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あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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天橋立・その1

2007-08-20 23:37:07 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
「AERA」(2007年8月27日号) の高村薫さんのエッセイ連載「平成雑記帳」は、アメリカ・ミネソタ州の橋の落下から、日本のコンクリート・鉄筋までの幅広い内容でしたね。(コンクリートを好んで良く使用する某建築設計士は、あんまり好きじゃない。メンテナンスのこと、ちっとも考えてないからさ)
個人的には、表紙がタカコさん(和央ようかさん)だったので「おおーっ!」でしたが(笑)

***

砂嘴を往復した後、 (新版『神の火』(下巻) 文庫p130)

とありますように、私たちも天橋立の中を往復するつもりでした・・・が、36℃はあるだろう暑さを甘く見てはいけない・・・と思いなおし、片道だけの散策にしようと変更。
まずは家族三代で経営している小型ボート(片道600円、往復1000円)に乗って、阿蘇海を渡り、府中地区へ。時速50~60キロのスピードで、約5分で府中地区へ到着! そこから天橋立の中を歩いて戻ってくる予定にしました。
以下の2枚は、乗ったボートから撮影したもの。思ったよりもブレずに、綺麗に撮影できてましたね。




阿蘇海を走っているボートから撮影した、阿蘇海と与謝野方面。(説明しなきゃ分からん)




同じくボートから撮影した、天橋立の一部。(これも説明しなきゃ分からん)




府中地区の観光船やボート乗場から撮影した、天橋立と阿蘇海。(しつこいが説明しなきゃ分からん)


さて、駅で貰った観光地図。府中地区に日本の名所に不釣合いなカタカナ「リビエラ」の文字に目を奪われました。

「一体何なのか、見てみたいの~!」

とminoringさんを拝み倒して、いざ向かうと・・・。



・・・・・・。

撮影する私もどうかと思うが。(だって、何か、悔しかったしさ)

ま、もしも天橋立の府中地区へお寄りの際はご覧下さい・・・と、お薦めはいたしません(苦笑) だって、何なのか知りたかっただけだもーん。

さて、いよいよ天橋立の散策です! (つづく)


智恩寺 文殊堂

2007-08-19 21:27:24 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
地どり二日目、13日の月曜日。
この日は、『神の火』 で木村商会御一行が社員旅行をした天橋立・宮津を地どり。
木村商会は11月30日と12月1日の社員旅行。冬と夏、季節は違えど、社員の一員になったつもりで、「観光客」としてふるまいましたよ。私も天橋立を見るのは、家族旅行をした中学生以来~。

西舞鶴駅から電車で約50分、天橋立駅に到着。観光地であるだけに、人も車も、お店もいっぱい。



文殊堂に参拝してから、廻旋橋を渡って小天橋から大天橋へ渡り、天の橋立を散策した。 (旧版『神の火』p252)

文殊堂の参拝、廻旋橋から小天橋、大天橋と渡って天の橋立へ、というお決まりのコースだった。 (新版『神の火』(下巻) 文庫p129)

あら、旧版と新版で描写が違いますね。

ということで、まずは文殊堂へ。隣にある駐車場から、いきなり境内へ入ってしまいました(苦笑)
今回の旅行が無事に済むことが出来ますように・・・という思いも込めて、お参りを。
ここは「日本三代文珠」の一つと数えられていますが、後の二つはどうも定まってないようです。




室町時代に建立された、多宝塔。重要文化財です。




山門。本当はここから入るべきでした(苦笑) 宮津市の指定文化財です。







境内にある、鎌倉時代の宝篋印塔(ほうきょういんとう)。和泉式部の歌塚です。見えにくいかもしれませんが、

    いつしかと 待ちける人に 一声も 聞せる鶏の うき別れかな

とあります。
「天橋立」といえば、『百人一首』の和歌でもお馴染みの

    大江山 いくのの道も 遠ければ またふみも見ず 天の橋立

を思い浮かべる方も多いと思いますが、この和歌を詠んだのが和泉式部の娘・小式部内侍。だけど彼女は実際に天橋立を見て、詠んだわけではないのですよね。天橋立のある丹後へ行ったのは、母の和泉式部と再婚相手の藤原保昌。

