶴駅

2007-08-31 23:27:12 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

その足で西舞鶴駅へ行き、京都行きの列車に乗って、大阪へ戻ったのは正午だった。
 (『李歐』p213)

地どり第三日目。
この日からみなわさんが参加されました。ホテルのロビーで待ち合わせて、西舞鶴駅から東舞鶴駅へと向かいます。

一彰や、島田先生たちが見た「西舞鶴駅」は、こんな駅ではなかったと思います(苦笑) 想像ですが、もっとひなびた感じの、それでいて味わいのある駅だったのでは?
現在の「西舞鶴駅」は役所関連の施設もある、複合施設にもなっているようです。確かに駅にいろんな施設があれば、便利ではありますね。


宮津駅

2007-08-30 23:24:06 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
天橋立駅と同じく、小説には出ていませんけどね。






天橋立方面へ向かう電車。




この方向、私たちは西舞鶴駅へ戻ります。

地どり第二日目、これにて終了。
この日が移動距離も歩いた距離も、最も多い日になりました。minoringさん並びに私、お疲れ様でした。

明日から地どり第三日目に入ります。お待たせしました。


木村商会ご一行が宿泊した旅館

2007-08-30 23:14:26 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
なんちゅータイトルだ(苦笑)
旅館の正式名が出ていませんので、悩んだ末にこのようにしました。

目指す旅館は、その島崎公園のすぐそばだった。  (新版『神の火』(下巻) 文庫p128)

ということですので、すぐに調べはつきました。実際は、辿り着くのにちょっと迷いそうになりましたが(苦笑)




着いてみると、数奇屋造りの構えに何となく見覚えがあり、昔、何度か父母と一緒に来たことがあると思い出した。 (中略) 広い玄関の三和土に立つと、挨拶に出てきた老女将がいったん下げた頭を上げて、「ほんに歳のせいでちょっと目が……」と言いつつ眼鏡をずらした。それからぽんと手を叩いて「島田のだんはんの息子さん……!」と言った。
「はあ。島田の息子です。どうもお久しぶりで……」
 (新版『神の火』(下巻) 文庫p128)

玄関でのやりとりは、ここで行われたと思っていいでしょう。




木村の甥に当たる人物が、宮津で老舗旅館を持っていたからだった。  (中略)
気がつくと、玄関先で挨拶に出てきた老女将がふいと島田の顔を見ている。
「島田のだんはんとこの……」と女将は言いかけ、「島田はんとこのぼんやあらしませんか」
「はあ、島田の息子ですが……」
  (旧版『神の火』p251)

旧版では、木村社長の甥ごさん所有の旅館になっているのが、違うところですね。


私たちは「お食事をする」というのを目的にしたので、併設しているお食事専用のお店に予約を入れました。旅館で出されるお食事と同じコース内容ですので、手軽に楽しめますよ。
お食事は、普段は食べられないものばかり。島田先生も子供の頃から味わっているのかと思うと、嫉妬に似た憎しみを覚えてしまいますね(苦笑)
一品ごとに舌鼓を打ち、海の幸を堪能しました。
その中でも、特筆すべきはこれでしょう!!



夏の時期しか獲れない、味わえない岩牡蠣。どうです、この大きさ!
私は蒸してポン酢をかけたもの、minoringさんは生のままレモン汁をかけたものでいただきました。
厚みも噛み応えもあるしで、大満足♪ 知らず知らず目を閉じて、味わっておりました。
岩牡蠣は、舞鶴港とれとれセンターでは500円くらいで売っていましたよ。そういえば「若狭ガレイの一夜干し」も売ってましたなあ。てっきり冬のものだと思っていたのですが、季節を問わない食べ物なの?


この旅館のホームページはこちらになります。宮津へお越しの際は、ぜひお食事だけでも・・・。お食事と入浴がセットになった日帰りプランもあるそうです。(回し者じゃありません)
この日はとても暑かったので、そのプランでも良かったかな・・・と、ちょっとだけ後悔。汗を流したかった・・・。

お店を後にして、宮津駅へ向かいます。



三日後の16日に「宮津湾の灯籠流し」のお祭りがあるので、このようなものがありました。
撮影していませんが、島崎公園でもお祭りの準備をしている人たちがおりました。




宮津市内を流れる大手川にかかる橋「大手橋」・・・と記さないと分かりませんね。
都会の明るさに慣れた身としては、宮津は本当に暗かった。この提灯が、街灯のかわり?


