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「うぅ~ん・・・おぅちゃん、いまちょっと、そういうきぶんぢゃ、ないのにぃ~」(おみみがすいへいせん)
まだまだ気温が低くても太陽の光がさんさんと降り注ぎ、春めいてきたこのごろ。
だって、イヌフグリはたくさん咲いているし、梅の花は満開のところもあるし、桜のつぼみは、徐々に膨らんでるもんね。
だからして、おれこの散歩は、雨でなければ、毎日行く。
最近、おれこの体調を見ながら、ほぼ、1日2回ペースになった。
おれこ、喜んでるかなあ?と思っていたら、それが実は、そうでもないようである。
朝の散歩「さあ、いきましょうね」と声をかけて『身支度』をはじめると、とたんに、上の表情になる。
まるで「いやだ」といってるみたいではないか。
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「しかし、することは、する」(おかーさんもとるものは、とる)
支度を整え「さ、いこう」と、玄関のドアを開けても「ぃやあだ~」といって、戻ってしまう。
「おじいちゃんにあいにいこうよ」「おそとたのしいよ~」などと声をかけ、抱っこしてしまう。
マンション内は抱っこ移動が基本なのだ。
そうなるとおとなしいものだが、
「(エレベーターやマンションの入り口などで)ああ、また、あのこたち、いっぱいいるのかな?」
と不安な気持ちでいる、オレコの心の波動が伝わってくる。
ちなみに『あのこたち』、というのは、集団登校をする小学生たちのグループのことである。
マンモスマンションが立ち並ぶゆえ、おびただしい数のこどもたちが移動するが、ピークのときには、数百人規模での移動となり、さながら小さな群衆である。
オレコはこの群集に出会うのが、いやなのである。
だから朝の散歩は憂鬱なのだった。
その集団を突破できれば、いつもどおり、なんてことはないのである。
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「ちかれたびー」
そういう緊張があってか、散歩から帰ってくると、朝はとくに、ぐったりしているというか、疲れている。
よく眠れるようだ。
仕事などで長い時間外出するときは、そうして眠っていてくれる時間が長ければ長いほど、助かる。
待ってる時間が短いように感じるだろう、と、飼い主の勝手な思い込みというか、待たせる負い目や気持ちの負担が少なくなるのである。
オレコはよく夢を見る。
うちに来たばかりの頃は、夢で悲鳴を上げることがあったが、最近は、違う。
なんだかとっても幸せそうというか、野原を走ってる夢なのか、手足が走る格好をしていたり、
小鳥たちと出会ってるのか、ぱうぱうぴゆうぴゅう、ちょっと変な、小さな鳴き声をあげながら、しっぽの先がふりふりしていたり。
寝顔が「笑顔」なことが多いのだ。
ずっと以前は、眉根を寄せて、苦悩する表情のことが多かった。
だけど今は、大体、笑ってる。
その笑顔を見ると、こっちまで、あったかい気持ちで、胸がいっぱいになる。
そういうことが、オレコと暮らしていて、いいなあ、幸せだなあ、と思うことである。
猫と暮らしていたときは、猫たちが、季節季節で、家中の一番あったかいところや涼しいところを知っていて、
そのお気に入りの場所で屈託なく眠っている時、おなかのふかふかのところに顔をうずめて、ふーと息をふきかけたりすると、
もう、世の中の一切のことは、どうでもいいや、と思えるくらい、至福の気持ちになる。
こういうのは、相手と気持ちが通じ合わないと、なかなか実感のわかないことで、気持ちが通じることが、最大の喜びだ。
目を見ただけで、ことばなどなくても、通じるのである。
寝姿を見守るだけで、何も言わなくても、相手が幸せかどうか、わかるのである。
これが相手が人間だと、そんなふうに単純にはいかないのだけれど。
動物は、言葉を持たない分、素直な部分はとても素直だ。
だから、うれしい。