この藤原保昌は、源頼光の家臣。頼光の大江山の鬼退治にも活躍した人。
森みずほさんの『雷神-ライディーン-』を読まれた方は、ご存知ですよね♪ (←決め付けてる)

上記のエピソードを知った上で、小式部の「大江山~」と和歌をもう一度みますと、何かいろいろと含むところがありますね。・・・出来すぎのような気もしますけどね(苦笑)

ところでクリスチャンの島田先生は、きっとお参りはしてませんよね。


今回の参考HP  天橋立 智恩寺


西舞鶴湾とその周辺

2007-08-19 00:47:16 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

夕刻、西舞鶴に戻って埠頭に船が入っていないのを確認した後、
 (『李歐』p213)


夕凪、夕暮れの時間に近かったので、西舞鶴湾の写真を二十数枚撮影(←下手の横好きというやつだ) その内の何枚かを貼り付けます。
写真が多くてブログの表示が遅くなってますが、ご了承下さい。




通称・丹後冨士と呼ばれる、建部山。どこかに描写があったと思ったんですが・・・なかったかな?




隣の漁港埠頭ではトロ箱を運ぶフォークリフトや仲買人の動き回る姿がかすかに見え、蒲鉾工場らしい建屋の煙突からは煙が上がっていた。 (『李歐』p211~212)

この工場がそうなのかな?

「そういえば、『晴子情歌』でも晴子さん、蒲鉾工場で働いていたよね~」

と思い出す私たち。新鮮で豊富な魚介類が獲れる港町であれば、蒲鉾工場は必ずあるのでしょうね。




海面に映る雲が美しかったので、思わず撮影。・・・なかなか思うように撮影できませんね。




こちらは五老岳。スカイタワーが見えますか? ここへは第三日目に行きました。

さて、第一日目の夕食は、舞鶴港とれとれセンターで。私は鮭といくらの丼(税込1400円)をいただきました。美味しかった~♪ これも「親子丼」ですよね、合田さん!
(今回の地どりのお食事(昼食か夕食のどちらか)、1日だけ除いて全部合田さんにまつわる食事だった私)




この空の彼方、第二日目は天橋立・宮津へと向かいます。


***

どうでもいいおまけ話。
ホテルへ戻る時に、某コンビニに立ち寄って飲料を購入。ふっと雑誌の並んでいるコーナーを見てみたら、こんな雑誌がありました。
・・・なんでよりにもよって、こんな名前を・・・?


西舞鶴湾の埠頭

2007-08-17 23:43:35 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
さて、旧版『神の火』にしか出ていない場面の描写の地どりです。

《用事を思い出してね。遅くて申し訳ないが、松陰の第二埠頭まで散歩がてらに出て来ないかね?》 (旧版『神の火』p27)

高野川沿いに十五分も歩くと、松陰の第二埠頭だった。 (旧版『神の火』p28)

と、教会から北西の方向へ約15分歩きまして、第二埠頭へ向かいました。
・・・が!!




関係者以外 立入禁止 だと~!?
何でー!? それじゃあ島田先生は不法侵入したのか!?




船は西端の貯木場の岸壁に一隻見えるだけだった。 (旧版『神の火』p28)

分かりにくいと思いますが、木材もちゃんと積まれているんですよ。

「うぬぬ、別の道から入られないか・・・」

と諦めきれず、西の方向へ進むと、そこもダメ。
更に西へ歩いていくと、ようやく海が見えました。西舞鶴湾です。

「ひょっとして、ここが島田先生が良ちゃんたちにボコボコにやられた場所なのかも・・・!」



島田は係留杭に腰を下ろした。 (旧版『神の火』p28)

島田は、数時間を岸壁のコンクリートの上で過ごした。意識を取り戻してからも、しばらくは動けなかったからだった。地べたに横たわったまま、昨夜来のさまざまな出来事を思い返した。 (旧版『神の火』p30)