宮津湾

2007-08-29 23:47:49 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典



じっと立っていることも出来ない、風と冷気だった。宮津漁港の明かりもちらちらと消え入りそうで、真っ暗な海には何もない。 (旧版『神の火』p253)

旧版にしかない、島田先生と川端さんが宮津湾を散策する場面。
これは夕方5時頃に撮影。



場所を変えて、夕方6時頃。同じ方面を撮影。雰囲気が一変しますね。




こちらは1枚目と同じく、夕方5時頃。天橋立、わかります?




2枚目とほぼ同じ場所から撮影。二人が散策したのは、こういうところかな?




もくもくと湧き、流れてきた雲。空と雲と海の明暗の絶妙な具合が何とも言えず、思わず撮影。

さて、お腹もすいてきました。今夜の夕食をいただきに、次の場所へと向かいます。


島崎公園

2007-08-28 23:41:13 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典



まず聖ヨハネ天主堂に立ち寄ってから、海辺の島崎公園に乗り着けると、灯籠で燃える海はすぐ目の前で、頭上は花火の業火だった。  (旧版『神の火』p251)

まず聖ヨハネ天主堂に立ち寄ってから、海辺の島崎公園に乗りつけると、灯籠の火を映す海はすぐ目の前で、その上に打ち上げ花火の火が降っていた。  (新版『神の火』(下巻) 文庫p128)


どんな公園かと思ったら、日本庭園! 実際の半分くらいのサイズに縮小された、宮津市内の橋も造られているそうです。
以下、ランダムに貼り付けます。














島田は川端さんを連れて、旅館のすぐ前の島崎公園に出、浜辺まで歩いた。  (旧版『神の火』p252)

これは旧版にしかない部分。新版では混浴に変わってました(苦笑)
これらの橋を渡って、宮津湾へ二人して連れ立って歩いたのかな? そんな想像をめぐらすと、風情があっていいんじゃないかなあ。・・・真冬だから大変寒かったろうとも思いますが(笑)


ところで、この赤と青のモニュメント、景観を乱している気がするのは、私だけ?



モニュメント「海燕」。中学生くらいの男の子が写生していました。夏休みの宿題だ、とminoringさんが彼から聞いたそうです。



単独で撮影したら、どうってことないんだけどな。日本庭園とはマッチしないなあ。

後で気づいたのですが、この日本庭園は「島崎公園の一部」・・・らしい。体育館や、その向こうの運動場も含めて「島崎公園」なんだとか。
・・・とすると、二人が通った島崎公園は、日本庭園ではない可能性もあるってこと? いやー、それは興ざめだな(苦笑) 日本庭園の方だと、信じたい。


聖ヨハネ天主堂 (カトリック宮津教会)

2007-08-27 23:55:14 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
午後3時20分頃、宮津駅に到着。(お盆のためか、発車時刻が遅れていたのです)

宮津。
同じ市内の観光地、天橋立とは電車で約五分の距離なのに、何なんでしょう、このひなびた雰囲気は。天橋立が「賑やか」ならば、宮津は「落ち着いた」と表現した方がよろしいでしょうか。

島田にとって馴染み深いのはすぐ隣の宮津の方だった。舞鶴よりはるかにさびれているが、しっとりとした町並みには、江戸時代に、丹後でも指折の瀟洒な花街であった風情が残っていて、小さいころ島田は父に連れられて、月に一回は贔屓のお茶屋に出入りした記憶があった。  (旧版『神の火』p251)

・・・子供をそんなところに連れて行くという島田パパの思考は、私には理解不能だ(苦笑)
新版では多少表現が変わってまして、

宮津の方はしごくしっとりとした町並みで、江戸時代に丹後でも指折りの花街を抱えていた風情が残っている。小さいころ島田は父に連れられて月一回は贔屓のお茶屋に出入りし、  (新版『神の火』(下巻) 文庫p127~128)

割愛しましたが、島田先生は旧版ではいたずらっ子、新版では良い子です(笑)

まずは最初の地どり場所、「聖ヨハネ天主堂」へ。正式名称は「カトリック宮津教会」。この「聖ヨハネ」は、イエス・キリストに洗礼を授けた「洗礼者ヨハネ」のこと。

宮津駅から徒歩で約10分。裏口へ辿り着いてしまいました(苦笑)



