犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

マイクロチップ挿入について思うこと。

2012年02月14日 | おせわがかり日誌
仲間を助けて.wmv



マイクロチップの挿入手続きが完了し、オレコの『番号』の通知が届いた。

ほう~。

これ、すごく大切なものだな。どうやって保管しよう。

番号を覚えようにも桁数を見ただけで既に無理とあきらめた。

携帯にメモしておいて、手帳にメモしておいて、おれこの大切な書類ファイルに入れておこう。

これで手帳や携帯が更新されても、大丈夫なはずだ。




最初、おれこを引き取るにあたり、

避妊手術とマイクロチップ挿入が必須ということで、

私たち家族は悩みに悩んだものだった。

犬の子を人間の子と比較することはできないが、

もしそれが「こども」にとってどうしても必要なもので、

絶対に入れたほうがいいということならば、

人間の子にだって入れるはずだろう、というのが夫の考え方だった。

迷子や行方不明の捜索もしやすいし、誘拐や性犯罪も減る(予防できる)だろう。

このマイクロチップの挿入で防げる犯罪が幾多もあることを考えると、

人間の子供にこそ、挿入するべきではないかという考えに至る道もある。




しかしながら、人々がそれをしないのは、やっぱりどこか、

異物(コンピュータ管理ができるもの)を体内に挿入し、

それでこどもたちを管理することが、少し残酷というか、

虐待寄りの行為に思えるところがあるからでないだろうか。

『気持ち』の問題ではないか。

決して個人情報保護法うんぬんというのがベースにあってしない、というわけではないと思う。




そう考えると、人間の子に『残酷だ』といってしないことを、

どうして犬猫にはできようか、という考え方に至る道もある。

もし、飼い主になる気持ちがある方がいらっしゃるのであれば、

この問題はじっくりと考えて、自分や家族が納得するまで、しっかり検討するほうがいいと思う。

私も最初は反対に近い気持ちだった。




避妊手術にもそうで、犬猫にとって、

もっとも自然に近い状態がしあわせなことではないかと悩んだ。

こどもを生むという選択をできない状態にしてしまうというのは、

残酷なのではないか、と思い悩み、人間の管理がしやすいということだけで、

それを行うというのは、傲慢ではないか、とすら思ったものだ。

だが、実際、オレコの場合はそれがなければ、かぞくとしては認められない。

自分たちで自由に選び取ることはできなかった。家族と、

「だからみんなペットショップで買うのかな」

なんてことを話したりもした。難しいことで悩みたくないのかもしれない。




マイクロチップ挿入にしても、避妊手術にしても、

なぜ、やることを決めたかといえば、ひとつにはオレコの病気のことがあったが、

心の奥にしまいこんだ、一番の理由は別にあるように思った。




私たちは頭の中で、決め付けているところがある。

明日もあさっても、今日と同じような日が、続くということを。

だけど、同じ日が続くというのは、人間の思い上がりではないか。

想像ができないだけで、そんなことはどこにも補償されていないのだ。

そうして、去年、実際に、大きな災害が起こったのだから。

地震と津波だけでも大変だったのに、そのあと原発でも大変なことが起こった。

どれだけの人々が故郷やおうちを捨て、動物たちと離れ離れになったことだろう。

これほどではないにしても、毎日どこかで、『非日常』を生きなければならない人がいる。

自分にだけそれが起こらないとなぜいえよう。




そんな気持ちがどこかにあって、自分のためというよりも、

そんな日が訪れたときに、おれこの不幸せな状態が少しでも軽減するように、という気持ちがあった。

大災害が起これば、人命が第一優先だ。どうしても動物は二の次になる。

そんな万がひとつのことにどうしてといわれても、万がひとつだからこそ、なのだ。

そんなときが訪れたとして、この選択が、おれこを少しでも災いから救ってくれればそれでいい、そう思うのだ。

もし私がスーパーマンで、そんなことしなくても、絶対に助けられるというのなら、別にいいんだけど。

そうじゃないからなあ。