ここが島田先生が腰掛けた係留杭と、その後の乱闘でコンクリートの上で寝そべった場所・・・と思い込むべし!(←そんな強引な)

ちなみに、この松陰に島田海運本社の赤レンガ造りのビルがあるそうですが、それらしい建物は見当たりませんでした。立入禁止地区内にあったのかなあ。


一方、『李歐』では、一彰も西舞鶴湾の埠頭を訪れています。




何もない埠頭に一つポツンと立つクレーンはとても大きく見え、雄々しかった。 (『李歐』p210)

ちなみに西舞鶴湾には、第一から第四までの埠頭があります。

四つある埠頭にはクレーンが見えるが船の姿はなく、人影もなく、夏の陽光の下で港じゅうが午睡をしているかのようだった。 (『李歐』p209~210)

実際は、釣りを楽しんでいる人たちがたくさんおりましたよ(笑)


今回の参考HP  京都舞鶴港


聖クレメント教会 (カトリック西舞鶴教会)

2007-08-17 22:42:00 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

次の日に西舞鶴の聖クレメント教会で、身内だけの葬儀をもった。
  (旧版『神の火』p13、新版『神の火』(上巻) 文庫p16)

小学校より、北に1ブロック行ったところに、島田誠二郎さんのお葬式が営まれた教会があります。
作中では「聖クレメント教会」とありますが、正式名称は「カトリック西舞鶴教会」らしいです。





昨日触れた田辺城は、細川氏のお城。細川忠興の妻であり、明智光秀の娘でもある、キリシタンの細川ガラシャとも所縁が深いのですね。





私は教会内部は撮影していませんが、こちらのサイトをご覧下さい。ブロが撮影してますから、綺麗ですよ。今回の地どりの下調べにも重宝しました。


南田辺周辺

2007-08-16 23:02:39 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

島田は生まれ故郷の街を走っていて、どこへ立ち寄るというのでもなかったが、教会や幼稚園や小学校の前を次々に通り過ぎた。
 (新版『神の火』(下巻) 文庫p293)

という記述から推測して、舞鶴公園の斜め、方角にして北西の位置に小学校がありました。ここがきっと、島田先生が通った小学校に違いない。
何だか由緒ありそうな土塀に囲まれておりますね。校舎は新しいですけど、島田先生が小学生だった頃は、木造だったのかな? うん、島田先生の雰囲気にしっくりくるような小学校ですね。





これを撮影後、田辺城の資料館で由来を見てみたら、江戸時代の田辺藩の藩校「明倫館」の正門で、それが現在もそのまま残されており、入学式・卒業式・開校記念日の時だけ、門が開くそうです。島田先生もその時には、この門をくぐったに違いない。


おまけ。田辺城城門の西側、小学校の南側にある舞鶴警察署。




何でこんなのを・・・って? いや、警察好きな方たちへのサービスショット(←何やそら)
この警察に、島田先生はともかく、日野の大将がお世話になったことがあるんじゃないのかな・・・なんて想像を働かせてみたりして。


舞鶴公園 (田辺城)

2007-08-16 21:50:00 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
地どり一日目、12日の日曜日。
お盆のためか、対向列車の運行や接続が遅れ、西舞鶴駅へは午後2時過ぎに到着。

「な、なんだこの熱風は・・・!」

駅を出た瞬間、ムーンと漂う熱い湿気を含んだ風に、悲鳴をあげたminoringさんと私。その夜のTVニュースで知りましたが、午後1時半で38℃に達していたそうな。ひーっ!