昭和三十年代の半ばごろには、まだ田舎では珍しかった父のフォルクスワーゲンで、まず聖ヨハネ天主堂に立ち寄ってから、  (旧版『神の火』p251)

駐車場がありますから、島田パパはここへ車を置いたのでしょうね。

昭和三十年代の半ば、まだ田舎では珍しかった父のベンツで、まず聖ヨハネ天主堂に立ち寄ってから、  (新版『神の火』(下巻) 文庫p128)

旧版→「フォルクスワーゲン」  新版→「ベンツ」
この違いはちょっとのようでいて、意外と大きいかもしれない!? 「昭和三十年代半ば」がポイントかなあ。車の歴史に詳しい方、ご存知ありませんか?




日本瓦によって、和洋折衷の雰囲気を増しますね。




角度を変えて。




裏門から入っていって・・・。




表側へ!




聖母子像。幼子イエスが十字架のポーズをとっているのが、すぐに分かりますね。




正門から真正面を撮影。
この後、教会内部を見学。ロープが張られていて、一定部分までしか踏み込めませんでした。
ビックリするのは、畳が一面に敷かれていること! 外部だけでなく、内部も和洋折衷なんですね。
さすがに現代人は畳の上に座るのが苦手か、簡易椅子がたくさん置いてありました。

今回も教会内部は撮影していませんが、こちらのサイトをご覧下さい。こちらもブロが撮影してますから、綺麗です。畳敷きとステンドグラスの不思議な取り合わせは、一見の価値あり。


天橋立駅

2007-08-27 23:00:51 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
毎週月曜日の(立ち読みの)お楽しみ、「AERA」(2007年9月3日号) の高村薫さんのエッセイ連載「平成雑記帳」を読んで、『晴子情歌』(新潮社)ではどんな描写だったんだろうか、と気になった。就寝前に確かめてみようか。

おおよそ、発売日より約10日~2週間前の出来事やつれづれを、綴った連載になっているようですね。

***

下山後、次は電車で宮津へ。発車時刻まで時間があったので、お土産を買った後、天橋立駅を撮影。
・・・作品には出てきませんけどね。まあ、いいではありませんか。



駅の外にあった、小式部内侍の歌碑。撮影している私のシルエットも映ってる(苦笑)








観光地ということもあってか、予想していたより大きな駅だったと思います。
そして電車に乗って約五分後、宮津駅へ到着。最初の地どり場所へ向かいます。


天橋立ビューランド

2007-08-26 23:07:47 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典



リフトで文珠山の展望遊園地に上がり、島田と川端さん親子はジェットコースターに乗り、堀田夫妻と木村はミニSLに乗った。 (旧版『神の火』p252)

リフトで文珠山の展望遊園地に上がった。島田は加奈子ちゃんを連れてジェットコースターに乗り、それからみんなでミニSLに乗り、木村が記念写真を撮った。 (新版『神の火』(下巻) 文庫p130)

昼食後、駅の裏手にある「天橋立ビューランド」の乗り場へ向かい、リフトに乗って頂上へ。リフトは一人で乗るには身長制限・年齢制限あるので、幼稚園児の加奈子ちゃんは川端さんの膝の上に乗ったものと思われます。それともモノレールで乗ったかな?




約6分間リフトに乗って、到着!



振り向けば、先ほど歩いてきた天橋立が美しく見えます。この眺めは龍が天に昇る姿に似ていることから「飛龍観」と称されているそうです。丹後半島まで見えていますね。
股覗き? それはしていません。本当は妙齢の女性が股覗きはしてはいけないそうです。昔は着物の人が多かったため、袖をちょっと開けて、脇から覗くのが女性の覗き方の作法(?)なのだとか。

時刻は午後2時。まったく良いお天気でしたが、とにかく暑かった~!
で、ジェットコースターとSLには乗ったのかって?