ホテルのフロントに荷物を預かってもらって、すぐさま地どり開始。島田浩二さんの実家のある、南田辺と舞鶴公園へ向かいます。

その夜南田辺の自宅で通夜を行った後、 (旧版『神の火』p13、新版『神の火』(上巻) 文庫p16)

島田は、南田辺にある実家で父の遺品の整理をした。 (旧版『神の火』p25、新版『神の火』(上巻) 文庫p35)

舞鶴公園の端の、古い屋敷町の一角にある家には、手伝いのトメさんが一人いるだけだった。 (旧版『神の火』p25、新版『神の火』(上巻) 文庫p35)

これらの記述を頼りに、後は地図と照らし合わせればOK。西舞鶴駅から北へ真っすぐ、10分もかからずに辿り着きました。





舞鶴公園と田辺城は、イコールだと思って下さい。明治時代に廃された城ですが、城門や櫓、塀などが復元されています。





この復元、地どり三日目に利用したタクシーの運転手さんの話では、「ふるさと一億円」が利用されたらしいです。ということは、『神の火』当時では、復元されていなかったということですね。





城門の上部や櫓の内部は、往時の田辺城を偲ばせる貴重な資料館になっています。それらを拝見すると、約二百数十年もの間、細川氏→京極氏→牧野氏と城主が変わっていった田辺城。西舞鶴湾や建部山の麓にまで広がる、かなり大きな敷地だったようです。





これは城門と櫓を繋ぐ石段から撮影した舞鶴公園。舞鶴の桜の名所としても有名らしいです。この眺めが、島田先生が見なれていた舞鶴公園なのかもしれません。

ちなみに南田辺は、この写真の左側・・・方角では、更に北側。『神の火』当時から十数年は経っていますので、様変わりしているだろうなあ・・・と覚悟はしてましたが、舞鶴公園のすぐ隣に大きな駐車場があり、ちょっとがっかりしてしまいました。

「ひょっとして、取り壊された島田先生のおうちかなあ・・・?」

なので、撮影せず。皆さんの夢を壊しては、ね・・・(苦笑)


第四回親鸞賞で戴いた資料。

2007-07-29 23:39:08 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
すっかり遅くなってしまいましたが、第四回「親鸞賞」 授賞式並びに選考委員と第四回受賞者の公開座談会 に参加した時に、頂戴した資料の写真をアップいたします。相変わらずの腕のなさで申し訳ない。

上記の拙い簡略レポートは、こちらをご覧下さいませ。

まずは、資料の入っていたB5サイズの封筒。



表は何も印刷がありませんでした。「何じゃこれ?」と思われるのが必至ですから、撮影しませんでした。
続いて、式次第。



簡略レポートにもありますが、「来賓祝辞」はありませんでした。
そして私も初めて歌った(?)「真宗宗歌」の楽譜。



浄土真宗といえど、「東」と「西」では歌う宗歌も違うのかな。
式次第に沿っていきますと、次は「祝電披露」。最初に京都市長の祝電が読み上げられましたが、これと内容はまったく同じ。



これだけは、何故か資料の中に入っていたんですよね。(・・・宣伝も兼ねて?)

もう1冊資料が入ってましたが、第九回「蓮如賞」のシンポジウムを採録したものでした。

それではメインの「親鸞賞」のパンフレット。



三つ折を広げてみると・・・。



受賞作『新リア王』 (新潮社) と受賞者プロフィールの簡単なご紹介。



そして「親鸞賞」の趣旨と選考委員のご紹介。



簡略リポートに、上記の写真も添えるのは、また後日に(←こればっかりやん)


丸善 心斎橋店

2007-04-10 22:56:52 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

「良に買うてくれて頼まれとったんや。日曜の朝に丸善で買うて、それから病院へ寄ったら、アパートへ帰られへんようになってしもうて……。結局、渡してやられへんかった」
 (文庫版『神の火』上巻p395)

2005年7月23日撮影。この一週間後に閉店されました。これが最後の機会と思い、行って来ました。その後は、一度も現場を訪れていません。
最後なんだから、遠慮しないで写真を撮ればよかったなあ・・・後悔。

余談ながら、新版『神の火』 (新潮文庫) を買ったお店は、この丸善さんでした。読み進めていく内に「丸善」がしょっちゅう出てくるので、その偶然に驚き、また嬉しく思いました。




島田は午後に会社を抜け出して心斎橋の丸善でパヴェーゼの本を探し、英訳のペーパーバックを一冊買った。 (文庫版『神の火』上巻p339)