はい、乗りましたよ。それも一人でね! (minoringさん乗ってくれなかったの~)




私が乗った直後の「マッド・マウス」乗り場。最後の車両が、私の乗ったもの。この乗り物にも身長制限・年齢制限があるので、加奈子ちゃん、ホントは乗るのは無理なんじゃないのかなあ。




こちらは「SL弁慶号」。2周してくれました。
ま、念願の島田先生の乗った同じ乗り物に乗れたので、満足♪

下山もリフトを利用。天橋立が良く見えました。




参考HP 天橋立ビューランド


天橋立・その4

2007-08-26 21:02:21 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典



今まで歩いてきた道。



これから歩く道。松が一本倒れていますが、倒木保存の方針なのだそうです今までにも何本かあったのを見ました。
この撮影直後、車両通行禁止なのに、救急車が府中方面から走ってきて驚きました。ものの見事にこの倒木の下を通って行きましたよ。(この先に海水浴場があり、救急車が必要な事態が発生したようです)
さあ、先を急ぎましょう。「一般的な天橋立観光案内・パート3」です。




前回分と順番としては前後しますが、与謝蕪村の句碑。蕪村にちなんだ松もありましたが、痛々しかったです。






「橋立明神(天橋立神社)」。






日本百名水に選ばれた「磯清水」。周りが海水に囲まれているのに、真水が湧き出るということも珍しいのですが、飲んではいけないとの注意書きが。汗を流したくて手を洗ってみましたが、冷たさが気持ちいい。冬だったら「冷たい」としか感想がないだろうなあ。

そして橋立明神の近くに、なぜかこんなビックリするようなもの↓がありました。





どうみても大砲。旧日本海軍に関連したものらしいのですが、景観を損ねませんかねえ? それとも、これも歴史のひとコマ、記憶の風化を避けるためにと、受容しているのか。






「岩見重太郎 試し切りの石」と「岩見重太郎 仇討ちの場」。



「三人寄れば文殊の智恵」からその名がついた「智恵の松」。

約1時間半かけて、天橋立を踏破! 時刻もすでに1時を回っていました。

文殊堂に参拝してから、廻旋橋を渡って小天橋から大天橋へ渡り、天の橋立を散策した。 (旧版『神の火』p252)

文殊堂の参拝、廻旋橋から小天橋、大天橋と渡って天の橋立へ、というお決まりのコースだった。
 (新版『神の火』(下巻) 文庫p129)





「大天橋」。




「大天橋」から撮影した宮津湾。左端に海水浴場がありますね。
「大天橋」を渡ったところが「小天橋」。



「日本三景碑」。松島や宮島にも、同じようなものがあるのかな?




「昭和天皇行幸の御歌碑」。
「めずらしく 晴れわたりたる 朝なぎの 浦わにうかぶ 天の橋立」

そして「廻旋橋」へ。珍しく橋が回っている状態に遭遇することが出来ました! 収め切れなかったので、2枚に分けて撮影。





この状態の時に、船が行き来するのです。
橋が元に戻る状態も、動画で収めました。どなたか、見たいですか? DVD-Rに入れて、揚松明の動画と一緒にお送りしますけど。(その前にDVD-Rを買わないとアカンやん)


【追記】 某動画サイトに、廻旋橋の動画をアップしました。  こちらからご覧下さい。
投稿者名は適当につけましたが(笑)、間違いなく私です。画像の下の一番右端のボタンを押せば、拡大してみることが出来るようです。


廻旋橋を渡って、ようやく元の地点に戻りました。
おなかもぺこぺこ。名物のあさりがふんだんに入った「あさりうどん」を昼食に。あさりの良いお出汁が、かつおこんぶのうどんのお出汁とマッチしていて、美味しかった! うどん好きな合田さんにもオススメよん♪


天橋立・その3

2007-08-24 23:42:55 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

砂嘴の一声塚の辺りまで歩くと、川端さんが音海はどの辺かと訊く。島田は与謝ノ海の浜辺に立って、正面を指した。
 (旧版『神の火』p252)

と、旧版にしかない「一声塚」が上記の写真。
・・・実は、見逃してました(苦笑) だって非常に分かりにくい隠れた場所にひっそりとあったのと、この松↓に圧倒されたので。




「千貫松」。「これだけで千貫の価値がある」といわれる、太くて立派な幹。この松の反対側に、「一声塚」があります。




これは「一里塚」。阿蘇海と向こうに広がるのが与謝ノ海の町。最初はこれが「一声塚」だろうと思ったんですが、よく見たら違う。

「あれ? 一声塚はどこ?」

と散策マップを見直し、ちょっとだけ戻りました。

途中、川端さんが「音海というのはどの辺りです?」と尋ねたきた。そこはちょうど与謝ノ海の浜辺で、島田は浜辺の正面を指差した。 (新版『神の火』(下巻) 文庫p129)