島田先生が自分のためにパヴェーゼを、日野の大将が良ちゃんのためにヘミングウェイを買ったのは、2階の洋書売場。(『神の火』の物語当時)




心斎橋の丸善に注文書を届けたら、カバンが空になった。 (文庫版『神の火』上巻p123)

もちろん、島田先生が仕事で納品のために訪れたことも多々あります。『神の火』の物語当時は、この閉じられている扉から出入りしていたかもしれませんね。・・・他にも出入口はありますが。




しばらく心斎橋を歩いているうちに、土曜日の午後だと気づいて、ちょっと後悔した。 (文庫版『神の火』上巻p123)

納品を終えた島田先生は、アーケードの下を歩いて、アメリカ村へと向かいます。
私が撮影したのは土曜日の午前中でしたので、そんなには人はいませんでした。

白いワゴンがありますが、洋書バーゲンをやっていました。撮影後、ヘミングウェイを探しましたが、見つからず。結局買ったのが、Raymond Chandler 『Farewell,My Lovely』 『Playback』。(読めもせんのに)

その後もう一度訪れまして、これが最後だからと個人的な記念に 『神の火』 (新潮文庫) 『李歐』 (講談社文庫) 『地を這う虫』 (文春文庫)を、もう一度買いました。

私もここの丸善には、中学生の頃から通っていました。ちょっと高級感溢れる雰囲気。小娘(=当時の私のことだ)が背伸びして、大人びた空気を味わえるかのような感覚が、好きだったのかもしれません。
無くなったのは、今でも残念に思います。

現在は、そごう心斎橋本店の12階で、営業されています。
『黄金を抱いて翔べ』 (新潮文庫) のミエちゃんがマネキンの仕事をしていたのも、ここでしたね。


大阪市立大学医学部付属病院とその周辺

2007-03-21 17:44:35 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

「だったら、毎日僕に手紙を書いてくれ」
それは、その場の急な思いつきだった。市大付属病院の近くまで来たところで、偶然郵便局の前を通りかかったために、思い浮かんだのだった。
 (文庫版『神の火』上巻p282)

昨年9月に撮影。記事にアップするのは、「神の火 再読日記」を実施中にしようと思っていました。
島田先生と良ちゃんになりきって、写真をご覧下さいね。雨が降っていたら、もっと臨場感があったのになあ。降り出す数時間前だったんですよね。




「病気です。身体の調子が悪い」
「いつから……」
「ずっと」
「病院へ行こう。僕が連れていく。金の心配は要らない」
 (文庫版『神の火』上巻p276~277)

せっかく病院の近くを歩いてるんだから、四の五の言わずに良ちゃんをここへ入院させたら良かったのに~!
(全ての良ちゃんファンの心からの叫びを代弁してみました)




人けのない路地を歩き始めてから、やっと「少し考えさせて下さい」という良の返事が返ってきた。 (文庫版『神の火』上巻p281)

「路地」の候補・その1。車が通りそうもないし、人けもなさそうなのでかえって安全か・・・? と思うのが、どうも素人のあかさたな、もとい浅はかさ。




「路地」の候補・その2。どちらも病院の両側にある通り道ですが、こちらが有力かと思う。しかしその1も捨て難い・・・。

この道をずーっと進んで曲がって曲がって行ったら、島田先生が良ちゃんのために切手を買った郵便局があります。それに気づいたのは、帰宅して文庫をチェックしてから(ガックリ)
アカンなー! 地図だけじゃなく文庫も持って行かなきゃ・・・と反省。
(この時は諸事情があって、文庫を持っていかなかったため、うっかり失念)

***

ここ最近の某原発施設の臨界事故の関連ニュース、シャレになりませんね。次から次へと隠蔽事項が明るみに出るし。再読日記、やりにくくて仕方ないですよ・・・(笑いごとでなく、マジで)

そして、金塊強奪ですか・・・?(呆) ホンマ、シャレにならん。(むきだしのまま展示というのも、間の抜けた話だと思いますが)