えっと、実は方向は逆でした。「千貫松」のある方向が、島田先生が差した正しい方向です。

時化た灰色の海の正面には、二キロ先に栗田半島のなだらかな山が横たわっていた。「あの半島の向こうが栗田湾。それから、舞鶴湾が入り込んでいて、舞鶴の東に大浦半島。その隣に小さな内浦半島が突き出していて、音海はその先端です」
「ここから、どのくらい離れてます?」
「直線距離で二十キロ」
「遠いような近いような……」と、川端さんは首をすくめて微笑んだ。
 (旧版『神の火』p252)

と描写説明がある場所から撮った写真は、下記の通り。










時化た灰色の海の正面に、栗田半島の低い灰色の山塊が横たわっている。「あの半島の向こうが栗田湾。そこから舞鶴湾が入り組んでいて、その向こうに大浦半島があって、そのもう一つ向こうに小さい内浦半島が突き出してます。音海はその先端」
「ここから、どのくらい離れてるんですか」
「直線距離にして、二〇キロぐらいかな……」
「今は波が荒いんでしょうね」
「ええ。漁船も近づけません。もうすぐ岩場に波の花が咲く時期です」
 (新版『神の火』(下巻) 文庫p129~130)

季節は正反対の夏なので、どんよりした冬の空と海でないのが、ある意味で残念ではありますが(笑)
でも踏んだ限りでは、砂はさらさらとやわらかでしたし、天気が良かったため空も山も海も、綺麗としか表現しようがない。
露出を間違えて白くとんでしまった写真もありましたが、削除したもんね!


以下は「一般的な天橋立観光案内・パート2」。すっ飛ばしていただいて結構です。



大正天皇が皇太子時代に植えられた「御手植(みてうえ)の松」。




昭和天皇が皇太子時代に植えられた「御手植(みてうえ)の松」。同じ名前なのでややこしい。残念ながら今上天皇が植えられた松はございません。






上記2枚は「晶子の松」。与謝野晶子が植えたのではなく、天橋立を詠んだ歌にちなんで名づけられただけ。まっすぐに伸びている松の姿が、晶子の姿と重なるのかな?
晶子といえば↓




「与謝野寛・晶子ご夫妻歌碑」。これは比較的新しく、約1年前に出来たものらしい。当然、木村商会ご一行は見ておりませんねえ。

寛(鉄幹) 「小雨はれ みどりとあけの虹ながる 与謝の細江の 朝のさざ波」
晶子 「人おして 回旋橋のひらく時 くろ雲うごく 天の橋立」



・・・すみません、もう一回分「天橋立」があります。多分、これで最後。(というわけで、つづく)


天橋立・その2

2007-08-22 22:42:28 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

さあ、約3kmの天橋立散策を始めます!




特別名勝天橋立の石碑。

私たちは徒歩で散策しましたが、レンタサイクル利用している人もたくさんいました。ところで、どうして白人男性は上半身裸なんでしょうかね?(知らんがな)

散策マップをたよりに、見どころの松を眺め、撮影するため、歩む速度が遅くなります。おまけにこの暑さといったら! ところどころに休憩場所が設けられていますので、ちょっと休憩。
日差しは強いけど、松の木々の間から海風が吹き込むのが救い。それに、太陽に照らされてきらきら光る海の美しさといったら、もう!



「小袖の松」の近くにあった休憩場所から、撮影した宮津湾。向こうに見えるのは、栗田半島。





これが「小袖の松」。画面に入りきれていませんが、それくらい立派な、良い枝っぷりだと思って下さい。

休憩所で日焼け止めを塗りなおし、散策マップを見て愕然。

「ええー!? まだこれだけしか進んでないの!?」

「小袖の松」で、約1/6。休憩なしで普通に歩いて、片道約40分。このペースでは、1時間以上・・・いや、もっとかかるかも。
とにかく歩かなきゃなりません。しかも、バテずに。




「なかよしの松」。




「夫婦の松」。


この二つは何がどう違うんだろう? 「名前が違う」というのはナシよ。
「義兄弟の松」というのはないんでしょうかねえ? 「兄弟松」でもいいんだけど。 (まだつづく)