現実が高村作品に追いついてきたのか、それとも世の中がそこまで荒んできたのか・・・。

天王寺公園 植物園

2006-11-28 23:37:16 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

「起きたのが遅かった。市立美術館に行って、隣の植物園へ行って、ビールを一杯呑んで、それから新幹線に乗った」
 (文庫版『照柿』下巻p57)


主に、『神の火』 (新潮社) と 『照柿』 (講談社) に登場する、天王寺公園内にある植物園です。
『わが手に拳銃を』 (講談社) と 『李歐』 (講談社) にも登場してたっけ・・・? ちょっと記憶がない。後日、該当部分があるかどうか探してみますね。
各作品の文章に「天王寺公園」と出てきたら、ひと括りでこの植物園も想像してしまうんですよ、私は。

今回もランダムに写真を散りばめてみました。また、適当な該当部分が見つかりましたら、後日追加します。ご了承を。

撮影日時は、9月16日(日)の午後3~4時頃。雨が降り出す約10分前でしたので、曇天です。
日時は違えど、『神の火』 と 『照柿』 で、メインに登場した場面では雨が降っていたので、臨場感たっぷり!(・・・だといいのですが)







これはマレーシア産の「女王ヤシ」。この植物園の主(ぬし)。












きっと少年時代の合田さんと達夫さんは、この植物園内でかくれんぼや鬼ごっこで遊んでいたりしたんだろうな~。
子供の身体ならいろんなところに、たやすく隠れそうです。












カワイくない(ちょっと怖い)天使orキューピッド。合田さんたちの幼少の頃からあったとしたら、それはそれで凄いと思う。


阿倍野の陸橋 (あるいは歩道橋)

2006-11-16 00:09:10 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

駅前の陸橋の階段を上り始めたときだった。散漫に前後する傘の列の背後から、「島田さん」と呼ぶ声がした。
 (旧版『神の火』p153)


『神の火』 の旧版・新版問わず、数え切れないくらい登場する阿倍野と天王寺を結ぶ陸橋です。

いろんな場所と角度で、ランダムに撮影してみました。今回は一度にたくさん載せたので、写真サイズを小さくしています。

引用文は独断で選びました。読み手の皆さんの想像を助けることになれば、よろしいのですが・・・。
島田先生、日野の大将、良ちゃん、川端さんと堀田さん、ベティさんにハロルドさんの存在の確かさをお楽しみ下さい。




「そうやった。島田さんは自分のことを話さへん人やった……」
小坂はそう呟いて軽いため息をつき、今度は陸橋の先の百貨店の方を見た。
 (文庫版『神の火』上巻p303)




日野は、天王寺駅の方から歩いてきた。 (文庫版『神の火』上巻p64)







男はそのまま、阿倍野筋をはさんだ反対側の階段を降りていき、階段を降りたところにあるマクドナルドの店舗へ入っていった。 (文庫版『神の火』上巻p304)







阿倍野交差点の陸橋を目指して、昼どきの阿倍野筋商店街のアーケードをゆっくり歩く。 (文庫版『神の火』上巻p293)




広い陸橋の上を、ゆっくりと足を運んだ。 (旧版『神の火』p153)




広い陸橋の真ん中で、手摺りにもたれて作業服姿の日野がよたっていた。 (旧版『神の火』p208)







地下鉄で帰るという良を、阿倍野交差点の陸橋まで送った。 (文庫版『神の火』上巻p283)





近鉄阿部野店 マクドナルド跡

2006-11-13 23:39:20 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

男はそのまま、阿倍野筋をはさんだ反対側の階段を降りていき、階段を降りたところにあるマクドナルドの店舗へ入っていった。
 (文庫版『神の火』上巻p304)

『神の火』 で、島田先生とハロルドさんが邂逅し、会話を交わしたのがこの場所。

「どこがマクドやねん!?」というツッコミは当然のことと思いますが、写真のとおり、既にマクドナルドはございません。
この場所に、マクドナルドがあったということだけ、知らせておきます。近鉄百貨店・1 の写真の真下にありました。

ここのマクドには、私も高校・大学の時にお世話になりました。(生活指導の先生に捕まっていた子もいたなあ・・・)
どのような店舗だったのかは、高村さんの文章と皆さんの身近にあるマクドナルドの雰囲気から、想像して下さい。

そういえば、旧版『神の火』 では島田先生、文句言ってたな(笑)

その前に、自分の盆を置いて、「騙された」と島田は呟いた。
「何が? チケットに書いてあった通りでしょう」と、ハロルドは言う。「シュリンプ・バーガー。ポテトのビッグサイズ。コーンサラダ。オレンジジュース。しめて七百五十円」
「ただかと思った……」
「まさか」とハロルドはとぼけた。
 (旧版『神の火』p236~237)

こういうところで、「世間知らずのぼんぼん」と言われてしまうんだよなあ、島田先生。可愛らしさ倍増で、許せますが(笑)


そのマクドナルド閉店後に入ったのが、ティファニーです。

          


どちらも有名ブランドですが、まったく何という違いなのか・・・。


淀川大橋・2

2006-09-10 13:36:28 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

「明朝四時半。淀川大橋。一応、来てくれ。あまり時間はないが、もう一度俺の話を聞いてくれ。頼む、一彰」
 (『わが手に拳銃を』p294)

「淀川大橋」 の記事と併せてどうぞ♪

今回の写真は北詰から、夕方6時半頃に撮影したもの。「朝の四時半」・・・と言い張って、捏造してもいいでしょうか?(←アカンやろ!)

淀川にかかる橋は、どれも大きい。
「阪神電車 淀川の鉄橋」 然り、「十三大橋とその周辺」 然り。消失点がはっきり分かるくらい。

***

・・・と、以上で不完全ではありますが、2006年8月27日(日)に決行しました大阪地どりは、無事に終了しました。
お付き合いいただきましたminoringさん、marimoさん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。またいつか、ご一緒する時間が持てますように・・・。

いろいろ反省点もありますが、地どりは楽しいですね! 自分で歩いて、見て、感じる。登場人物たちと同じ空気を分かち合える感覚を味わえるのが、何より幸せ。
それぞれの街の風景、雰囲気が、街ごとに全く違うものだと気付かされる。そういう当たり前のことを、改めて認識もさせられる。貴重な体験です。

また、地どり、やるで! ・・・と新たな決意を胸にする私。
大阪に新たな地どり場所が増えたことですしね!(笑) (『太陽を曳く馬』参照)

来年夏に実施予定の「舞鶴へ行って揚松明を見よう!」の地どりツアーは、ぜひともやりたい。お盆の時期と重なってしまうのは仕方ないのですが、参加ご希望の方は、8月14日を含む前後各1日は、今から予定を空けておいて下さいね。
(ただ国際情勢によってはどうなるか、不確定でもあるのですが。舞鶴は海○自○隊のある街でもありますから・・・)

***

さて、一応のキリがつきましたので、以前からちょこっと漏らしていた「9~10月は動けない」理由は、この後の記事で。
その前に、コメント返信しなくては・・・。大変お待たせして申し訳ございません。


十三大橋とその周辺

2006-09-09 23:00:33 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典

十三大橋を渡ると、そこはもう大淀だった。
 (文庫版『神の火』上巻p103)

十三駅から徒歩約5~7分。十三大橋に到着です。
この橋を渡ると、大淀方面に出ます。写真の場所から、良ちゃんを乗せた島田先生の運転する車が通ったのですね。

『神の火』だけでなく、他の大阪を舞台にした作品でもしょっちゅう登場する十三大橋ですが、たくさんありすぎて探しきれませんでした。ごめんなさい~。




一枚目の写真を撮った場所に、由来を示す標石がありました。平成九年とありますから、『神の火』の物語当時にはなかったでしょう。




十三大橋のすぐ横で、行き来する阪急電車。臙脂色の車体、照柿色の車体。